こんばんは。
過度に先鋭化する精神を御するべく、体を鍛える。
いぬがみです。
こないだ本棚を整理して澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』を再発見し、その三島氏の「太陽と鉄」を読み、さらにユルスナールの「三島あるいは空虚のヴィジョン」……と、続けざまに読んでいる私です。
すでにこの時点で私は三島氏に強く魅了されています。困ったことにそれが、例えば三島氏の文学を読んで感動して……というのではなく、精神と肉体のそれぞれを鍛え上げて自分の求める境地にたどり着こうとした三島氏の生き方そのものに共感あるいは共鳴してしまっているのです。
実際に私が同じ轍を踏まないのは、私が三島氏と比べてあまりにも凡庸であり拙劣であり、またアニメや漫画やその他もろもろ……三島氏や澁澤氏が生きていた時代には存在しなかった雑多なものに、すでに心をからめとられているからです。
そして、それゆえに私はまだまだ生きていたいと願うからです。
今回の妄想は、私がゆるぎない生への執着を心の中にいつも燃やし続けていることを前提にお読みください。って、ここまで書いている文章を読んで、すでに皆さまあきれ返って、このあとの駄文を読むことはないでしょうが。それであればこそ、私も心置きなく妄想をメモすることができるのですが。
とりあえず私が思っていることを書きます。
市ヶ谷で割腹自殺を遂げた三島氏は、ヴェトナム戦争に反対して抗議の焼身自殺を遂げた僧侶と重なります。
どちらも、何かしらの精神的危機に追い込まれ衝動的に自殺した……という凡百のそれとは異なります。おそらくですが、自分の意志で、よりによって非常に苦痛を伴うであろう方法により自殺をしようと思ったのです。
どうして?
そのことを検索すれば、なんやかんやと情報が見つかるでしょう。時間も空間も異なる人たちがそれぞれに推測して論じていることでしょう。しかし、私はそういうのを見ようとは思いません。
彼らのことを思えば、どうしても客観的になれないからです。
どうしても、どうしても軍服に身を包み関孫六を携えて市ヶ谷に飛び込んだ三島氏やガソリンを持って往来に出ていった僧侶に、自分自身を重ねてしまうのです。まるで自分がその当事者になったようなイメージを持ってしまうのです。
その日――自分が切腹や焼身といった、凄惨極まりない、およそ人間が知覚できる最大限の苦痛を伴う死を、自分自身の手で行う時、どういう気持ちなんだろう。
たとえば、明日の朝、それをすると決めていたら。
「今日は寝る。明日起きる。そして明日の正午に自分は死ぬ。自分の手で。自分の意志で。」
「ガソリンをかぶって、自分で火をつける」
「鋭い刀を自分の腹につきたてる。さらに突き立てた刀を、意志をもって真横に滑らせる。そして自分の腹筋と内臓をズタズタに切り裂く」
1月19日にそうすると1月1日に決めて、それまで、どんな思いで生きるのか。
その日、何を思うのか。
前の日の夜、何を思うのか。
「豊饒の海」の最終稿を、切腹する日にまとめ上げた三島氏はどう思っていたのか。
その前の日の夜、何を思っていたのか。
今、何を思うのか。
今……。
何を……………………。
過度に先鋭化する精神を御するべく、体を鍛える。
いぬがみです。
こないだ本棚を整理して澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』を再発見し、その三島氏の「太陽と鉄」を読み、さらにユルスナールの「三島あるいは空虚のヴィジョン」……と、続けざまに読んでいる私です。
すでにこの時点で私は三島氏に強く魅了されています。困ったことにそれが、例えば三島氏の文学を読んで感動して……というのではなく、精神と肉体のそれぞれを鍛え上げて自分の求める境地にたどり着こうとした三島氏の生き方そのものに共感あるいは共鳴してしまっているのです。
実際に私が同じ轍を踏まないのは、私が三島氏と比べてあまりにも凡庸であり拙劣であり、またアニメや漫画やその他もろもろ……三島氏や澁澤氏が生きていた時代には存在しなかった雑多なものに、すでに心をからめとられているからです。
そして、それゆえに私はまだまだ生きていたいと願うからです。
今回の妄想は、私がゆるぎない生への執着を心の中にいつも燃やし続けていることを前提にお読みください。って、ここまで書いている文章を読んで、すでに皆さまあきれ返って、このあとの駄文を読むことはないでしょうが。それであればこそ、私も心置きなく妄想をメモすることができるのですが。
とりあえず私が思っていることを書きます。
市ヶ谷で割腹自殺を遂げた三島氏は、ヴェトナム戦争に反対して抗議の焼身自殺を遂げた僧侶と重なります。
どちらも、何かしらの精神的危機に追い込まれ衝動的に自殺した……という凡百のそれとは異なります。おそらくですが、自分の意志で、よりによって非常に苦痛を伴うであろう方法により自殺をしようと思ったのです。
どうして?
そのことを検索すれば、なんやかんやと情報が見つかるでしょう。時間も空間も異なる人たちがそれぞれに推測して論じていることでしょう。しかし、私はそういうのを見ようとは思いません。
彼らのことを思えば、どうしても客観的になれないからです。
どうしても、どうしても軍服に身を包み関孫六を携えて市ヶ谷に飛び込んだ三島氏やガソリンを持って往来に出ていった僧侶に、自分自身を重ねてしまうのです。まるで自分がその当事者になったようなイメージを持ってしまうのです。
その日――自分が切腹や焼身といった、凄惨極まりない、およそ人間が知覚できる最大限の苦痛を伴う死を、自分自身の手で行う時、どういう気持ちなんだろう。
たとえば、明日の朝、それをすると決めていたら。
「今日は寝る。明日起きる。そして明日の正午に自分は死ぬ。自分の手で。自分の意志で。」
「ガソリンをかぶって、自分で火をつける」
「鋭い刀を自分の腹につきたてる。さらに突き立てた刀を、意志をもって真横に滑らせる。そして自分の腹筋と内臓をズタズタに切り裂く」
1月19日にそうすると1月1日に決めて、それまで、どんな思いで生きるのか。
その日、何を思うのか。
前の日の夜、何を思うのか。
「豊饒の海」の最終稿を、切腹する日にまとめ上げた三島氏はどう思っていたのか。
その前の日の夜、何を思っていたのか。
今、何を思うのか。
今……。
何を……………………。
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おはようございます。
ラブライブサンシャインの映画を見てきました
いぬがみです(昨日、レイトショーで)。
ほとんどまともにテレビシリーズを見ず、予備知識もさほど持たず、ただただ津島善子という体で行ってみました。
色々と感動しました。
詳細なことは省きますが、ひとつ再確認したことがありました。それは私自身がAqoursとは別に気づき、大事にしてきたことなんですが。
要するに、
「たとい物理的な要因で離れていても、心はずっとつながっている」
ということです。
この三連休、初日こそバイクで往復100キロの小旅行をしたりとアクティブな感じでありましたが、昨日と今日は主に部屋の片づけをしていました。何せ次々と本を買い込むので、さすがにある程度整理しないとパンクしてしまうのです部屋がね。
それと同時に「あ~昔読んだあの本どこ行ったっけかなあ?」という思いに駆られることが時々あったので、いったん整理してやろうと思い、相当な時間と手間をかけてひっくり返しました。
そして200冊以上の古本を処分し、まあそれでも十分ではないのですが、とりあえず読みたい本や忘れていた本がごっそり見つかったので十分な成果があったのかなと判断。
「よっしゃ、今日はこのぐらいにしといたるわ」
と池乃めだか師匠の物まねでひとりごち、現在は若干とっ散らかったままの部屋を片付ける最終段階に入ろうかというところです。その途中で思ったことを書き留めておこうと思い、この記事を書いています。
懐かしい本と一緒に、懐かしい「写真」が出てきました。あと、スクデット。要するにトロフィーですね。それの楯バージョン。
ひとつは、もともと額縁に入れてしまっていたのですが、四つ切に引き伸ばした写真。そこに写っているのは、まつ毛の手入れをしている女子高生を真横から写したもの。タイトルは確か「真剣な女」だったかな。20年前、部室の整理をしている時に見つけ、処分される前にパネルから引きはがして回収したものです。
この被写体の女性は私の一年先輩でした。その学年の部員は女子が二人いて、もうひとりの方は明朗快活、部活に関する運営もテキパキ/サバサバとこなす人でした。一方でこの先輩はどちらかというと口数は控えめで、話すよりも考えることが好きな雰囲気の人でした。
そして、その先輩のことが、私は好きでした。いっしょに話をするのが楽しくて、その先輩がCoccoが好きだというとすぐにCDをレンタルしてきて、カセットテープにダビングして(時代ですね~)、通学途中の自転車でしょっちゅう聞いていました。
ところが、やはり同学年の女子の友達が欲しかったのか。その先輩は3年生の夏休み明けには辞めてしまいました。運動部ならそれもいいんでしょうが、私たち文化部は秋の文化祭が最後の晴れ舞台ですからね。それまで一緒にやりたかったのですが、まあ……今更どうこう言っても仕方がないことです。
時々過去に戻って歴史を修正したいと思うこともありますが、これに関しては、戻ったところで手の出しようがない気がしますし。今はただ小林秀雄先生にならい、あれこれと余計な思いを抱くことなく、ただその事実だけを懐かしむことにしましょう。
そしてもうひとつは、私が1997年の夏、宮古市は浄土ヶ浜において撮影した幼い兄妹の写真。タイトルはそのまま「兄妹」ですが、これ、なんと文化部の甲子園こと全国高等学校総合文化祭岩手県大会写真部門……ハァハァ……において、優秀賞をいただいたんです。もうね、全校クラスで表彰されるレベルですよ。そして極度の恥ずかしがりや(今でいう自閉スペクトラム症)だった私は登壇をボイコット。同じ部に所属していて、一ランク上の「最優秀賞」を受けた女の子に替え玉をさせるという蛮行を実施してしまいました。
これに関しては歴史改変したい気持ちが今でも起こります。しかしながら、その後全国大会へ行くことを泣きながら拒否した彼女に代わって、私が鳥取県米子市までロングジャーニーしたので、貸し借りなしと言えばそうなのかもしれませんが。そしてこの米子市のアーケード街にある古本屋で出会った「ルイス・キャロル詩集」がその後の私の人生に大きな影響を与えた……のですが、これはまた別な機会に。
写真の話に戻ります。
もう20年以上経ったし、何もかもが時効だと思うので語りますが、この写真はいわゆる「写真合宿」で撮影したものです。当時の顧問はいわば上級アマチュアカメラマンで、撮影技法や構図の捉え方などに一家言がある人でした。それゆえに、サボりたい人たちの吹き溜まりに近かった
当時の写真部から、やる気のなさげな人たちを一掃。当時違う部活から「サボれるから」という理由で異動した私もその対象になりかけたのですが、
「やらなきゃいけないことは、やる」
ということでまじめにコツコツと取り組みました。それを認めてくれたのか、あるいは単純に誰も行きたがらなかったのか、私と私と同学年の友人ふたりだけで顧問の愛車ハイエースに乗り私たちの学校から東に100キロほど離れた海岸の民宿に泊まり写真を撮りまくったのでした。
そうやって撮りまくった写真が文化祭の審査員の目に留まり、さらにそれが岩手日報の記者の目に留まり、「日報キャビネコンテスト」にそこそこデカいサイズで掲載されました。そしてその写真を見た被写体の家族がびっくりして岩手日報に問い合わせ小騒動になりました。そう、遠距離からズームレンズでビシバシ撮った、無断撮影写真だったのです。
当時からプライバシーなんたらという問題意識がないわけではありませんでしたが、今ほど情報化社会が進んでいなかったのでね。掲載されたのも別に週刊文春とか投稿写真とかじゃなくて岩手日報の写真コンテストですからね。ちょっとしたドッキリ小騒動ではありましたが、最終的には認めてもらえたので良かったです。
当時の部の備品カメラは「EOS650」と「EOS1000」。当時としても10年選手であり、まあペンタックスSPでフルマニュアル撮影(ただし露光計を除く)の楽しさに目覚めてしまった現在の私からしてみれば電子制御のカタマリと言ってもいいこれは……いや、いいカメラですよ。
何せ初心者が服を着て歩ていたような16歳のコゾーが、優秀賞を頂けるような写真が撮れるんですから。実際ズームレンズでレイアウトも自由自在だし、むつかしーことは全部コンピュータが計算してくれるし。――もっとも、プログラムAEは「バカチョンは使うな」という顧問の意向により使用禁止であり、絞り優先AEまたはシャッター速度優先AEなど、ある程度人間の意志があって、コンピュータがそれをサポートして……という写し方だったのですが。
うん、実際、カメラに関する基本的な知識は、その後も色々と入門書とかを読みましたが、結局この顧問から直に教えられたことしか、身に沁み込んでませんね。やっぱり実際にやってみたことしか、生きてこないんです。
その顧問は一年ほどで異動になり、次にやってきたのは「写真は好きだけど技術はいまいち」な先生でしたからね。その年の夏には私が好きな先輩がいなくなっちゃうし、ある意味、灰色の青春です。結局最初からクライマックス、あとは頽廃デカダンスな高校生活でした。まあそれはいいんですが。
さて話が随分と長くなってしまいましたが、その時にパネルに引き伸ばす前の試し焼き写真が出てきたのです。
忘れようとした時もありました。そのあと、思い出して、取り戻そうとしました。
だいぶん、出来上がってきました。ファミコンの「火の鳥」のように、たくさんのピースに分断された私の過去が、徐々にひとつの絵になってきました。
まあ、絵というか、一本の道のようなものなんですけどね。
「あの時、あんなことがあったっけな」
そうやって過去を懐かしむ行為は後ろ向きな、ネガティブな行為だと思っていたこともありましたが、30を過ぎた頃から、変わってきました。
「あの時、あんなことがあったから、今はこうしているんだな」
過去を点検し、現在を確認する。
そして未来への指針を定め、歩いていく。または、走っていく。
「過去・現在・未来の区別は単なる幻想にすぎない」
アインシュタインはそんな風に言っていますが、それよりも私はブレット・ハートの言葉の方が好きです。すなわち、
「現在、過去、未来においても俺が最高だ」
ということです(※)。
いいこといっちゃったかな。
※ 実はブレット・ハートも映画からセリフを引用していたらしいですが、私はその映画を見ていないので、ブレット・ハートの言葉として引用させていただきました。
ラブライブサンシャインの映画を見てきました
いぬがみです(昨日、レイトショーで)。
ほとんどまともにテレビシリーズを見ず、予備知識もさほど持たず、ただただ津島善子という体で行ってみました。
色々と感動しました。
詳細なことは省きますが、ひとつ再確認したことがありました。それは私自身がAqoursとは別に気づき、大事にしてきたことなんですが。
要するに、
「たとい物理的な要因で離れていても、心はずっとつながっている」
ということです。
この三連休、初日こそバイクで往復100キロの小旅行をしたりとアクティブな感じでありましたが、昨日と今日は主に部屋の片づけをしていました。何せ次々と本を買い込むので、さすがにある程度整理しないとパンクしてしまうのです部屋がね。
それと同時に「あ~昔読んだあの本どこ行ったっけかなあ?」という思いに駆られることが時々あったので、いったん整理してやろうと思い、相当な時間と手間をかけてひっくり返しました。
