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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 児童文学を評するにあたり、「大人の鑑賞にも堪えうる」という決まり文句がありますが、私はこの言葉が大嫌いです。

 なんと言うか、上から目線と言うか……「本来、自分はこんな子ども向けの話なんてバカバカしくて読まないんだけど、これはそういった知識人、常識人、インテリゲンチャな目線から見ても結構面白いと思うよエヘン」とかって遠藤周作みたいな眼鏡をかけてネスカフェゴールドブレンドを片手に語っているようなイメージなんですよね。

 もちろんこれは、犬神のものすごい偏見と言うか、妄想というか、冗談ですが。というか犬神自身も大学生の頃は、まあ本を読んでそのレポート(感想ではなく)を書かなければいけない、という立場上、そうしなければいけないと思って、実際にそういったスタンスで文章を書いていたのですが。


 でも、今はただ読んで楽しめばよろしい。だとしたらこっち側の世界から見るんじゃなくて、物語の世界に飛び込んでいって、必要なら29歳の自分を10代の自分に置き換えて、出来るだけ物語の中の世界に自分を合わせ、満喫することが出来る立場になったので、今回の『獣の奏者』も、一気に読み終えることが出来たように思います。


 
 元々、上橋先生の物語はいわゆる『守り人シリーズ』……いっぱいあるのです……これを大学生の頃に読んで、それ以来ずっとファンでして。もうすぐ年齢的にも追いついてしまうアラサー(当時はこういう言葉はありませんでしたが)女用心棒・バルサに憧れ、原作・アニメ・漫画と一通り読むくらい好きなのです。

 なので今回もかなり期待して本を開きました。

 そして、ものすごい情熱を持って、一気に読んでしまいました。


 あまり小難しいことは書けません。とりあえず感想だけザックリ書きます。

 全4巻のうち、この『闘蛇編』ではエリンの幼年期から物語が始まります。エリンの母・ソヨンは村で『闘蛇』という巨大攻性生物(ってパンツァードラグーンかよ)を飼育する立場にありました。幼い頃からその様子をずっと見続け、自分も同じように闘蛇を育てる職業に就きたいと思っていたのですが……

 ……ある時、その闘蛇が大量に死んでしまいます。そしてその責を問われ、ソヨンは処刑されてしまい、エリンも色々あって村を飛び出し、様々な人々と触れ合いつつ眠れる才能を開花させていく……そして、そのことで村どころか国中を大きく揺るがすことになる……といった話です。

 
 ソヨンというと私は『龍が如く2』を連想してしまいますが、まあアレはよく調べたらスヨンでしたね。もちろんまったくの無関係ですが、何となくそういった名前が似ていることも、ちょっと親しみやすい要因のひとつでした。

 あとは、エリンは優れた才能をもっているのですが、成長とともに身につけていく技術のほとんどは、才能と言うよりは地道な積み重ねなんですよね。

 闘蛇、それに『王獣』と呼ばれる攻性生物(本編ではこういう言い方はしていません)、さらには野を飛び回るミツバチと触れ合う時でさえ、「なぜ?」「どうして?」という疑問をもち、それをとことん突き詰めていく。科学者のような気質なのです。

 そしてそれを、私たちに明快な理論で語ってくれるのです。餓狼伝の磯村露風ばりに言えば『これは神秘な力でもなんでもないよ』といったところです。

 
 その一方で、単なる夢物語に終わらせないのが上橋先生らしいところでして。

 科学的な立場からすれば、エリンの考え方や、体験を通じて得た事実は、とても正しいことなのですが……それは社会的な常識を根こそぎひっくり返すような、いわばコペルニクスやガリレオの唱えた地動説のようなトンデモナイ事柄だったのですね。

 それでなくてもエリンとその母・ソヨンは『霧の民』と呼ばれる、そうでない人たちからは気味悪がられる放浪の民。どこに行っても、そういった視線を向けられます。

 自分だったらどう思うかな。自分だったら、どうしてるかな。

 そう考えながら本を読み、エリンの聡明さに目を開かされ、純粋さに胸をドンドン打たれるのでした。


 現在は第2巻『王獣編』を読んでいますが、事態は少しずつ政治的な要素を帯び始めています。詳細は読み終えてから、また書きたいと思います。

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 元々、上橋先生の物語はいわゆる『守り人シリーズ』……いっぱいあるのです……これを大学生の頃に読んで、それ以来ずっとファンでして。もうすぐ年齢的にも追いついてしまうアラサー(当時はこういう言葉はありませんでしたが)女用心棒・バルサに憧れ、原作・アニメ・漫画と一通り読むくらい好きなのです。

 なので今回もかなり期待して本を開きました。

 そして、ものすごい情熱を持って、一気に読んでしまいました。


 あまり小難しいことは書けません。とりあえず感想だけザックリ書きます。

 全4巻のうち、この『闘蛇編』ではエリンの幼年期から物語が始まります。エリンの母・ソヨンは村で『闘蛇』という巨大攻性生物(ってパンツァードラグーンかよ)を飼育する立場にありました。幼い頃からその様子をずっと見続け、自分も同じように闘蛇を育てる職業に就きたいと思っていたのですが……

 ……ある時、その闘蛇が大量に死んでしまいます。そしてその責を問われ、ソヨンは処刑されてしまい、エリンも色々あって村を飛び出し、様々な人々と触れ合いつつ眠れる才能を開花させていく……そして、そのことで村どころか国中を大きく揺るがすことになる……といった話です。

 
 ソヨンというと私は『龍が如く2』を連想してしまいますが、まあアレはよく調べたらスヨンでしたね。もちろんまったくの無関係ですが、何となくそういった名前が似ていることも、ちょっと親しみやすい要因のひとつでした。

 あとは、エリンは優れた才能をもっているのですが、成長とともに身につけていく技術のほとんどは、才能と言うよりは地道な積み重ねなんですよね。

 闘蛇、それに『王獣』と呼ばれる攻性生物(本編ではこういう言い方はしていません)、さらには野を飛び回るミツバチと触れ合う時でさえ、「なぜ?」「どうして?」という疑問をもち、それをとことん突き詰めていく。科学者のような気質なのです。

 そしてそれを、私たちに明快な理論で語ってくれるのです。餓狼伝の磯村露風ばりに言えば『これは神秘な力でもなんでもないよ』といったところです。

 
 その一方で、単なる夢物語に終わらせないのが上橋先生らしいところでして。

 科学的な立場からすれば、エリンの考え方や、体験を通じて得た事実は、とても正しいことなのですが……それは社会的な常識を根こそぎひっくり返すような、いわばコペルニクスやガリレオの唱えた地動説のようなトンデモナイ事柄だったのですね。

 それでなくてもエリンとその母・ソヨンは『霧の民』と呼ばれる、そうでない人たちからは気味悪がられる放浪の民。どこに行っても、そういった視線を向けられます。

 自分だったらどう思うかな。自分だったら、どうしてるかな。

 そう考えながら本を読み、エリンの聡明さに目を開かされ、純粋さに胸をドンドン打たれるのでした。


 現在は第2巻『王獣編』を読んでいますが、事態は少しずつ政治的な要素を帯び始めています。詳細は読み終えてから、また書きたいと思います。

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