そして200冊以上の古本を処分し、まあそれでも十分ではないのですが、とりあえず読みたい本や忘れていた本がごっそり見つかったので十分な成果があったのかなと判断。
「よっしゃ、今日はこのぐらいにしといたるわ」
と池乃めだか師匠の物まねでひとりごち、現在は若干とっ散らかったままの部屋を片付ける最終段階に入ろうかというところです。その途中で思ったことを書き留めておこうと思い、この記事を書いています。
懐かしい本と一緒に、懐かしい「写真」が出てきました。あと、スクデット。要するにトロフィーですね。それの楯バージョン。
ひとつは、もともと額縁に入れてしまっていたのですが、四つ切に引き伸ばした写真。そこに写っているのは、まつ毛の手入れをしている女子高生を真横から写したもの。タイトルは確か「真剣な女」だったかな。20年前、部室の整理をしている時に見つけ、処分される前にパネルから引きはがして回収したものです。
この被写体の女性は私の一年先輩でした。その学年の部員は女子が二人いて、もうひとりの方は明朗快活、部活に関する運営もテキパキ/サバサバとこなす人でした。一方でこの先輩はどちらかというと口数は控えめで、話すよりも考えることが好きな雰囲気の人でした。
そして、その先輩のことが、私は好きでした。いっしょに話をするのが楽しくて、その先輩がCoccoが好きだというとすぐにCDをレンタルしてきて、カセットテープにダビングして(時代ですね~)、通学途中の自転車でしょっちゅう聞いていました。
ところが、やはり同学年の女子の友達が欲しかったのか。その先輩は3年生の夏休み明けには辞めてしまいました。運動部ならそれもいいんでしょうが、私たち文化部は秋の文化祭が最後の晴れ舞台ですからね。それまで一緒にやりたかったのですが、まあ……今更どうこう言っても仕方がないことです。
時々過去に戻って歴史を修正したいと思うこともありますが、これに関しては、戻ったところで手の出しようがない気がしますし。今はただ小林秀雄先生にならい、あれこれと余計な思いを抱くことなく、ただその事実だけを懐かしむことにしましょう。
そしてもうひとつは、私が1997年の夏、宮古市は浄土ヶ浜において撮影した幼い兄妹の写真。タイトルはそのまま「兄妹」ですが、これ、なんと文化部の甲子園こと全国高等学校総合文化祭岩手県大会写真部門……ハァハァ……において、優秀賞をいただいたんです。もうね、全校クラスで表彰されるレベルですよ。そして極度の恥ずかしがりや(今でいう自閉スペクトラム症)だった私は登壇をボイコット。同じ部に所属していて、一ランク上の「最優秀賞」を受けた女の子に替え玉をさせるという蛮行を実施してしまいました。
これに関しては歴史改変したい気持ちが今でも起こります。しかしながら、その後全国大会へ行くことを泣きながら拒否した彼女に代わって、私が鳥取県米子市までロングジャーニーしたので、貸し借りなしと言えばそうなのかもしれませんが。そしてこの米子市のアーケード街にある古本屋で出会った「ルイス・キャロル詩集」がその後の私の人生に大きな影響を与えた……のですが、これはまた別な機会に。
写真の話に戻ります。
もう20年以上経ったし、何もかもが時効だと思うので語りますが、この写真はいわゆる「写真合宿」で撮影したものです。当時の顧問はいわば上級アマチュアカメラマンで、撮影技法や構図の捉え方などに一家言がある人でした。それゆえに、サボりたい人たちの吹き溜まりに近かった
当時の写真部から、やる気のなさげな人たちを一掃。当時違う部活から「サボれるから」という理由で異動した私もその対象になりかけたのですが、
「やらなきゃいけないことは、やる」
ということでまじめにコツコツと取り組みました。それを認めてくれたのか、あるいは単純に誰も行きたがらなかったのか、私と私と同学年の友人ふたりだけで顧問の愛車ハイエースに乗り私たちの学校から東に100キロほど離れた海岸の民宿に泊まり写真を撮りまくったのでした。
そうやって撮りまくった写真が文化祭の審査員の目に留まり、さらにそれが岩手日報の記者の目に留まり、「日報キャビネコンテスト」にそこそこデカいサイズで掲載されました。そしてその写真を見た被写体の家族がびっくりして岩手日報に問い合わせ小騒動になりました。そう、遠距離からズームレンズでビシバシ撮った、無断撮影写真だったのです。
当時からプライバシーなんたらという問題意識がないわけではありませんでしたが、今ほど情報化社会が進んでいなかったのでね。掲載されたのも別に週刊文春とか投稿写真とかじゃなくて岩手日報の写真コンテストですからね。ちょっとしたドッキリ小騒動ではありましたが、最終的には認めてもらえたので良かったです。
当時の部の備品カメラは「EOS650」と「EOS1000」。当時としても10年選手であり、まあペンタックスSPでフルマニュアル撮影(ただし露光計を除く)の楽しさに目覚めてしまった現在の私からしてみれば電子制御のカタマリと言ってもいいこれは……いや、いいカメラですよ。
何せ初心者が服を着て歩ていたような16歳のコゾーが、優秀賞を頂けるような写真が撮れるんですから。実際ズームレンズでレイアウトも自由自在だし、むつかしーことは全部コンピュータが計算してくれるし。――もっとも、プログラムAEは「バカチョンは使うな」という顧問の意向により使用禁止であり、絞り優先AEまたはシャッター速度優先AEなど、ある程度人間の意志があって、コンピュータがそれをサポートして……という写し方だったのですが。
うん、実際、カメラに関する基本的な知識は、その後も色々と入門書とかを読みましたが、結局この顧問から直に教えられたことしか、身に沁み込んでませんね。やっぱり実際にやってみたことしか、生きてこないんです。
その顧問は一年ほどで異動になり、次にやってきたのは「写真は好きだけど技術はいまいち」な先生でしたからね。その年の夏には私が好きな先輩がいなくなっちゃうし、ある意味、灰色の青春です。結局最初からクライマックス、あとは頽廃デカダンスな高校生活でした。まあそれはいいんですが。
さて話が随分と長くなってしまいましたが、その時にパネルに引き伸ばす前の試し焼き写真が出てきたのです。
忘れようとした時もありました。そのあと、思い出して、取り戻そうとしました。
だいぶん、出来上がってきました。ファミコンの「火の鳥」のように、たくさんのピースに分断された私の過去が、徐々にひとつの絵になってきました。
まあ、絵というか、一本の道のようなものなんですけどね。
「あの時、あんなことがあったっけな」
そうやって過去を懐かしむ行為は後ろ向きな、ネガティブな行為だと思っていたこともありましたが、30を過ぎた頃から、変わってきました。
「あの時、あんなことがあったから、今はこうしているんだな」
過去を点検し、現在を確認する。
そして未来への指針を定め、歩いていく。または、走っていく。
「過去・現在・未来の区別は単なる幻想にすぎない」
アインシュタインはそんな風に言っていますが、それよりも私はブレット・ハートの言葉の方が好きです。すなわち、
「現在、過去、未来においても俺が最高だ」
ということです(※)。
いいこといっちゃったかな。
※ 実はブレット・ハートも映画からセリフを引用していたらしいですが、私はその映画を見ていないので、ブレット・ハートの言葉として引用させていただきました。
こんばんは。
調べられることを調べない
いぬがみです。
「太陽と鉄」と「三島由紀夫おぼえがき」を交互に読んでいます。
すでにお二方とも幽明境を異に(この言い回しも、澁澤氏の、三島氏を悼むエッセイで覚えました)されているので、なおかつどうせこのブログも誰も見ていないので、こんな冗談を言わせていただいても咎められることもないでしょう。
すなわち三島氏がF104に同乗体験したことと、私がオートバイに乗って走り回ることは、ある意味では異次元の世界を垣間見たという意味で同じである、ということです。私はまさにこの時点で、三島氏と自分自身をぴたりと重ね合わせられるのです。ただ私の肉体はいまだ鉄による鍛錬(三島氏ふうに言えば『耕す』こと)が完了していないので、あくまでも精神薄弱者の虚妄に過ぎないのですが。あるいは悪い冗談。
それにしても、先日のノベライズ版『ウルトラセブンX』は一時間ちょっとで一冊丸ごと読み終えてしまったのですが、さすが三島氏の言葉です。2時間以上かけて、ようやく「エピロオグ――F104」まで読み終えました。
じつに濃厚です。
濃厚すぎて、手元にあるスマートフォンで、今テレビに映っているCMの主演女優が誰なのかということを検索さえしません。この時代、些細なことでも検索して検索して検索すれば大体のことがわかります。
あの人は誰だ? その人はこういう人です。誰でも、あっという間に知ることができます。
でも、それを、あえてしない。その分のリソースを、より良質なものに傾ける。
うまく説明できないんですが、同じ文章を読むにしても、デジタルな画面に映ったものより紙に印刷したものの方が頭に入るんですよね。だから基本的に、電子書籍というのは好きにはなれません。Web連載されている漫画も、気に入ったものは紙で買います。
だから、こうやってデジタルに書いている文章も、きっと誰の心にも残らないでしょう。情報減衰。やがて消滅するうたかたの夢。
……な~んてね~!(「ザ・クイズショウ」の片桐仁さん風オチ)
調べられることを調べない
いぬがみです。
「太陽と鉄」と「三島由紀夫おぼえがき」を交互に読んでいます。
すでにお二方とも幽明境を異に(この言い回しも、澁澤氏の、三島氏を悼むエッセイで覚えました)されているので、なおかつどうせこのブログも誰も見ていないので、こんな冗談を言わせていただいても咎められることもないでしょう。
すなわち三島氏がF104に同乗体験したことと、私がオートバイに乗って走り回ることは、ある意味では異次元の世界を垣間見たという意味で同じである、ということです。私はまさにこの時点で、三島氏と自分自身をぴたりと重ね合わせられるのです。ただ私の肉体はいまだ鉄による鍛錬(三島氏ふうに言えば『耕す』こと)が完了していないので、あくまでも精神薄弱者の虚妄に過ぎないのですが。あるいは悪い冗談。
それにしても、先日のノベライズ版『ウルトラセブンX』は一時間ちょっとで一冊丸ごと読み終えてしまったのですが、さすが三島氏の言葉です。2時間以上かけて、ようやく「エピロオグ――F104」まで読み終えました。
じつに濃厚です。
濃厚すぎて、手元にあるスマートフォンで、今テレビに映っているCMの主演女優が誰なのかということを検索さえしません。この時代、些細なことでも検索して検索して検索すれば大体のことがわかります。
あの人は誰だ? その人はこういう人です。誰でも、あっという間に知ることができます。
でも、それを、あえてしない。その分のリソースを、より良質なものに傾ける。
うまく説明できないんですが、同じ文章を読むにしても、デジタルな画面に映ったものより紙に印刷したものの方が頭に入るんですよね。だから基本的に、電子書籍というのは好きにはなれません。Web連載されている漫画も、気に入ったものは紙で買います。
だから、こうやってデジタルに書いている文章も、きっと誰の心にも残らないでしょう。情報減衰。やがて消滅するうたかたの夢。
……な~んてね~!(「ザ・クイズショウ」の片桐仁さん風オチ)
おはようございます。
過去現在未来
いぬがみです。
今年一発目の更新というわけですが、それとはあんまり関係なく、本棚の整理をしました。ブックオフではなく変な中古雑貨店に本を持ち込んでしまったせいか、100冊で70円という金額を付けられ、かといって持ち帰るのもおっくうなので、結局、私の20年の歴史は70円でゴミになってしまいました。
そしてゴミとして処分され、私は過去を捨てた男……断捨離という言葉は嫌いですが、私もまた、そうやって過去を切り捨て物質を消費して老いさらばえて朽ち果てるのでしょう……と悲観するつもりはまったくありません。
100冊処分しても、まだまだ本はたくさんあるからです。しかも逆に、もはや自分の手の届かないどこかに行ってしまったと思っていた本がザクザクと出てきたからです。
河合隼雄先生とユング関連の本。村山早紀先生の「ルリユール」。「ウルトラセブンX」のノベライズ版。中島らもさんの「固いおとうふ」。そして、もう一度買いなおす覚悟で日ごと古本屋に行くたび探していた澁澤龍彦氏の「三島由紀夫おぼえがき」をはじめとする著書の数々……。
この流れは社会人時代→大学時代→高校時代という逆スライド時系列に基づいています。そうです、私は十七歳で村山早紀と澁澤龍彦をチャンポンにして読み漁り、その勢いでサドの『悪徳の栄え』『新ジュスティーヌ』の悪魔的饗宴に耽溺しつつルイス・キャロルのノンセンス的な空想的世界を泳いでいたのです。
その後、司馬遼太郎・山岡荘八といった大御所作家の大型時代小説をがっつり平らげ、吉村昭・坂井三郎らノンフィクション的なものもかじり……と、まあ私の読書遍歴をつらつらと並べても仕方ないのでこの辺にしておきますが、要するに、まだまだ私の場合、本を読む意欲は衰えていないなというのを感じました。
高校時代、大学時代につちかった読書のスキル。……いや、まあ本を読むことは別にスキルでもステータスでもないと思うんですけどね。ただ、やっぱり本を読むってある程度能動的な要素がありますからね。スマホで動画を見るように、何も考えないでボーっとしていても流れてくるものじゃないですから。あえてこういう言い方をしました。すみません話を戻します。
それが社会人になって「忙しい」とか「現実を生きなくちゃ」とかいって本から遠ざかっていましたが、毎日起きると同時につけていたパソコンが故障した2013年、120冊くらい本を読んで、「ああ、やっぱり本って面白いな」と再確認。
その後、転職して空き時間がメチャクチャになって、休憩時間は主に寝て過ごすようになって、またしばらく本から遠ざかっていたのですが……最近はADHD/ASD関連の本だったりバイク関連の本だったり、ジャンルはメチャクチャですが、とにかく漫画ではない本を読んでいます。そして今回、私の中では最重要書籍の一つと言っていい「三島由紀夫おぼえがき」が出てきたことで、いよいよ、ずっと目に見えるところにありながら手に取らなかった「太陽と鉄」が生きてきます。
精神障害とコンサータによって毎日過剰にエキサイティングな状態が続いている今日この頃。タバコでそれを抑えていたのですが、最近はそれも控えるようになりました。そうすると、もはやじっとしていられないくらいの興奮感が全身を駆け巡るので、またまた体を鍛えてみようかと思うのです。
いわゆる筋トレっていうと、なんかちょっとスポーティな感じがするんですよね。あるいは松本人志さんの「マツザップ」みたいな、「あの~マツザップというのは、気が狂うまでやるという」というような。
それに対して私は、文武両道を体現した三島氏を目標として体づくりをやっていこうかと思います。厳しく研ぎ澄まされた日本刀のごとき鋼鉄の肉体と、それに包まれた精神。それは今、極端に緊張した精神をどう制御し、どう生きていけばいいのか苦しんでいる私のひとつの理想形と言ってもいいでしょう。
筋肉だけではなく、精神だけでもなく。暴れたがる精神を鍛え上げた肉体が包み込み、血液が沸騰するようにたぎる肉体を精神が抑える。そのバランス領域を高め続けることで、おそらく私の理想とする境地が見えてくるのでしょう。その境地にたどり着いた時、私がどうするのかはわかりませんが。
自分が境地にたどり着いたことを峻烈極まる行動でアピールして果てるのか。あるいは、いつまでも境地がどこなのか見つけられないまま還暦を目前に静脈瘤破裂かなんかで死んでしまうのか。はたまた何事もなく、ついでに医療技術の進歩によって長寿高齢化が進み、2061年くらいまで生きてハレー彗星を見上げ、「なあんだ、たいしたことなかったな……」と晩年の澁澤龍彦氏の物まねでうそぶいているのか。
どうも、お酒を飲んでいるわけでもないのに、朝から随分と長い文章を書いてしまいました。
昨今SNSという言葉が一般的に広がり、それに対して自閉スペクトラム症の私は若干の抵抗感を覚えています。言葉に対してというか、SNSそのものに対して。別にそうまでして誰かとつながりを求めたいとは思わないのです。
そうなると、このブログもSNSというやつなのか? じゃあ自分はどうしてブログをやっているのだ? と自問自答。それにこたえられないのであれば、このまま2019年はブログ更新をせずに生きていこう……と思っていたのですが、要するに備忘録ですね。あとで自分が振り返った時に、すぐに思い出せるように。
だから、この記事を読んで誰かが共感できるかと言えば、たぶん誰も共感できないでしょう。それで結構です。
でも、もしも誰かが何らかのきっかけでこの記事を読み、何かを感じることがあるかもしれませんからね。オープンしなければ誰も絶対に見ることはないでしょうけど、オープンにしていれば、その可能性はゼロではありませんから。
そして私も、それを意識して書き続けることで、よりいっそう精神を磨くことができるでしょう。ちなみに私の好きな日本刀は関孫六です。それはもちろん、あの人(※)が持っていたからです。
※ 「帝都物語」の主人公? である加藤保憲が持っていた刀です。映画やアニメになった時代ではなく、物語の後半、昭和編ですけどね。そしてその刀を元々持っていたのは平岡公威氏です。
過去現在未来
いぬがみです。
今年一発目の更新というわけですが、それとはあんまり関係なく、本棚の整理をしました。ブックオフではなく変な中古雑貨店に本を持ち込んでしまったせいか、100冊で70円という金額を付けられ、かといって持ち帰るのもおっくうなので、結局、私の20年の歴史は70円でゴミになってしまいました。
そしてゴミとして処分され、私は過去を捨てた男……断捨離という言葉は嫌いですが、私もまた、そうやって過去を切り捨て物質を消費して老いさらばえて朽ち果てるのでしょう……と悲観するつもりはまったくありません。
100冊処分しても、まだまだ本はたくさんあるからです。しかも逆に、もはや自分の手の届かないどこかに行ってしまったと思っていた本がザクザクと出てきたからです。
河合隼雄先生とユング関連の本。村山早紀先生の「ルリユール」。「ウルトラセブンX」のノベライズ版。中島らもさんの「固いおとうふ」。そして、もう一度買いなおす覚悟で日ごと古本屋に行くたび探していた澁澤龍彦氏の「三島由紀夫おぼえがき」をはじめとする著書の数々……。
この流れは社会人時代→大学時代→高校時代という逆スライド時系列に基づいています。そうです、私は十七歳で村山早紀と澁澤龍彦をチャンポンにして読み漁り、その勢いでサドの『悪徳の栄え』『新ジュスティーヌ』の悪魔的饗宴に耽溺しつつルイス・キャロルのノンセンス的な空想的世界を泳いでいたのです。
その後、司馬遼太郎・山岡荘八といった大御所作家の大型時代小説をがっつり平らげ、吉村昭・坂井三郎らノンフィクション的なものもかじり……と、まあ私の読書遍歴をつらつらと並べても仕方ないのでこの辺にしておきますが、要するに、まだまだ私の場合、本を読む意欲は衰えていないなというのを感じました。
高校時代、大学時代につちかった読書のスキル。……いや、まあ本を読むことは別にスキルでもステータスでもないと思うんですけどね。ただ、やっぱり本を読むってある程度能動的な要素がありますからね。スマホで動画を見るように、何も考えないでボーっとしていても流れてくるものじゃないですから。あえてこういう言い方をしました。すみません話を戻します。
それが社会人になって「忙しい」とか「現実を生きなくちゃ」とかいって本から遠ざかっていましたが、毎日起きると同時につけていたパソコンが故障した2013年、120冊くらい本を読んで、「ああ、やっぱり本って面白いな」と再確認。
その後、転職して空き時間がメチャクチャになって、休憩時間は主に寝て過ごすようになって、またしばらく本から遠ざかっていたのですが……最近はADHD/ASD関連の本だったりバイク関連の本だったり、ジャンルはメチャクチャですが、とにかく漫画ではない本を読んでいます。そして今回、私の中では最重要書籍の一つと言っていい「三島由紀夫おぼえがき」が出てきたことで、いよいよ、ずっと目に見えるところにありながら手に取らなかった「太陽と鉄」が生きてきます。
精神障害とコンサータによって毎日過剰にエキサイティングな状態が続いている今日この頃。タバコでそれを抑えていたのですが、最近はそれも控えるようになりました。そうすると、もはやじっとしていられないくらいの興奮感が全身を駆け巡るので、またまた体を鍛えてみようかと思うのです。
いわゆる筋トレっていうと、なんかちょっとスポーティな感じがするんですよね。あるいは松本人志さんの「マツザップ」みたいな、「あの~マツザップというのは、気が狂うまでやるという」というような。
それに対して私は、文武両道を体現した三島氏を目標として体づくりをやっていこうかと思います。厳しく研ぎ澄まされた日本刀のごとき鋼鉄の肉体と、それに包まれた精神。それは今、極端に緊張した精神をどう制御し、どう生きていけばいいのか苦しんでいる私のひとつの理想形と言ってもいいでしょう。
筋肉だけではなく、精神だけでもなく。暴れたがる精神を鍛え上げた肉体が包み込み、血液が沸騰するようにたぎる肉体を精神が抑える。そのバランス領域を高め続けることで、おそらく私の理想とする境地が見えてくるのでしょう。その境地にたどり着いた時、私がどうするのかはわかりませんが。
自分が境地にたどり着いたことを峻烈極まる行動でアピールして果てるのか。あるいは、いつまでも境地がどこなのか見つけられないまま還暦を目前に静脈瘤破裂かなんかで死んでしまうのか。はたまた何事もなく、ついでに医療技術の進歩によって長寿高齢化が進み、2061年くらいまで生きてハレー彗星を見上げ、「なあんだ、たいしたことなかったな……」と晩年の澁澤龍彦氏の物まねでうそぶいているのか。
どうも、お酒を飲んでいるわけでもないのに、朝から随分と長い文章を書いてしまいました。
昨今SNSという言葉が一般的に広がり、それに対して自閉スペクトラム症の私は若干の抵抗感を覚えています。言葉に対してというか、SNSそのものに対して。別にそうまでして誰かとつながりを求めたいとは思わないのです。
そうなると、このブログもSNSというやつなのか? じゃあ自分はどうしてブログをやっているのだ? と自問自答。それにこたえられないのであれば、このまま2019年はブログ更新をせずに生きていこう……と思っていたのですが、要するに備忘録ですね。あとで自分が振り返った時に、すぐに思い出せるように。
だから、この記事を読んで誰かが共感できるかと言えば、たぶん誰も共感できないでしょう。それで結構です。
でも、もしも誰かが何らかのきっかけでこの記事を読み、何かを感じることがあるかもしれませんからね。オープンしなければ誰も絶対に見ることはないでしょうけど、オープンにしていれば、その可能性はゼロではありませんから。
そして私も、それを意識して書き続けることで、よりいっそう精神を磨くことができるでしょう。ちなみに私の好きな日本刀は関孫六です。それはもちろん、あの人(※)が持っていたからです。
※ 「帝都物語」の主人公? である加藤保憲が持っていた刀です。映画やアニメになった時代ではなく、物語の後半、昭和編ですけどね。そしてその刀を元々持っていたのは平岡公威氏です。
こんにちは。
皆様、いかがお過ごしでしょうか
いぬがみです。
さて年の瀬も押し迫ってきて、今年もこの年末特集を組んでみたわけですが、そこでハタと気づいたことがありました。気づいたというか、その……早い話が、
「今年の上半期、何をしていたんだっけ」
ということですね。
わずかに残っているブログ記事などを見て、「車を買い替えた」「嫁と一緒に東京旅行」「生まれて初めてディズニーシー」など、それなりに大きなイベントがあったはずなんですが、下半期の、文字通り人生観が変わるっていうレベルでの出来事の連続に、すっかり消え失せていたみたいです。
そういうわけで、今年は簡潔に振り返っていきたいと思います。現在この記事を書きながら聞いているのは坂本龍一「変革の世紀」です。
7月、バイクの免許を取るべく教習所へ通う。一方で精神的負荷がメンタルの限界近くになりつつあったので、聖書の言葉に救われ始める。
8月、14年ぶりに行った精神科でADHDとASDであることが判明。
9月、10月、特になし。というか、「バイクの免許」「仕事の忙しさがピーク」「嫁の在留資格の更新」など、精神的な負荷が許容範囲の数倍のしかかり、もはやブログ更新どころではなくなる。この時期はもう周囲の人間に毎日のように「仕事をやめるか人間をやめるか」という話をしていたような気がします。
11月。ようやくバイクの免許を取得。さらに愛車(カワサキ・Dトラッカー125)を購入。未知の世界に飛び出すも、ほどなくしてバイクは冬季休眠。それでも家にあるスクーターで、わずかながらバイクライフを楽しむ。
12月。メリークリスマス、ミスターローレンス。
そんなところでしょうか。
バイクとコンサータとイエズス様――これらの存在が、私を救ってくださいました。コンサータによって無意識レベルの闇から引き上げられ、バイクによって前へ前へと進む力をもらい、その気持ちをもってイエズス様の恵みを受け入れられるようになったと思うのです。
科学が助けてくれたのか、神様が助けてくれたのか。
たぶん、どちらも正しいです。
でも、どちらが先に来るかと言えば、それは言うまでもありません。
良き出会いをもたらしてくれるのは、いつだって。……ね。
私はこの通りの障碍者ですから、いまだに罪を犯します。人間の、肉の欲に負けてしまいます。
でも、きっとイエズス様は、それを「よくないことだ!」と思っている私に、手を差し伸べてくださると思うのです。
だから私は生きているのです。
ONE LOVE 神に感謝
皆様、いかがお過ごしでしょうか
いぬがみです。
さて年の瀬も押し迫ってきて、今年もこの年末特集を組んでみたわけですが、そこでハタと気づいたことがありました。気づいたというか、その……早い話が、
「今年の上半期、何をしていたんだっけ」
ということですね。
わずかに残っているブログ記事などを見て、「車を買い替えた」「嫁と一緒に東京旅行」「生まれて初めてディズニーシー」など、それなりに大きなイベントがあったはずなんですが、下半期の、文字通り人生観が変わるっていうレベルでの出来事の連続に、すっかり消え失せていたみたいです。
そういうわけで、今年は簡潔に振り返っていきたいと思います。現在この記事を書きながら聞いているのは坂本龍一「変革の世紀」です。
7月、バイクの免許を取るべく教習所へ通う。一方で精神的負荷がメンタルの限界近くになりつつあったので、聖書の言葉に救われ始める。
8月、14年ぶりに行った精神科でADHDとASDであることが判明。
9月、10月、特になし。というか、「バイクの免許」「仕事の忙しさがピーク」「嫁の在留資格の更新」など、精神的な負荷が許容範囲の数倍のしかかり、もはやブログ更新どころではなくなる。この時期はもう周囲の人間に毎日のように「仕事をやめるか人間をやめるか」という話をしていたような気がします。
11月。ようやくバイクの免許を取得。さらに愛車(カワサキ・Dトラッカー125)を購入。未知の世界に飛び出すも、ほどなくしてバイクは冬季休眠。それでも家にあるスクーターで、わずかながらバイクライフを楽しむ。
12月。メリークリスマス、ミスターローレンス。
そんなところでしょうか。
バイクとコンサータとイエズス様――これらの存在が、私を救ってくださいました。コンサータによって無意識レベルの闇から引き上げられ、バイクによって前へ前へと進む力をもらい、その気持ちをもってイエズス様の恵みを受け入れられるようになったと思うのです。
科学が助けてくれたのか、神様が助けてくれたのか。
たぶん、どちらも正しいです。
でも、どちらが先に来るかと言えば、それは言うまでもありません。
良き出会いをもたらしてくれるのは、いつだって。……ね。
私はこの通りの障碍者ですから、いまだに罪を犯します。人間の、肉の欲に負けてしまいます。
でも、きっとイエズス様は、それを「よくないことだ!」と思っている私に、手を差し伸べてくださると思うのです。
だから私は生きているのです。
ONE LOVE 神に感謝
おはようございます。
メリークリスマス
いぬがみです。
NORADによればふぁーぜるくりすます(※)は昨夜の午後11時ころに東京上空を通過したのだといいます。その頃、私はココスで予約した「ラブライブ!サンシャイン!!」ケーキを食べ、ワインを飲み、聖夜をお祝いし喜びました。
今日は、さらにこの日を特別なものとするために、今朝「聖書放送」というアプリで仕込んだ情報をもとに書きます。アレルヤ!
さて、すでに皆さまもご存知の通り、マリア様は馬小屋で御子イエズス様を賜りました。
「マドモアゼル・マリア
あなたは懐妊あそばした
あなたは夫もないくせに
男のお子さんを生みになる。
大きにお邪魔さまでした、
ごめんあそばせ……」
こう言って天使が帰ってしまいます。
これはその少し前、いわゆる「受胎告知」の文言です。えらくそっけないのはジャン・コクトーが詩を書き、それを堀口大學氏が翻訳したからです。私はこれを澁澤龍彦『幻想の肖像』で読み衝撃を受けたのですが、まあそんなこんなで出産しました。
でも、馬小屋で。その日、宿に二人の泊まる場所がなかったから。
2018年現在でさえ馬小屋とは入ればウッと鼻をつまみたくなるようなにおいが立ち込める場所
です。ましてや当時の馬小屋と言えば、いわゆる衛生面とか、そう言う部分では非常に劣悪だったといわざるを得ません。そんな中で生まれたばかりの御子を飼い葉桶に預けたマリア様。そして成長し、人々を導く存在になられるわけですが、ええと、あんまり難しい話はよしましょう。大切なことがわからなくなってしまうから。
よし、今日のシメはこれにしよう。はい、うどんです。
……違います。
今日は1年のうちにいくつもある祝日の一つじゃないんです。クリスマスが終わったから次は正月だ、次はバレンタインデーだ、ホワイトデーだ、東映まんがまつりだ起爆(カンフル)剤まつりだ……って、次から次へと気持ちが移っていたんじゃ、疲れちゃいますよ。あと、お金ばっかり出て行って、何も残りませんよ。
今日は始まりの日です。2018年前に神様が地上に御子を与えてくれたことを祝福し、喜ぶ日です。そして、この喜びを毎日思い出し、かみしめ、再び次の日が訪れることを祈りながら、私たちは生きていかなければならないのです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
(マタイ福音書3章16節)
メリークリスマス! メリークリスマス、ミスターローレンス!
※ Father christmasすなわちサンタクロースのこと。イギリスではこういう呼び方をするのだそうです。そして映画『戦場のメリークリスマス』では、ビートたけしさんが演じるハラ軍曹がイギリス人捕虜であるロレンス中佐に自分がサンタクロースだという時、こういう言い方をしていました。 「今夜、私、ふぁーぜるくりすます! アハハ、ハハ、ハハッ!」
メリークリスマス
いぬがみです。
NORADによればふぁーぜるくりすます(※)は昨夜の午後11時ころに東京上空を通過したのだといいます。その頃、私はココスで予約した「ラブライブ!サンシャイン!!」ケーキを食べ、ワインを飲み、聖夜をお祝いし喜びました。
今日は、さらにこの日を特別なものとするために、今朝「聖書放送」というアプリで仕込んだ情報をもとに書きます。アレルヤ!
さて、すでに皆さまもご存知の通り、マリア様は馬小屋で御子イエズス様を賜りました。
「マドモアゼル・マリア
あなたは懐妊あそばした
あなたは夫もないくせに
男のお子さんを生みになる。
大きにお邪魔さまでした、
ごめんあそばせ……」
こう言って天使が帰ってしまいます。
これはその少し前、いわゆる「受胎告知」の文言です。えらくそっけないのはジャン・コクトーが詩を書き、それを堀口大學氏が翻訳したからです。私はこれを澁澤龍彦『幻想の肖像』で読み衝撃を受けたのですが、まあそんなこんなで出産しました。
でも、馬小屋で。その日、宿に二人の泊まる場所がなかったから。
2018年現在でさえ馬小屋とは入ればウッと鼻をつまみたくなるようなにおいが立ち込める場所
です。ましてや当時の馬小屋と言えば、いわゆる衛生面とか、そう言う部分では非常に劣悪だったといわざるを得ません。そんな中で生まれたばかりの御子を飼い葉桶に預けたマリア様。そして成長し、人々を導く存在になられるわけですが、ええと、あんまり難しい話はよしましょう。大切なことがわからなくなってしまうから。
よし、今日のシメはこれにしよう。はい、うどんです。
……違います。
今日は1年のうちにいくつもある祝日の一つじゃないんです。クリスマスが終わったから次は正月だ、次はバレンタインデーだ、ホワイトデーだ、東映まんがまつりだ起爆(カンフル)剤まつりだ……って、次から次へと気持ちが移っていたんじゃ、疲れちゃいますよ。あと、お金ばっかり出て行って、何も残りませんよ。
今日は始まりの日です。2018年前に神様が地上に御子を与えてくれたことを祝福し、喜ぶ日です。そして、この喜びを毎日思い出し、かみしめ、再び次の日が訪れることを祈りながら、私たちは生きていかなければならないのです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
(マタイ福音書3章16節)
メリークリスマス! メリークリスマス、ミスターローレンス!
※ Father christmasすなわちサンタクロースのこと。イギリスではこういう呼び方をするのだそうです。そして映画『戦場のメリークリスマス』では、ビートたけしさんが演じるハラ軍曹がイギリス人捕虜であるロレンス中佐に自分がサンタクロースだという時、こういう言い方をしていました。 「今夜、私、ふぁーぜるくりすます! アハハ、ハハ、ハハッ!」
こんばんは。
そしてメリークリスマス!
いぬがみです。
今日はどうしようかと思っていたのですが、映画を見てきました。「仮面ライダー 平成ジェネレーションズFOREVER」だったかな。今やってる仮面ライダーの映画です。
それ自体はとても面白かったのですが、ちょっと素敵な計らいが映画館で行われたのでそのことを書きます。
私が行ったのは盛岡の「ピカデリー」という映画館です。
盛岡の中心街には「映画館通り」というところがあります。これはその名の通り、何件もの映画館が立ち並び東宝東映日活その他……なんていうものがあったのですね。今は建物の老朽化やシネコンなどの影響で随分と寂しいものになってしまいましたが、それでも電線地中化など市政レベルで街を作っているので、とにかく映画館通りです。
今日映画館に入ると、一番後ろの席に身なりの整った老紳士が一人座っていました。おや? と思いつつ前から3列目に座り、上映の時を待っていた私。
……と、照明が暗くなる前に先ほどの老紳士がスクリーンの前に立ちました。
なんと、その人はこの映画館を運営する「南部興行」の社長さんだったのです。
そしてご挨拶とともにふるまわれたのは来場者へのクリスマスプレゼント。実に素敵なことです。極端にシステマティックな最近のシネコンなんかではありえないでしょう。あくまでも昔からのスタイルを貫く地元密着型の映画館だからこそ。
「今日こんな日に、映画なんか見ていていいんだろうか?」
そう思ったりもしました。
でも、こんな恵みにあずかることができたのだから、良かったのだと思います。
願わくば皆さんにも、神の恵みがありますように。メリークリスマス!
メリークリスマス! ミスターローレンス! (?)
そしてメリークリスマス!
いぬがみです。
今日はどうしようかと思っていたのですが、映画を見てきました。「仮面ライダー 平成ジェネレーションズFOREVER」だったかな。今やってる仮面ライダーの映画です。
それ自体はとても面白かったのですが、ちょっと素敵な計らいが映画館で行われたのでそのことを書きます。
私が行ったのは盛岡の「ピカデリー」という映画館です。
盛岡の中心街には「映画館通り」というところがあります。これはその名の通り、何件もの映画館が立ち並び東宝東映日活その他……なんていうものがあったのですね。今は建物の老朽化やシネコンなどの影響で随分と寂しいものになってしまいましたが、それでも電線地中化など市政レベルで街を作っているので、とにかく映画館通りです。
今日映画館に入ると、一番後ろの席に身なりの整った老紳士が一人座っていました。おや? と思いつつ前から3列目に座り、上映の時を待っていた私。
……と、照明が暗くなる前に先ほどの老紳士がスクリーンの前に立ちました。
なんと、その人はこの映画館を運営する「南部興行」の社長さんだったのです。
そしてご挨拶とともにふるまわれたのは来場者へのクリスマスプレゼント。実に素敵なことです。極端にシステマティックな最近のシネコンなんかではありえないでしょう。あくまでも昔からのスタイルを貫く地元密着型の映画館だからこそ。
「今日こんな日に、映画なんか見ていていいんだろうか?」
そう思ったりもしました。
でも、こんな恵みにあずかることができたのだから、良かったのだと思います。
願わくば皆さんにも、神の恵みがありますように。メリークリスマス!
メリークリスマス! ミスターローレンス! (?)
おはようございます。
人々の平和と安全を守るために
いぬがみです(私がそういうことをしているわけではなく)。
昨日は夜遅くに国道4号線を走ってきました。
午前0時の国道4号線は交通量が少なく、半ば湾岸ミッドナイト状態。70キロちょっとの速度で走っていても、それ以上の速度でぐんぐん抜いていく車がたくさんあります。
しかし、そんな無法運転者を取りしまるのが岩手県警察の皆さまです。深夜だろうと聖夜だろうとパトロールやインターセプトのためパトカーで出動しています。
特に昨日は。
遠目にも屋根の上にある赤色灯の光が見えれば自然とアクセルを緩めます。車の上ではなく鉄柱によって建てられたダミーの赤色灯もありますが、昨日のそれは本物でした。おっとっと……と、77キロくらいの速度を65キロくらいに調整し、パトカーの横を通り過ぎました。
そうしたところ、「おや!」と思ったことがありました。
まあ確かに赤色灯の形が白黒パトカーとは違ったんですよね。そういうのであれば四角くて大きなそれなんですが、私の目に入ったのは丸っこくて小さいの。それは近づいて車全体が見えた時確認しました。
そう、覆面パトカーだったんです。しかも、すでに誰かをとっつかまえている雰囲気でもない。
要するに、本来であれば一般車両に偽装して交通取り締まりを行うはずの覆面パトカーが、あえてその正体を明かし、我々ドライバーに自分の存在をアピールしていたのです。何のために? それはもちろん交通違反(主にスピード違反)そして交通事故を未然に防ぐためでしょう。直接インタビューしたわけではないので憶測でありますが、たぶんそうでしょう。とりあえず私はそう受け止めました。
そして、感動しました。
スピード違反の車があれば、それを取り締まらなければならない。それが警察官の仕事でしょうが、そもそも私たちがスピードを出さなければいいのです。お互いに面倒くさいことがありません。いいことしかありません。つまるところ交通安全とは、私たち一人一人が心がけなければ実現しえないことなのですから。
「以前オレは・・・警官になりたいと思っていた・・・
子供の頃から・・・ずっと、立派な警官に・・・なりたかったんだ・・・」
だから私は警察官という職業を務めている皆様に最大限の尊敬をしています。これからも私たち一般市民の平和と安全を守るために頑張ってもらいたいと思いますし、市民として協力していきたいと思います。
人々の平和と安全を守るために
いぬがみです(私がそういうことをしているわけではなく)。
昨日は夜遅くに国道4号線を走ってきました。
午前0時の国道4号線は交通量が少なく、半ば湾岸ミッドナイト状態。70キロちょっとの速度で走っていても、それ以上の速度でぐんぐん抜いていく車がたくさんあります。
しかし、そんな無法運転者を取りしまるのが岩手県警察の皆さまです。深夜だろうと聖夜だろうとパトロールやインターセプトのためパトカーで出動しています。
特に昨日は。
遠目にも屋根の上にある赤色灯の光が見えれば自然とアクセルを緩めます。車の上ではなく鉄柱によって建てられたダミーの赤色灯もありますが、昨日のそれは本物でした。おっとっと……と、77キロくらいの速度を65キロくらいに調整し、パトカーの横を通り過ぎました。
そうしたところ、「おや!」と思ったことがありました。
まあ確かに赤色灯の形が白黒パトカーとは違ったんですよね。そういうのであれば四角くて大きなそれなんですが、私の目に入ったのは丸っこくて小さいの。それは近づいて車全体が見えた時確認しました。
そう、覆面パトカーだったんです。しかも、すでに誰かをとっつかまえている雰囲気でもない。
要するに、本来であれば一般車両に偽装して交通取り締まりを行うはずの覆面パトカーが、あえてその正体を明かし、我々ドライバーに自分の存在をアピールしていたのです。何のために? それはもちろん交通違反(主にスピード違反)そして交通事故を未然に防ぐためでしょう。直接インタビューしたわけではないので憶測でありますが、たぶんそうでしょう。とりあえず私はそう受け止めました。
そして、感動しました。
スピード違反の車があれば、それを取り締まらなければならない。それが警察官の仕事でしょうが、そもそも私たちがスピードを出さなければいいのです。お互いに面倒くさいことがありません。いいことしかありません。つまるところ交通安全とは、私たち一人一人が心がけなければ実現しえないことなのですから。
「以前オレは・・・警官になりたいと思っていた・・・
子供の頃から・・・ずっと、立派な警官に・・・なりたかったんだ・・・」
だから私は警察官という職業を務めている皆様に最大限の尊敬をしています。これからも私たち一般市民の平和と安全を守るために頑張ってもらいたいと思いますし、市民として協力していきたいと思います。
こんばんは。
かける時に書く
いぬがみです。
前回、「バイクのエンジンがかかりづらいので、スロットルをぐりぐりしながらセルを回していたらかかった」という話をしました。そして、その方法はどうやら間違っているらしい……と。
そういうわけで今回はスロットルを回さず、セルスターターだけでエンジンをかけよう! と思い、やってみました。
かかりました。
私のやり方は、悪影響こそあってもいい影響はなかったんですね。訂正してお詫びいたします。失礼しました(職業アナウンサー的お辞儀)。
なんか違う車種のバイクがニコイチしてるし、マフラーとかエアファンネルとかついてるし、とにかく何が何だかわからない……そういうバイクだったのでね。ひとつひとつ確かめながら、「ああ、そういうことか……」と知っていく。そういうことです。そうやって少しずつ理解を深めていければいいなと思います。それが私の、この子に対する愛情です。
今日わかったのは、このバイク、どこまで手が入ってるのかわかりませんが、とりあえずインジェクション仕様だったということです。スタータースイッチをオンしたら「トコトコトコ……」と小さな音が聞こえてきました。いわゆる、燃料ポンプが動いている音ですね。
それがある程度生き渡ったかな? という準備時間を経て、スイッチオン!
ウルウルウル
まあ、なかなか始動しませんが、インジェクションとわかれば無駄な抵抗はしません。数秒ごとに一呼吸。インターバルを挟んで慎重に回します。
ウルウルブルウルウrブブブ
……な、何を言ってるのかわかんねーと思いますので、一応説明すると、セルモーターが回る音に混じってエンジンが始動しようとする音が聞こえてきたということですね。その様子を確かめながらセルを回し、ようようかかりました、と。そういう次第です。
ああ、やっぱりいいなあ、インジェクション。そして、セルスターター。
もう一台あるウチの弟者の愛車「スズキSX200」はキャブレター&キックスタート仕様であり、セルスターターなんて軟弱なものはありません。冬場にエンジンをかけるためには渾身の一撃が必要であります。
実際、私の稚拙な右足ではブルンッとかすかに鼓動しただけで、80年代バイクらしい爆音を響かせることはかないませんでした。まあ4ストロークなんですけどね。私の小虎(Dトラッカー125)は、やっぱり超厳しい騒音規制とかを切り抜けて世に出された代物ですから。まあこれに関しては弟者に任せることにしましょう。
かける時に書く
いぬがみです。
前回、「バイクのエンジンがかかりづらいので、スロットルをぐりぐりしながらセルを回していたらかかった」という話をしました。そして、その方法はどうやら間違っているらしい……と。
そういうわけで今回はスロットルを回さず、セルスターターだけでエンジンをかけよう! と思い、やってみました。
かかりました。
私のやり方は、悪影響こそあってもいい影響はなかったんですね。訂正してお詫びいたします。失礼しました(職業アナウンサー的お辞儀)。
なんか違う車種のバイクがニコイチしてるし、マフラーとかエアファンネルとかついてるし、とにかく何が何だかわからない……そういうバイクだったのでね。ひとつひとつ確かめながら、「ああ、そういうことか……」と知っていく。そういうことです。そうやって少しずつ理解を深めていければいいなと思います。それが私の、この子に対する愛情です。
今日わかったのは、このバイク、どこまで手が入ってるのかわかりませんが、とりあえずインジェクション仕様だったということです。スタータースイッチをオンしたら「トコトコトコ……」と小さな音が聞こえてきました。いわゆる、燃料ポンプが動いている音ですね。
それがある程度生き渡ったかな? という準備時間を経て、スイッチオン!
ウルウルウル
まあ、なかなか始動しませんが、インジェクションとわかれば無駄な抵抗はしません。数秒ごとに一呼吸。インターバルを挟んで慎重に回します。
ウルウルブルウルウrブブブ
……な、何を言ってるのかわかんねーと思いますので、一応説明すると、セルモーターが回る音に混じってエンジンが始動しようとする音が聞こえてきたということですね。その様子を確かめながらセルを回し、ようようかかりました、と。そういう次第です。
ああ、やっぱりいいなあ、インジェクション。そして、セルスターター。
もう一台あるウチの弟者の愛車「スズキSX200」はキャブレター&キックスタート仕様であり、セルスターターなんて軟弱なものはありません。冬場にエンジンをかけるためには渾身の一撃が必要であります。
実際、私の稚拙な右足ではブルンッとかすかに鼓動しただけで、80年代バイクらしい爆音を響かせることはかないませんでした。まあ4ストロークなんですけどね。私の小虎(Dトラッカー125)は、やっぱり超厳しい騒音規制とかを切り抜けて世に出された代物ですから。まあこれに関しては弟者に任せることにしましょう。
こんばんは。
珍しく社会問題に切り込みます
いぬがみです。
昨日体験したことと今日新聞で読んだことを合わせて書きます。テーマは「あおり運転」。
今日の岩手日報で78歳男性の投書を読みました。要約すると、
「高速道路で50キロ規制だったので50キロで走っていたら、後ろから来た札幌ナンバーの大型車に車間距離を詰められたり何度もパッシングされたりした。自分が高齢者マークを付けていたから、余計にあおられたのだろう」
ということです。
次に、昨日体験したことを書きます。要約すると、
「50キロ制限の国道4号線を50キロ、または40キロ台で走行している車があった。おかげで後ろは大渋滞した」
ということです。
で、これに対して私が感じたことと考えたこと。
「体調とか自分の運転技術とか、それに見合った速度で走ることは大切。無理をしてコントロールできないくらいのスピードを出すべきではない」
「一方で、夜中ということもあり、それほど交通量は多くない。その車を先頭に後ろがつらなる大名行列状態になったので、それなりの速度で走るか道を譲ってほしい」
「高速道路はたいていの場合2車線あるのだから、50キロが遅すぎると思えばさっさと追い抜けばよろしい。わざわざ煽り立てることは、するべきでない」
結論。
車を運転していれば、誰でも自分のペースで走りたいものです。それが40キロだったり70キロだったり150キロだったりするでしょう。その自分のペースに対して前走車が著しく遅かったりしたら、いらだつ気持ちが起こるでしょう。それは人間として、自然な感情だと思います。
だから、お互いに苛立たず、苛立たせない走り方を心がけなければならないと思うのです。後ろから自分よりもずっと速そうなやつが来たら、適当なところでさっさと道を譲る。逆に、そういう車が前を走っていて、なかなか道を譲らなかったら? そういう時は「今日はそういう日だ」とあきらめて、追い越し車線か何かに差し掛かるまでアクセルを緩める。そういうことです。
そして、以前私が遭遇したようなバカ(※)には近づかないことです。今回大きく取り上げられたバカもそうでしょう。正義を振りかざしたところでバカはバカなんですから。その正義に殉じて死ぬのが本望だというのならそれも結構ですが、それにしたって高速道路上で止まったり止められたり降りたりするのは周りの人の迷惑にもなります。私は一番の被害者は追突したトラックの運転手じゃないかな、とさえ思います。
でも、私も含めて多くの一般人が、ちょっとしたきっかけで「あおり運転」の加害者になる可能性があるのです。理由はどうあれ、後ろにつかれた人間が怖いと思えば「あおり運転」になるのですから。たぶん。
※ 片側1車線の道でハザードを点灯し徐行運転をはじめたので、仕方なく追い抜こうとしたら急加速して対向車と正面衝突させようとし、さらに仕方なくブレーキを踏んでその車の後ろについたら急ブレーキを踏んで追突させようとしたバカ。八戸ナンバーのレガシィ。ドラレコ録画済み。
珍しく社会問題に切り込みます
いぬがみです。
昨日体験したことと今日新聞で読んだことを合わせて書きます。テーマは「あおり運転」。
今日の岩手日報で78歳男性の投書を読みました。要約すると、
「高速道路で50キロ規制だったので50キロで走っていたら、後ろから来た札幌ナンバーの大型車に車間距離を詰められたり何度もパッシングされたりした。自分が高齢者マークを付けていたから、余計にあおられたのだろう」
ということです。
次に、昨日体験したことを書きます。要約すると、
「50キロ制限の国道4号線を50キロ、または40キロ台で走行している車があった。おかげで後ろは大渋滞した」
ということです。
で、これに対して私が感じたことと考えたこと。
「体調とか自分の運転技術とか、それに見合った速度で走ることは大切。無理をしてコントロールできないくらいのスピードを出すべきではない」
「一方で、夜中ということもあり、それほど交通量は多くない。その車を先頭に後ろがつらなる大名行列状態になったので、それなりの速度で走るか道を譲ってほしい」
「高速道路はたいていの場合2車線あるのだから、50キロが遅すぎると思えばさっさと追い抜けばよろしい。わざわざ煽り立てることは、するべきでない」
結論。
車を運転していれば、誰でも自分のペースで走りたいものです。それが40キロだったり70キロだったり150キロだったりするでしょう。その自分のペースに対して前走車が著しく遅かったりしたら、いらだつ気持ちが起こるでしょう。それは人間として、自然な感情だと思います。
だから、お互いに苛立たず、苛立たせない走り方を心がけなければならないと思うのです。後ろから自分よりもずっと速そうなやつが来たら、適当なところでさっさと道を譲る。逆に、そういう車が前を走っていて、なかなか道を譲らなかったら? そういう時は「今日はそういう日だ」とあきらめて、追い越し車線か何かに差し掛かるまでアクセルを緩める。そういうことです。
そして、以前私が遭遇したようなバカ(※)には近づかないことです。今回大きく取り上げられたバカもそうでしょう。正義を振りかざしたところでバカはバカなんですから。その正義に殉じて死ぬのが本望だというのならそれも結構ですが、それにしたって高速道路上で止まったり止められたり降りたりするのは周りの人の迷惑にもなります。私は一番の被害者は追突したトラックの運転手じゃないかな、とさえ思います。
でも、私も含めて多くの一般人が、ちょっとしたきっかけで「あおり運転」の加害者になる可能性があるのです。理由はどうあれ、後ろにつかれた人間が怖いと思えば「あおり運転」になるのですから。たぶん。
※ 片側1車線の道でハザードを点灯し徐行運転をはじめたので、仕方なく追い抜こうとしたら急加速して対向車と正面衝突させようとし、さらに仕方なくブレーキを踏んでその車の後ろについたら急ブレーキを踏んで追突させようとしたバカ。八戸ナンバーのレガシィ。ドラレコ録画済み。
おはようございます。
漸減的喫煙生活宣言
いぬがみです(漢字ばかりにするため変な言葉をつかいました)。
今年の春先にコンビニでよく見るアメリカンスピリットの広告に興味を持ち「どんなもんかね」と思い数年ぶりに喫煙を再開した私。従来型のタバコからグローになったにしても、大体1日当たり5本以上は吸っていました。
でも、最近は吸っていません。まあ時々誰かからもらったりして吸うこともありますが、それでも3本を越えることはまれです。
理由はたばこ代を節約したいから……そして、身体にダメージが出てきたから。やっぱり心臓が窮屈な感じというか、明らかに体のパフォーマンスが低下していると実感できるんですよね。まあ中途半端なリラックス感とともに、このままゆっくりと死んでいくのもいいんですが、どうもブチャラティがジョルノと出会ったように、より生きる方向へ行きたいと思っているようなのです。
昔、禁煙した時もそうでした。その時は職場に通うために借りた月ぎめ駐車場の近くにある中学校の諸君がきっかけだったかな。放課後に部活で学校の周りを走るジャージ姿の少年少女諸君。その様子を大人のふりしてタバコをふかしながら「まあ頑張り給え」とうそぶいていたのですが、
「まだ、やれることがあるんじゃないのか」
そんな思いがくすぶり始めました。その後まもなく私の胸のエンジンに火がついてオレはここだぜ一足お先……つって走ったり泳いだりして、自分の体力的レベルを人並みより少し下くらいまで引き上げたのです。
前回は中学生。今回は「オートバイ」です。
オートバイに乗るのって疲れるんですね。ただ乗って走るだけでも息が苦しくなって足が痛くなって……。でも、すごく楽しくて、もっともっと乗っていたいと思ったので、オートバイに自分の生活を合わせる。その第一歩としてタバコをやめよう。そう思った次第です。
残念ながらこの季節はバイクに乗れないので、ズルズルと喫煙を続けているところでありますが、それでもせっかくこんな気持ちになったのだから、あきらめるわけにはいきません。お金も使わなくていいし健康も増進するし、いいことばかりです。ちょっと気持ちが落ち着かないとか、そういうこともありますが、そんなのは気持ちひとつで何とでもなります。
以前よりは確実に本数は減っているし。きっと辞められるはず。でも、まあ何となく辞められるようなものではないでしょうから、そこは強い意志というか、「タバコなんか吸ってられねえよバカ野郎!」という状況に自分を追い込まなくてはいけません。
漸減的喫煙生活宣言
いぬがみです(漢字ばかりにするため変な言葉をつかいました)。
今年の春先にコンビニでよく見るアメリカンスピリットの広告に興味を持ち「どんなもんかね」と思い数年ぶりに喫煙を再開した私。従来型のタバコからグローになったにしても、大体1日当たり5本以上は吸っていました。
でも、最近は吸っていません。まあ時々誰かからもらったりして吸うこともありますが、それでも3本を越えることはまれです。
理由はたばこ代を節約したいから……そして、身体にダメージが出てきたから。やっぱり心臓が窮屈な感じというか、明らかに体のパフォーマンスが低下していると実感できるんですよね。まあ中途半端なリラックス感とともに、このままゆっくりと死んでいくのもいいんですが、どうもブチャラティがジョルノと出会ったように、より生きる方向へ行きたいと思っているようなのです。
昔、禁煙した時もそうでした。その時は職場に通うために借りた月ぎめ駐車場の近くにある中学校の諸君がきっかけだったかな。放課後に部活で学校の周りを走るジャージ姿の少年少女諸君。その様子を大人のふりしてタバコをふかしながら「まあ頑張り給え」とうそぶいていたのですが、
「まだ、やれることがあるんじゃないのか」
そんな思いがくすぶり始めました。その後まもなく私の胸のエンジンに火がついてオレはここだぜ一足お先……つって走ったり泳いだりして、自分の体力的レベルを人並みより少し下くらいまで引き上げたのです。
前回は中学生。今回は「オートバイ」です。
オートバイに乗るのって疲れるんですね。ただ乗って走るだけでも息が苦しくなって足が痛くなって……。でも、すごく楽しくて、もっともっと乗っていたいと思ったので、オートバイに自分の生活を合わせる。その第一歩としてタバコをやめよう。そう思った次第です。
残念ながらこの季節はバイクに乗れないので、ズルズルと喫煙を続けているところでありますが、それでもせっかくこんな気持ちになったのだから、あきらめるわけにはいきません。お金も使わなくていいし健康も増進するし、いいことばかりです。ちょっと気持ちが落ち着かないとか、そういうこともありますが、そんなのは気持ちひとつで何とでもなります。
以前よりは確実に本数は減っているし。きっと辞められるはず。でも、まあ何となく辞められるようなものではないでしょうから、そこは強い意志というか、「タバコなんか吸ってられねえよバカ野郎!」という状況に自分を追い込まなくてはいけません。
こんばんは。
お酒は止められているのですが
いぬがみです(ビールに手を付けてしまいました)。
今年もまた『戦場のメリークリスマス』を見ました。
去年1回見ているのでおおよそのことは知っているはずなのですが。「一応クリスマスだから」ということで見たのですが。
また、感動してしまいました。
でも、ま、これってきっと――私がある意味、なんていうのかな。変な話なんですが、いわゆるフツーの人間じゃない(=結構ガチで精神障害)ことを認識させられたから、そちら側の世界に踏み込んでいくことができたから、ここまで感じるものがあったと思うんですよね。
ここから、なんか、ものすごくわけのわからない話になります。
お酒は止められているのですが
いぬがみです(ビールに手を付けてしまいました)。
今年もまた『戦場のメリークリスマス』を見ました。
去年1回見ているのでおおよそのことは知っているはずなのですが。「一応クリスマスだから」ということで見たのですが。
また、感動してしまいました。
でも、ま、これってきっと――私がある意味、なんていうのかな。変な話なんですが、いわゆるフツーの人間じゃない(=結構ガチで精神障害)ことを認識させられたから、そちら側の世界に踏み込んでいくことができたから、ここまで感じるものがあったと思うんですよね。
ここから、なんか、ものすごくわけのわからない話になります。
いや自分は一応異性愛者なんですけどね。でも、理解できるんですよ。ヨノイとセリアズの間に生じた愛情。
あくまでも「理解」なんですけどね。要するに私が「うーわデヴィッド・ボウイやっぱり格好いいわせおいなげ~!」って言って自分のナニをアレしてウンチャラカンチャラって実際的にそうするわけじゃなくて、十分に理性を働かせて。
相手を理解し、受け入れ、お互いに尊重する。その程度の差であって、それはある意味素晴らしいことだと思うのです。
でも道義的というか、社会通念上、やっぱり同性愛っていうのはアレなわけで。要するにホラ、こういうことですよ。

そして、安全圏からそういう一般論をふるって自分は知識人常識人一般人ぶる人たちを叩き伏せて切腹させて戦死扱いにして家族に恩給を出させるような「力」がこの映画にはあるのです。あるような、気がするのです。少なくとも私の中に沸き起こった、そういう一般論を追い払うだけの力はありました。
……ハッ! すみません、ちょっと卒倒していたみたいです(BGM:種まく者)。違うんです、今回言いたかったのは、最初に見た時は特に気づかなかったところだ。このセリフ。
「日本人はあせってた。個人では何もできないのに集団になって発狂した。」
「個々の日本人を憎みたくない」
……そして集団の狂気から目覚めたヨノイ坂本教授には愛が芽生え、ハラたけし軍曹はメリークリスマスをロレンスさんに伝えたのです。個人対個人の感情を抑えることなく、隠すことなく、そのままに。
あの戦争が終わってから70年ちょっとが経ち、映画の公開から35年が経ち、世界情勢も何もかもが違う2018年のクリスマス。この映画を見て思ったのです。
今の私、および今の私が生きている世界も、結構危うい感じだなって。
情報統制がない代わりに、というか逆に、情報が溢れすぎて、「自分だけが真実を知っている」と思っていないだろうか? その「自分だけが知っている真実」を錦の御旗に掲げて、正義をふるって、色々な物を批判したり糾弾したり懲役28年実刑判決そんな生ぬるい死刑にしろ死刑になっても死んだ人は生き返らないとか言っていないだろうか? とかと自戒する思いです。
あと、韓国とか中国とかって国家レベルで言えば腹の立つような報道がされるけれど、個人レベルで言えばそうでもないというか、その人そのものを「韓国人だから」とか「中国人だから」という理由で憎めないんですよね。それは私が中国嫁を貰う前から思っていたことです。大体日本人だって全員が全員安倍政権を全力支持しているわけじゃないでしょう? 個人レベルで言えば、また違うものだと思うんです。
そろそろ酔っぱらってきたので、その勢いでセリアズとロレンスを解放したハラ軍曹をイメージしながら、ここから先はお読みください。こんや、わたし、ふぁーぜるくりすます! アハハ、ハハ、ハハッ!!
つまり――これは私がここ数年ずっと大事にしてきたことなんですが――国レベルと個人レベルでは、話が違ってくるっていうことですよ。
「中国が日本に対して……」とか「韓国が日本に対して……」と報道される様々な政治的なこと。それは私が日本人だからっていうことを差っ引いても、ちょっと違うんじゃないかなと思うことがあります。テレビのニュースとかで言っていることを真に受ければ、ちょっと腹が立つこともあります。
でも、個人レベルで言えば、また違ってくるわけですよ。ウチの嫁だってメイドインチャイナですけど、こんな精神障害者でポンコツ極まりない私を愛してくれています。ウチの兄者が嫌韓ブーム真っただ中の時期に仕事で韓国に行った時も、個人レベルで向こうの人と仲良くして散々マッコリでブテチゲで「맛있어요(マシッソヨ=おいしい)」と言っていたといいます。
劇中の大部分でのちのアウトレイジよろしく乱暴ばかりするハラ軍曹や、言うことを聞かないために「斬る……!」と決心し衆人環視の前で敵国の士官を惨(斬)殺しようとしたヨノイ大尉も、もしかしたら――もしかしたら、ですよ。
心の中、個人レベルでは決して口にすることのできなかった、人間として自然に発するであろう「友情」または「愛情」を、「帝国軍人」としてそうしなければいけない! という理性で無理やり押し殺していたのかもしれない……そして、その縛りがセリアズまたはロレンスによってほどかれ、終盤の展開になだれこんでいったのかもしれない……と思うのです。もうビールがなくなったから梅酒をボトル直飲みで行ってますよハラ軍曹ですよふぁーぜるくりすますですよアハハ、ハハ、ハハッ!

(イメージ画像)
……ああ、そうか。きっとハラ軍曹は、こんな気持ちだったのかなあ。
もちろん劇中では、相当イヤな人ですよ。何かといえば容赦なく暴力をふるうし、わざわざ切腹という処刑方法を強要するし、「何でお前は死なないんだ」「日本人なら捕虜にならずにさっさと自殺(自決)するぞ」とロレンスさんを散々なじるし。でも別な場面になると、切腹させるのは本人の面目を保つため(≒恩給など、遺された家族が生活に困らないようにするため)という配慮があってのものだし、「私がやったことはほかの人がやったことと同じだ」と命乞いにも自己弁護にもとれるようなセリフを言うし。
戦争が終わってハラ軍曹がハラさんという一個人になったのか。それとも戦争中はずっと押し殺していた本心が、友人として心許していたロレンスさんと再会してポロッと本音を漏らしたのか。どちらにしても――たといそれが1946年時点で心変わりした結果だとしても――ハラさん個人の気持ちだったのでしょうね。
はい、まとめますよまとめますよ!(残り理性:13%くらい)
結局、そういうことなんですよ。映画を見ている以上、私は帝国軍人でもイギリス軍人でもオランダ軍人でも朝鮮人軍属でもありません。映画は1942年現代は2018年。あくまでも映画を見ている第三者です。
だから言います。私はハラ軍曹もヨノイ大尉もロレンスさんもセリアズも好きです。みんながみんな好きです。誰に特別に肩入れするつもりもなければ、どこの国に特別に肩入れするつもりもありません。ただ第二次大戦中の俘虜収容所という特殊な環境で……
それでも!
人間は人間らしさを喪うことはなかったし、それでいいのだと。そう思いました。
終わりで~す! (三四郎の小宮さん風力づくオチ)
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こんばんは。
ピンボールエミュレータに夢中
いぬがみです(実機で一番好きなのはターミネーター2)。
たぶんこれは間違ったことなのでしょうが、実際やってみたことを書きます。
というのは、うちには変なスクーターがあります。それに関係する話です。
前半分は「スクーピー」という、モーニング娘。がCMをやっていた、要するに若い女の子向けのかわいらしい車体なのですが、後ろ半分は「ズーマー」という、逆にエンジンむき出しのワイルドだろ~的な車体になっています。しかもマフラーも社外品だし。
何でこんなものがあるのか。これ、ウチの弟者の友達がチューンした代物なんですよね。元々機械いじりが好きらしくて、愛車(EK9シビックR)も内外装ともども激しくチューンするようなタイプの人間でして。ただ車体を合わせてマフラーを変えただけではなく、エンジンをボアアップして原付2種仕様にしているらしくて……そう、何を隠そうこのバイクに乗りたいために私はわざわざ二輪免許を取ったんですよ! だから小型限定でいいんです!
さて、そういうことなので、具体的なスペックはわかりません。正直、外側から見た限りではインジェクション仕様なのかキャブレター仕様なのかさえよくわかりません。今どきのバイクはたいていインジェクション仕様だから、たぶんそうなのかな……と思いましたが、しかしながら、その割にはエンジンを始動した時の「トコトコトコ」という音が聞こえません。
そして、数か月ぶりにエンジンをかけようとしても、なかなかかかりません。気温が低い初冬のこの頃ですから、余計にかかりません。ライトが付くので電気系統は生きているようですが、スタータースイッチを押してもうんともすんとも言いません。
そこで古い時代の車に乗ってきた私。寒い日はアクセルを数回踏み込んでからエンジンをかけるという習慣があったので、それをバイクにもやってみました。
ウルウルウルウルとけだるそうにうなり始め、ようやく始動しました。
しかしながら、一般的には、こういうやり方をすると燃料が多すぎてプラグが濡れて力が出ない……と、ばいきんまんにしてやられたアンパンマン状態になってしまうといいます。たとえが凝りすぎて余計にわからない? 要するに間違っているってことですよ私のやり方は。
ただよ、ただだ!(真壁刀義さん風に)
現実問題として、何もしなければ、かからなかったんです。でも、そうやったら、かかったんです。
というわけで次回は、一般的なやり方でエンジンがかかるのかどうか? やってみたいと思います。それでエンジンがかかったら、私の方法は間違っていた(または、特に関係ない)ということになるでしょうし、かからなければ……。
この話、たぶん、つづく。
ピンボールエミュレータに夢中
いぬがみです(実機で一番好きなのはターミネーター2)。
たぶんこれは間違ったことなのでしょうが、実際やってみたことを書きます。
というのは、うちには変なスクーターがあります。それに関係する話です。
前半分は「スクーピー」という、モーニング娘。がCMをやっていた、要するに若い女の子向けのかわいらしい車体なのですが、後ろ半分は「ズーマー」という、逆にエンジンむき出しのワイルドだろ~的な車体になっています。しかもマフラーも社外品だし。
何でこんなものがあるのか。これ、ウチの弟者の友達がチューンした代物なんですよね。元々機械いじりが好きらしくて、愛車(EK9シビックR)も内外装ともども激しくチューンするようなタイプの人間でして。ただ車体を合わせてマフラーを変えただけではなく、エンジンをボアアップして原付2種仕様にしているらしくて……そう、何を隠そうこのバイクに乗りたいために私はわざわざ二輪免許を取ったんですよ! だから小型限定でいいんです!
さて、そういうことなので、具体的なスペックはわかりません。正直、外側から見た限りではインジェクション仕様なのかキャブレター仕様なのかさえよくわかりません。今どきのバイクはたいていインジェクション仕様だから、たぶんそうなのかな……と思いましたが、しかしながら、その割にはエンジンを始動した時の「トコトコトコ」という音が聞こえません。
そして、数か月ぶりにエンジンをかけようとしても、なかなかかかりません。気温が低い初冬のこの頃ですから、余計にかかりません。ライトが付くので電気系統は生きているようですが、スタータースイッチを押してもうんともすんとも言いません。
そこで古い時代の車に乗ってきた私。寒い日はアクセルを数回踏み込んでからエンジンをかけるという習慣があったので、それをバイクにもやってみました。
ウルウルウルウルとけだるそうにうなり始め、ようやく始動しました。
しかしながら、一般的には、こういうやり方をすると燃料が多すぎてプラグが濡れて力が出ない……と、ばいきんまんにしてやられたアンパンマン状態になってしまうといいます。たとえが凝りすぎて余計にわからない? 要するに間違っているってことですよ私のやり方は。
ただよ、ただだ!(真壁刀義さん風に)
現実問題として、何もしなければ、かからなかったんです。でも、そうやったら、かかったんです。
というわけで次回は、一般的なやり方でエンジンがかかるのかどうか? やってみたいと思います。それでエンジンがかかったら、私の方法は間違っていた(または、特に関係ない)ということになるでしょうし、かからなければ……。
この話、たぶん、つづく。
おはようございます。
メリクリスマス、メリクリスマス、ミスターローレンス
いぬがみです(英語ができるようになったハラ軍曹ふうに)。
長音符を入れ忘れて「メリークリスマス」を「メリクリスマス」としたところ、意外と字面がよかったので、このままいきます。
さて今月はクリスマスですね。降誕節ですよ。ケーキ食べてチキン食べてバカ騒ぎするのがすべてじゃないですよ。2000年前に神様がこの世にイエズス様を遣わしたことを祝う大事な大事なお祭りですよ。まあケーキは予約しましたけどね! しかもココスのラブライブ!サンシャイン!!仕様の!!!
一応、私は津島善子ヨハネ推しですが、こないだ初めて主人公というか言い出しっぺが黒澤ルビィじゃないことに気付きました。お詫びして訂正いたします。
それはさておいて、今こうして聞いているのは、しばらく前に中古で買ったマクロスFの「コズミックキューン」を聞いています。今まで聞いていなかったのはこれがクリスマスソング特集だから。何となく置いといたらクリスマスシーズンがあっという間に過ぎて年末年始の雰囲気になって「あ~今年もまた聞かないで終わってしまった!」とスキーに行け(か)なかったのび太ばりに後悔していたのですが、今年はね。
うん、いいですよ、これ。私がラジオDJだったらCDを24回くらいリピート再生して流し続けますよ。「クリスマスの雰囲気が足りない」つって。(参照)
いや、実は「マクロスデルタ」の楽曲――というか、同アニメ内のユニット「ワルキューレ」の楽曲を散々聞いた後に「シェリル&ランカ」の楽曲を聞くと、ちょっとだけ古めかしい印象を受けてしまったんですよね。私は菅野よう子さんの大ファンなんですが、今積極的に聞いていきたい感じではないな……という風に思ったことがありました。
でも、やっぱりワルキューレはワルキューレ、シェリルはシェリル。ランカもいいですよ、うん。どっちが好きなのッて言われたらシェリル派ですが。それはともかく! シェリル・ノームは「歌姫」というポジションですからね。私の中では日本の流行歌の歌手というカテゴリから頭一つ飛び出しています。安室奈美恵とかレディー・ガガとかマライア・キャリーとかマドンナとか、そういう感じです。改めてそう思いました。彼女に対抗できるのはマクロスの世界で言えばワルキューレの美雲・ギンヌメールくらいでしょう。
リン・ミンメイ? シャロン・アップル? あれは競合しないですから。
メリクリスマス、メリクリスマス、ミスターローレンス
いぬがみです(英語ができるようになったハラ軍曹ふうに)。
長音符を入れ忘れて「メリークリスマス」を「メリクリスマス」としたところ、意外と字面がよかったので、このままいきます。
さて今月はクリスマスですね。降誕節ですよ。ケーキ食べてチキン食べてバカ騒ぎするのがすべてじゃないですよ。2000年前に神様がこの世にイエズス様を遣わしたことを祝う大事な大事なお祭りですよ。まあケーキは予約しましたけどね! しかもココスのラブライブ!サンシャイン!!仕様の!!!
一応、私は津島善子ヨハネ推しですが、こないだ初めて主人公というか言い出しっぺが黒澤ルビィじゃないことに気付きました。お詫びして訂正いたします。
それはさておいて、今こうして聞いているのは、しばらく前に中古で買ったマクロスFの「コズミックキューン」を聞いています。今まで聞いていなかったのはこれがクリスマスソング特集だから。何となく置いといたらクリスマスシーズンがあっという間に過ぎて年末年始の雰囲気になって「あ~今年もまた聞かないで終わってしまった!」とスキーに行け(か)なかったのび太ばりに後悔していたのですが、今年はね。
うん、いいですよ、これ。私がラジオDJだったらCDを24回くらいリピート再生して流し続けますよ。「クリスマスの雰囲気が足りない」つって。(参照)
いや、実は「マクロスデルタ」の楽曲――というか、同アニメ内のユニット「ワルキューレ」の楽曲を散々聞いた後に「シェリル&ランカ」の楽曲を聞くと、ちょっとだけ古めかしい印象を受けてしまったんですよね。私は菅野よう子さんの大ファンなんですが、今積極的に聞いていきたい感じではないな……という風に思ったことがありました。
でも、やっぱりワルキューレはワルキューレ、シェリルはシェリル。ランカもいいですよ、うん。どっちが好きなのッて言われたらシェリル派ですが。それはともかく! シェリル・ノームは「歌姫」というポジションですからね。私の中では日本の流行歌の歌手というカテゴリから頭一つ飛び出しています。安室奈美恵とかレディー・ガガとかマライア・キャリーとかマドンナとか、そういう感じです。改めてそう思いました。彼女に対抗できるのはマクロスの世界で言えばワルキューレの美雲・ギンヌメールくらいでしょう。
リン・ミンメイ? シャロン・アップル? あれは競合しないですから。
おはようございます。
私のケンケンパにようこそ
いぬがみです(若仲谷昇さんではありません)。
薬が効いている時と効いていない時で中枢神経系が全然違っている私。薬が効いている間は100%中の100%を嫌でも使い切ろうと私の脳が働いているのですが、それが切れると反動がガンと来ます。薬が切れて落ち着くまでの間がとても苦しいです。神経系がすり減って減ってボロボロになっているイメージです。
どのくらいすり減っているのかというと、ココスでコーラを飲んだ時に精神力がいっぺんに回復する(気がした)くらいすり減っています。そういう、ちょっとしたことに幸せを感じるくらい、精神的に疲弊していたのです。
とはいえ、本当に、ご飯が食べられるということは幸せなことであると思います。天の恵みです。食事ができることに感謝して、今日も生きていきたいと思います。なんか色々書こうかと思いましたが、このくらいにしておきます。
私のケンケンパにようこそ
いぬがみです(若仲谷昇さんではありません)。
薬が効いている時と効いていない時で中枢神経系が全然違っている私。薬が効いている間は100%中の100%を嫌でも使い切ろうと私の脳が働いているのですが、それが切れると反動がガンと来ます。薬が切れて落ち着くまでの間がとても苦しいです。神経系がすり減って減ってボロボロになっているイメージです。
どのくらいすり減っているのかというと、ココスでコーラを飲んだ時に精神力がいっぺんに回復する(気がした)くらいすり減っています。そういう、ちょっとしたことに幸せを感じるくらい、精神的に疲弊していたのです。
とはいえ、本当に、ご飯が食べられるということは幸せなことであると思います。天の恵みです。食事ができることに感謝して、今日も生きていきたいと思います。なんか色々書こうかと思いましたが、このくらいにしておきます。
おはようございます。
結構、疲れが来ています
いぬがみです。
「アマニタ・パンセリナ」という本を買いました。これ、昔持っていてたぶん実家にあると思うんですが、探す手間が大変なのでブックオフでもう一冊買いました。中島らもさんのエッセー集です。
色々とイリーガルな薬の体験記もたくさんありますが、その中でどうしても読みたかったのが「リタリン」の話。これ自体で独立した項目があるわけではないのですが、いま自分が飲んでいる「コンサータ」と同じ成分の薬を飲んだ時の話が、ずっと気になっていたので、改めて読み返してみたいと思ったのです。
30歳の頃「うつ病」と診断された中島らもさん。その時にらもさんは「リタリン」を指定して処方してもらったといいます。当時ですら精神科医が「もっと弱い薬がある」と渋っていたようです。
なぜ、それをわざわざ指定したのかと言えば、筒井康隆氏や山下洋輔氏が酒と一緒にこれを乱用して「タリラリランのリタリン」と言われていた……という話を聞いていたから、だそうです。
果たしてそれを服用し、薬が効いている時のたとえがとても強烈なので、引用します。
「君たち、何をしているんだ。一緒に地球を守ろうじゃないか」
まさに、そんな感じなんです。薬の効き目には個人差があるといいますが、私の場合コンサータ、最高に効いている時は、こんな感じです。
もっとも、らもさんの場合は指定された用量の二倍~三倍くらい飲んでいたといいます。そのせいか危険な妄想が頭から離れなくなり、知り合いの精神科医に相談したところ、
「リタリンはシャブみたいなもんだからね」
と言われ、使用中止した……というところで話は終わります。まあ、この後また強いうつ病にさいなまれ、今度はもっと深刻な状態になってしまうのですが、とりあえず今日はリタリンとコンサータの話でした。今回病院に行ったら、また処方量が増えました。私もまた、この道を行くしかないのです。
結構、疲れが来ています
いぬがみです。
「アマニタ・パンセリナ」という本を買いました。これ、昔持っていてたぶん実家にあると思うんですが、探す手間が大変なのでブックオフでもう一冊買いました。中島らもさんのエッセー集です。
色々とイリーガルな薬の体験記もたくさんありますが、その中でどうしても読みたかったのが「リタリン」の話。これ自体で独立した項目があるわけではないのですが、いま自分が飲んでいる「コンサータ」と同じ成分の薬を飲んだ時の話が、ずっと気になっていたので、改めて読み返してみたいと思ったのです。
30歳の頃「うつ病」と診断された中島らもさん。その時にらもさんは「リタリン」を指定して処方してもらったといいます。当時ですら精神科医が「もっと弱い薬がある」と渋っていたようです。
なぜ、それをわざわざ指定したのかと言えば、筒井康隆氏や山下洋輔氏が酒と一緒にこれを乱用して「タリラリランのリタリン」と言われていた……という話を聞いていたから、だそうです。
果たしてそれを服用し、薬が効いている時のたとえがとても強烈なので、引用します。
「君たち、何をしているんだ。一緒に地球を守ろうじゃないか」
まさに、そんな感じなんです。薬の効き目には個人差があるといいますが、私の場合コンサータ、最高に効いている時は、こんな感じです。
もっとも、らもさんの場合は指定された用量の二倍~三倍くらい飲んでいたといいます。そのせいか危険な妄想が頭から離れなくなり、知り合いの精神科医に相談したところ、
「リタリンはシャブみたいなもんだからね」
と言われ、使用中止した……というところで話は終わります。まあ、この後また強いうつ病にさいなまれ、今度はもっと深刻な状態になってしまうのですが、とりあえず今日はリタリンとコンサータの話でした。今回病院に行ったら、また処方量が増えました。私もまた、この道を行くしかないのです。
おはようございます。
原付もmotoGPマシンも
いぬがみです。
初めてオートバイに乗る君に言っておきたい。
いま君は新しい世界への扉の前に立ったのだ。
またがっているのが原付スクーターでも、スーパースポーツでも変わりはない。
ヒト以上の力を発揮するエンジンと軽やかに大地を捕らえるふたつの車輪、
それが君を未知の世界へといざなうカギなのだ。
私はこの言葉をきっかけに、バイクライフを始めました。まずは免許を取りに行くところからね。
パワーが大きければ刺激も大きい。カウル(風防)があれば空気抵抗も小さい。その通りです。じゃあ原付(一種・二種)よりも大型の方がえらいのか。そう考える人が、いわゆるバイク乗りという人種には多いのかもしれません。
まあ、そうなのかもしれません。
ただ、私はそうじゃないと思っています。仮にそういうのがバイク乗りの常識、バイク乗りのコミュニティ、バイク乗りの士農工商なんとやら……この言葉も使い方に気を付けなければいけないそうですね……とか何とか、まあそういうのがあるのなら、私は非常識でいいです。フリーランスでいいです。
私が考えるのは、バイクは一長一短ということ。ZX-10は素晴らしい動力性能のバイクであり、私の小虎(D-tracker125)とスピード競争をやればひとたまりもないでしょう。
しかしながら、私の小虎は取り回しがラクだし、ダートトラックだろうと何だろうと思いのままにグイグイ走れます(姉妹車のKLX125ほどではありませんが)。
結論としては、バイクっていうのは四輪車以上に得手不得手がはっきりしている乗り物だなということです。そして、私自身も原付スクーターを作っていないメーカーのバイクに乗っているためか、どこかでそういうのを1ランク下に見ていたことを反省しなければいけないと思いました(だから小型限定とはいえ、わざわざバイクの免許を取り、わざわざミッション付きバイクを買った)。
それに気づかせてくれたのがこのアニメだったんですが、今日は話が長くなってしまったので、また次回! ホンダがこれだからヤマハが「ばくおん」か! つくづくアニメっていうのは……。
原付もmotoGPマシンも
いぬがみです。
初めてオートバイに乗る君に言っておきたい。
いま君は新しい世界への扉の前に立ったのだ。
またがっているのが原付スクーターでも、スーパースポーツでも変わりはない。
ヒト以上の力を発揮するエンジンと軽やかに大地を捕らえるふたつの車輪、
それが君を未知の世界へといざなうカギなのだ。
私はこの言葉をきっかけに、バイクライフを始めました。まずは免許を取りに行くところからね。
パワーが大きければ刺激も大きい。カウル(風防)があれば空気抵抗も小さい。その通りです。じゃあ原付(一種・二種)よりも大型の方がえらいのか。そう考える人が、いわゆるバイク乗りという人種には多いのかもしれません。
まあ、そうなのかもしれません。
ただ、私はそうじゃないと思っています。仮にそういうのがバイク乗りの常識、バイク乗りのコミュニティ、バイク乗りの士農工商なんとやら……この言葉も使い方に気を付けなければいけないそうですね……とか何とか、まあそういうのがあるのなら、私は非常識でいいです。フリーランスでいいです。
私が考えるのは、バイクは一長一短ということ。ZX-10は素晴らしい動力性能のバイクであり、私の小虎(D-tracker125)とスピード競争をやればひとたまりもないでしょう。
しかしながら、私の小虎は取り回しがラクだし、ダートトラックだろうと何だろうと思いのままにグイグイ走れます(姉妹車のKLX125ほどではありませんが)。
結論としては、バイクっていうのは四輪車以上に得手不得手がはっきりしている乗り物だなということです。そして、私自身も原付スクーターを作っていないメーカーのバイクに乗っているためか、どこかでそういうのを1ランク下に見ていたことを反省しなければいけないと思いました(だから小型限定とはいえ、わざわざバイクの免許を取り、わざわざミッション付きバイクを買った)。
それに気づかせてくれたのがこのアニメだったんですが、今日は話が長くなってしまったので、また次回! ホンダがこれだからヤマハが「ばくおん」か! つくづくアニメっていうのは……。
おはようございます。
そろそろバイクも冬季休業
いぬがみです。
これから雪が降り積もる冬になれば、自主トレーニングと座学が中心となります。好きな気持ちはとまらないから。
そんな中「オートバイ乗りは、”怖がり”ほどうまくなる。」という本を読みました。著者は根本健さんです。
私は何の先入観もなく、タイトルを見て「面白いな」と手に取り、買って、一通り読みました。終始穏やかで謙虚な語り口ながら最終的にはバイクの世界グランプリに出場し、雑誌「ライダースクラブ」の編集長になられ、現在もなおバイクを愛し続ける……ということをWikipediaから後付けで知り、いやはや恐れ入りました、と。
自分は怖がりだから、怖くないような乗り方やセッティングを考えてやってみたら、結果的に速く走ることができた……そういうことのようです。その技術的な解説も根本さんの言葉で語られているので、私自身がある程度のレベルまで達することができれば、それを活かして安全快適なライディングができるようになるのかもしれません。今はまだ、免許を取って1か月の、初心者ライダーもいいところですから。
それよりも、面白いなと思ったのは、根本さんのレースに対する思い。なんというか、タイムを出すためにギリギリと自分を追い込んでいく――レースである以上、優勝しなければ意味がない――みたいな。映画でも小説でも、たいていそんな感じだったので、そうでなければならないんだろうなと思っていました。まあ、私自身はそういう風な性格でないので、たとい私の手元に大型免許とZX-10RRがあったとしてもレースには向いていないんだろうなと思っていました。
でも、根本さんはレースで勝ちたいというよりもバイクが好きで、レースが好きで――という思いが先行していて。もちろん良いタイムが出るよう(=怖い思いをしないよう)努力と工夫を常に試みているのはそうなんですが、あんまりガチガチな感じではないんですよね。
ああ、こういう感じでもいいんだ。そう思いました。
あと2回くらい、読み直して、そのあたりのことをちゃんと理解していきたいと思います。
その上で改めて書きたいと思うのですが、この雰囲気って、元格闘家で今は武道家の平直行さんに似ているな、と思ったのです。自然体で、あくまでも自分が楽しむことが第一で、そうやっていたら結果が付いてきちゃった、みたいな。そうやって自分をレベルアップさせられるのって、最高の生き方だなと思うのです。
平直行さんも大好きな人です。「格闘技のおもちゃ箱」は何回も読み直して、本屋でつけてもらった紙のカバーがボロボロになってしまいました。そのくらい好きです。
難しく考えても早く進めるわけじゃないし。そういうペースで、いければいいかな。
そろそろバイクも冬季休業
いぬがみです。
これから雪が降り積もる冬になれば、自主トレーニングと座学が中心となります。好きな気持ちはとまらないから。
そんな中「オートバイ乗りは、”怖がり”ほどうまくなる。」という本を読みました。著者は根本健さんです。
私は何の先入観もなく、タイトルを見て「面白いな」と手に取り、買って、一通り読みました。終始穏やかで謙虚な語り口ながら最終的にはバイクの世界グランプリに出場し、雑誌「ライダースクラブ」の編集長になられ、現在もなおバイクを愛し続ける……ということをWikipediaから後付けで知り、いやはや恐れ入りました、と。
自分は怖がりだから、怖くないような乗り方やセッティングを考えてやってみたら、結果的に速く走ることができた……そういうことのようです。その技術的な解説も根本さんの言葉で語られているので、私自身がある程度のレベルまで達することができれば、それを活かして安全快適なライディングができるようになるのかもしれません。今はまだ、免許を取って1か月の、初心者ライダーもいいところですから。
それよりも、面白いなと思ったのは、根本さんのレースに対する思い。なんというか、タイムを出すためにギリギリと自分を追い込んでいく――レースである以上、優勝しなければ意味がない――みたいな。映画でも小説でも、たいていそんな感じだったので、そうでなければならないんだろうなと思っていました。まあ、私自身はそういう風な性格でないので、たとい私の手元に大型免許とZX-10RRがあったとしてもレースには向いていないんだろうなと思っていました。
でも、根本さんはレースで勝ちたいというよりもバイクが好きで、レースが好きで――という思いが先行していて。もちろん良いタイムが出るよう(=怖い思いをしないよう)努力と工夫を常に試みているのはそうなんですが、あんまりガチガチな感じではないんですよね。
ああ、こういう感じでもいいんだ。そう思いました。
あと2回くらい、読み直して、そのあたりのことをちゃんと理解していきたいと思います。
その上で改めて書きたいと思うのですが、この雰囲気って、元格闘家で今は武道家の平直行さんに似ているな、と思ったのです。自然体で、あくまでも自分が楽しむことが第一で、そうやっていたら結果が付いてきちゃった、みたいな。そうやって自分をレベルアップさせられるのって、最高の生き方だなと思うのです。
平直行さんも大好きな人です。「格闘技のおもちゃ箱」は何回も読み直して、本屋でつけてもらった紙のカバーがボロボロになってしまいました。そのくらい好きです。
難しく考えても早く進めるわけじゃないし。そういうペースで、いければいいかな。
おはようございます。
自閉スペクトラム、絶賛進行中
いぬがみです。
誰にも何も言いたくなるんですよね。反対に誰の言うことも聞きたくなくなる。自分の好きな物だけ追い求めて突き詰めたくなる。
車とかバイクとか漫画とかアニメとか。
インターネットの世界って実世界よりも色々と発信しやすいから、「自分こそが正義の代弁者である」という錦の御旗を掲げてアレコレ語っていますよね。そして、それに対して「いやいや我こそが真実の体現者である」という人が反論する。
そういう議論を好む人ならいいでしょう。そういう人はどんどん発信すればいいと思います。
私はたいていの場合、見ません。「なんか嫌な感じだな」と思ったら、見ません。どれほど正しいことを言っているにしても、見ません。
そんな人間が、こうしてブログを書く資格があるのか? というか誰も見ないであろうブログを書く意味はあるのか?
それを合理的に突き詰めていくと、私はブログを書きません。実際数か月くらい書かない時期がありました。
でも、書きます。
自分の考えていることを、自分でわかっていたいから。
それを、ひょっとしたら、誰かが見るかもしれないから。
発信しなければ誰かが見る可能性はゼロですけど、発信すればゼロじゃない。少なくともボイジャーのゴールデンレコードよりはあるでしょう、可能性。
宇宙のずっとずっと遠くをいまだに飛び続け、情報を送ってくれるボイジャー衛星。まだ見ぬどこかの誰かに向けてメッセージを発信したカーター大統領をはじめとする当時の人々。それに自分を重ねつつ、今日このブログを書いています。あれ、なんか思想的な話をしようと思ったんですが、ちょっと宇宙的妄想オチになりましたね。
じゃあ最後はWikipediaの「ボイジャーのゴールデンレコード」の項目より、この言葉をもって締めくくりたいと思います(知ってるつもり?!の関口宏ふうに)。
「 これは小さな、遠い世界からのプレゼントで、われわれの音・科学・画像・音楽・考え・感じ方を表したものです。私たちの死後も、本記録だけは生き延び、皆さんの元に届くことで、皆さんの想像の中に再び私たちがよみがえることができれば幸いです。 」
—アメリカ合衆国大統領・ジミー・カーター
自閉スペクトラム、絶賛進行中
いぬがみです。
誰にも何も言いたくなるんですよね。反対に誰の言うことも聞きたくなくなる。自分の好きな物だけ追い求めて突き詰めたくなる。
車とかバイクとか漫画とかアニメとか。
インターネットの世界って実世界よりも色々と発信しやすいから、「自分こそが正義の代弁者である」という錦の御旗を掲げてアレコレ語っていますよね。そして、それに対して「いやいや我こそが真実の体現者である」という人が反論する。
そういう議論を好む人ならいいでしょう。そういう人はどんどん発信すればいいと思います。
私はたいていの場合、見ません。「なんか嫌な感じだな」と思ったら、見ません。どれほど正しいことを言っているにしても、見ません。
そんな人間が、こうしてブログを書く資格があるのか? というか誰も見ないであろうブログを書く意味はあるのか?
それを合理的に突き詰めていくと、私はブログを書きません。実際数か月くらい書かない時期がありました。
でも、書きます。
自分の考えていることを、自分でわかっていたいから。
それを、ひょっとしたら、誰かが見るかもしれないから。
発信しなければ誰かが見る可能性はゼロですけど、発信すればゼロじゃない。少なくともボイジャーのゴールデンレコードよりはあるでしょう、可能性。
宇宙のずっとずっと遠くをいまだに飛び続け、情報を送ってくれるボイジャー衛星。まだ見ぬどこかの誰かに向けてメッセージを発信したカーター大統領をはじめとする当時の人々。それに自分を重ねつつ、今日このブログを書いています。あれ、なんか思想的な話をしようと思ったんですが、ちょっと宇宙的妄想オチになりましたね。
じゃあ最後はWikipediaの「ボイジャーのゴールデンレコード」の項目より、この言葉をもって締めくくりたいと思います(知ってるつもり?!の関口宏ふうに)。
「 これは小さな、遠い世界からのプレゼントで、われわれの音・科学・画像・音楽・考え・感じ方を表したものです。私たちの死後も、本記録だけは生き延び、皆さんの元に届くことで、皆さんの想像の中に再び私たちがよみがえることができれば幸いです。 」
—アメリカ合衆国大統領・ジミー・カーター
おはようございます。
イエローハットで車用品以外のものを購入
いぬがみです。
昨日は洗車したりオイルを交換したり。そんな一日でした。
イエローハットに行ったところ、いわゆるカー用品以外の便利グッズがあったのでいくつか購入しました。
ひとつは手持ちの靴に取り付けるスパイク……いわゆる「アイゼン」というやつです。
何せ私は雪国生まれの雪国育ちのくせに、毎年1回以上は滑って転んでますからね。今は76マークの入った冬靴を履いているので、かなり滑りにくくなったのですが、これで鬼に金棒。これだけしっかりした装備があれば、ちょっとやそっとじゃ滑らないでしょう。
あとは、いわゆる十徳ナイフみたいなもの。ペンチ・ニッパーからドライバーだのなんだのというツールが柄の部分に折りたたまれた便利グッズです。もちろんこういうのはそれ専用に作られたツールに比べれば強度が低いわけですが、どんなものにしても「ないよりはあった方がいい」わけですからね。何よりも、ひとつのアクセサリとして、こういうのを持っていたいという気持ちがあったのでね。それでいいんです。
イエローハットで車用品以外のものを購入
いぬがみです。
昨日は洗車したりオイルを交換したり。そんな一日でした。
イエローハットに行ったところ、いわゆるカー用品以外の便利グッズがあったのでいくつか購入しました。
ひとつは手持ちの靴に取り付けるスパイク……いわゆる「アイゼン」というやつです。
何せ私は雪国生まれの雪国育ちのくせに、毎年1回以上は滑って転んでますからね。今は76マークの入った冬靴を履いているので、かなり滑りにくくなったのですが、これで鬼に金棒。これだけしっかりした装備があれば、ちょっとやそっとじゃ滑らないでしょう。
あとは、いわゆる十徳ナイフみたいなもの。ペンチ・ニッパーからドライバーだのなんだのというツールが柄の部分に折りたたまれた便利グッズです。もちろんこういうのはそれ専用に作られたツールに比べれば強度が低いわけですが、どんなものにしても「ないよりはあった方がいい」わけですからね。何よりも、ひとつのアクセサリとして、こういうのを持っていたいという気持ちがあったのでね。それでいいんです。
おはようございます。
高校時代の期末考査、数学は毎回赤点でした
いぬがみです(理数系は昔から大苦手)。
そういうこともあって2年生の時からは数学がない世界に進んだ私。現在はもう存在しないのですが当時の盛岡市立高等学校には「英語科」というものがあり、普通科の人たちが数学をやっている時間も英語の授業をするところがあったんです。それで何とか卒業することができた……って、私の数学の話はいいんです!
現役高校生の方がこの記事を読むことはないと思うのですが、たぶん変わりないですよね。小学生の頃は「理科」という科目が中学に進むと「1分野・2分野」となり、高校に進学するとそれがさらに「物理・地学・生物・化学」とかと細分化して……私がいた英語科は生物一本だったのですが、これまた普通科の人たちは色々と選んでいました。
「物理」私は経験していないんですが、それが今日のテーマです。そして、私は今まで書いてきた通り、いわゆる理数系の科目が超苦手な人間です。それでも今日言いたいことを説明するのに都合がいいので物理という言葉を使います。ご了承ください。
といっても、まあ難しい話ではありません。二輪車にしても四輪車にしても。どんなにコンピュータが進化して人間がやることをアシストしてくれるとしても。結局のところ地面に設置しているのはタイヤであり、前に進むためには空気の層をぶち破らなくちゃならないということです。
速い話が、タイヤが滑れば車も滑って地面かガードレールにキスすることになるわけですよ。スピードが出ていれば出ている分だけ「熱烈なやつをよォ――――ッ!」となるでしょうし。かといって何となくスピードを落としてもいまいち不安定だし、後ろから速い車が来ればつっかえる可能性もあります。
「じゃあどうすればいいんだ!」(ホワイトベースの二宮さん風に)
そこでメリハリのある運転ですよ。ただスピードを落とすのではなく、フロントブレーキを使って荷重移動。こと四輪車に限って言えば、フロントに荷重を移せば曲がりやすいっていうのは『頭文字D』でも実体験でもわかっていたのですが……二輪車でも同じです。
いや、そんなの今公道を走っている人なら常識すぎて考えたこともねぇって話だと思うんですが、私にとってはそれさえも大きな発見だったんです。逆に言うと今まで(公道デビューから3回目くらいまで)は停止時以外ほとんどフロントブレーキを使わずに曲がっていたんです。
何となく走って、何となく慣れて、何となくわかって、何となく早くなる。「何となく」という言葉を「体で覚えて」と言い換えてもいいでしょう。確かにそういう人はいます。私も実践的な練習を山ほど繰り返すことが上達の近道であることは否定しません。
ただ、残念ながら季節はこれから冬です。関東だったら冬期間でもまあまあ走れるかもしれませんが、東北は厳しいです。専用装備と特殊技術を持った人(郵便屋さんなど)でもなければ、まともに走ることはできません。それこそZX-12だろうとH2Rだろうと不可能です。
それだったら、学科と自主トレーニングしかありません。頭で覚えてすぐに体が動くわけではありませんが、「どうすれば、どうなるか」ということをわかっていれば、わからないよりは確実に進歩するはずです。元々それほど運動が得意でないから、ということもありますし。
それに、楽しいんですよね。それもまた、自分の意のままに操る(=不便極まりない二輪車という乗り物に手間とお金をかけて乗る理由)ということに近づくためのプロセスですから。そして、ひいては事故を防ぐための助けにもなるでしょうから。
公道を運転する上で最も大切なことは「法規走行」。何キロ出したとか何秒で走りぬいたとかポルシェより速いとかアルファードより速いとか、そんなのどうだっていいんです。大切なのは事故を起こさないことであり周りに事故を起こさせないことです。それが本当の、上手な乗り手だと思います。……ま、これは『湾岸ミッドナイト』の神谷エイジさんのセリフなんですけどね。
高校時代の期末考査、数学は毎回赤点でした
いぬがみです(理数系は昔から大苦手)。
そういうこともあって2年生の時からは数学がない世界に進んだ私。現在はもう存在しないのですが当時の盛岡市立高等学校には「英語科」というものがあり、普通科の人たちが数学をやっている時間も英語の授業をするところがあったんです。それで何とか卒業することができた……って、私の数学の話はいいんです!
現役高校生の方がこの記事を読むことはないと思うのですが、たぶん変わりないですよね。小学生の頃は「理科」という科目が中学に進むと「1分野・2分野」となり、高校に進学するとそれがさらに「物理・地学・生物・化学」とかと細分化して……私がいた英語科は生物一本だったのですが、これまた普通科の人たちは色々と選んでいました。
「物理」私は経験していないんですが、それが今日のテーマです。そして、私は今まで書いてきた通り、いわゆる理数系の科目が超苦手な人間です。それでも今日言いたいことを説明するのに都合がいいので物理という言葉を使います。ご了承ください。
といっても、まあ難しい話ではありません。二輪車にしても四輪車にしても。どんなにコンピュータが進化して人間がやることをアシストしてくれるとしても。結局のところ地面に設置しているのはタイヤであり、前に進むためには空気の層をぶち破らなくちゃならないということです。
速い話が、タイヤが滑れば車も滑って地面かガードレールにキスすることになるわけですよ。スピードが出ていれば出ている分だけ「熱烈なやつをよォ――――ッ!」となるでしょうし。かといって何となくスピードを落としてもいまいち不安定だし、後ろから速い車が来ればつっかえる可能性もあります。
「じゃあどうすればいいんだ!」(ホワイトベースの二宮さん風に)
そこでメリハリのある運転ですよ。ただスピードを落とすのではなく、フロントブレーキを使って荷重移動。こと四輪車に限って言えば、フロントに荷重を移せば曲がりやすいっていうのは『頭文字D』でも実体験でもわかっていたのですが……二輪車でも同じです。
いや、そんなの今公道を走っている人なら常識すぎて考えたこともねぇって話だと思うんですが、私にとってはそれさえも大きな発見だったんです。逆に言うと今まで(公道デビューから3回目くらいまで)は停止時以外ほとんどフロントブレーキを使わずに曲がっていたんです。
何となく走って、何となく慣れて、何となくわかって、何となく早くなる。「何となく」という言葉を「体で覚えて」と言い換えてもいいでしょう。確かにそういう人はいます。私も実践的な練習を山ほど繰り返すことが上達の近道であることは否定しません。
ただ、残念ながら季節はこれから冬です。関東だったら冬期間でもまあまあ走れるかもしれませんが、東北は厳しいです。専用装備と特殊技術を持った人(郵便屋さんなど)でもなければ、まともに走ることはできません。それこそZX-12だろうとH2Rだろうと不可能です。
それだったら、学科と自主トレーニングしかありません。頭で覚えてすぐに体が動くわけではありませんが、「どうすれば、どうなるか」ということをわかっていれば、わからないよりは確実に進歩するはずです。元々それほど運動が得意でないから、ということもありますし。
それに、楽しいんですよね。それもまた、自分の意のままに操る(=不便極まりない二輪車という乗り物に手間とお金をかけて乗る理由)ということに近づくためのプロセスですから。そして、ひいては事故を防ぐための助けにもなるでしょうから。
公道を運転する上で最も大切なことは「法規走行」。何キロ出したとか何秒で走りぬいたとかポルシェより速いとかアルファードより速いとか、そんなのどうだっていいんです。大切なのは事故を起こさないことであり周りに事故を起こさせないことです。それが本当の、上手な乗り手だと思います。……ま、これは『湾岸ミッドナイト』の神谷エイジさんのセリフなんですけどね。
おはようございます。
VTはRZをぬかないように
いぬがみです(ドカァン)。
かつての「こち亀」はバイクブーム……というよりもバイク好きのアシスタントさんがたくさんいて、作中でもバイクネタが多数ちりばめられていました。のちに色々と設定変更があったりして幻滅してしまったこともありますが……それはそれとして。
バイクのことを詳しくわからないながらも、何となくセリフを覚えていたものです。それを今、バイク乗りの端くれになることができて、バイクのことを何の後ろめたさもなく好きになれるようになって、改めてかみしめてみる。
もっとも私は「こち亀」で車・バイクの世界に入った人間ですからね。あくまでも警察官寄り、交通ルール順守を心がける人間なのです。
それをふまえて。こち亀で交通安全と言えばこの人です。
そうです! 私も高速には乗らないから60キロでいいんです! いや、70キロか80キロか……とにかく高速には乗らないからいいんです!
もっとも、この人の交通安全意識は優れた技量の上に成立しているものです。
VTはRZをぬかないように
いぬがみです(ドカァン)。
かつての「こち亀」はバイクブーム……というよりもバイク好きのアシスタントさんがたくさんいて、作中でもバイクネタが多数ちりばめられていました。のちに色々と設定変更があったりして幻滅してしまったこともありますが……それはそれとして。
バイクのことを詳しくわからないながらも、何となくセリフを覚えていたものです。それを今、バイク乗りの端くれになることができて、バイクのことを何の後ろめたさもなく好きになれるようになって、改めてかみしめてみる。
もっとも私は「こち亀」で車・バイクの世界に入った人間ですからね。あくまでも警察官寄り、交通ルール順守を心がける人間なのです。
それをふまえて。こち亀で交通安全と言えばこの人です。
そうです! 私も高速には乗らないから60キロでいいんです! いや、70キロか80キロか……とにかく高速には乗らないからいいんです!
もっとも、この人の交通安全意識は優れた技量の上に成立しているものです。
こんばんは。
ADHDで仕事が破たん
いぬがみです。
そんな絶望的な状況でも私にはバイクがあります。今や青森は大雪で完全にバイクには乗れませんが、免許があり、車体もある。その気になればいつでもバイクで旅に出られる現状況というのは、すごく強いです。誰に何を言われようと、おれにはバイクがある。そんな感じ。
で、バイクで漫画と言えば「ばくおん!!」であり、私も弟者もコミックスを全巻揃えてアニメのDVDも手に入れて……と、一言で言えばドハマり中であるわけですが。ちょうどアニメを放送していた2016年ごろでしょうか。「グッドマナー・ジャパンライダーズ」さんとコラボしたポスターが全国の道の駅に張り出され、当時それほど興味がなかった――というか、憧れてはいたものの、自分がバイクの免許を持っていないことにコンプレックスを感じていた――否応なく私の目にも止まりました。知らない人が見たらスズキの人が主人公だと思うんじゃないかな(私はそうでした)。
しかし、今回は「ばくおん!!」の話ではありません。私が「バイクに乗る女性の漫画・イラスト」という点において強烈に印象に残っている「本田恵子」先生の話をします。それよりも先に「こち亀」の秋本麗子嬢にドキドキしたのは事実ですが。
これは10年前、当時のホンダのWebサイトにあった画像です。わざわざこれを右クリック保存していたのですね。
その後「お江戸はねむれない!」を読んで大ショックを受け、すっかり本田恵子先生のファンになってしまった私。最近はこう、なんだ、結構……大人の女性向けの漫画を主に書かれているようで……男性にはなかなか共感できない部分があるのですが……しかし、しかしだ! ちょっと昔のことにはなりますが、そのグッドマナージャパンライダースの関係で、とっても素敵なイラストを寄稿されているではありませんか!
バイクに乗っている可愛い/綺麗な女性にため息をつくだけでなく、自分もまた同じライダーとして共感、共有することができるようになった……そう思うと、改めて本田恵子先生のことが好きになった犬神なのであります。バイク漫画を描いてくれたら私は発売日に新刊で買います! さすがに、こう、あの……レディコミ的な話はちょっと難しいですけど! (それはかつて少女漫画で一世を風靡し、今はちょっとドロドロした漫画で活躍している「月森雅子」先生にも共通することでありますが)。
ADHDで仕事が破たん
いぬがみです。
そんな絶望的な状況でも私にはバイクがあります。今や青森は大雪で完全にバイクには乗れませんが、免許があり、車体もある。その気になればいつでもバイクで旅に出られる現状況というのは、すごく強いです。誰に何を言われようと、おれにはバイクがある。そんな感じ。
で、バイクで漫画と言えば「ばくおん!!」であり、私も弟者もコミックスを全巻揃えてアニメのDVDも手に入れて……と、一言で言えばドハマり中であるわけですが。ちょうどアニメを放送していた2016年ごろでしょうか。「グッドマナー・ジャパンライダーズ」さんとコラボしたポスターが全国の道の駅に張り出され、当時それほど興味がなかった――というか、憧れてはいたものの、自分がバイクの免許を持っていないことにコンプレックスを感じていた――否応なく私の目にも止まりました。知らない人が見たらスズキの人が主人公だと思うんじゃないかな(私はそうでした)。
しかし、今回は「ばくおん!!」の話ではありません。私が「バイクに乗る女性の漫画・イラスト」という点において強烈に印象に残っている「本田恵子」先生の話をします。それよりも先に「こち亀」の秋本麗子嬢にドキドキしたのは事実ですが。
これは10年前、当時のホンダのWebサイトにあった画像です。わざわざこれを右クリック保存していたのですね。
その後「お江戸はねむれない!」を読んで大ショックを受け、すっかり本田恵子先生のファンになってしまった私。最近はこう、なんだ、結構……大人の女性向けの漫画を主に書かれているようで……男性にはなかなか共感できない部分があるのですが……しかし、しかしだ! ちょっと昔のことにはなりますが、そのグッドマナージャパンライダースの関係で、とっても素敵なイラストを寄稿されているではありませんか!
バイクに乗っている可愛い/綺麗な女性にため息をつくだけでなく、自分もまた同じライダーとして共感、共有することができるようになった……そう思うと、改めて本田恵子先生のことが好きになった犬神なのであります。バイク漫画を描いてくれたら私は発売日に新刊で買います! さすがに、こう、あの……レディコミ的な話はちょっと難しいですけど! (それはかつて少女漫画で一世を風靡し、今はちょっとドロドロした漫画で活躍している「月森雅子」先生にも共通することでありますが)。
おはようございます。
ご無沙汰しております。
いぬがみです。
7月、8月、9月、10月。色々ありました。
相当、厳しい状況でした。
語りたいことは色々ありましたが、あんまり外側に発信したところで面白くないかな? と思ったりしたので、ここでは書きませんでした。あと、自分の気持ちを外部に発信したくない――極度の自閉スペクトラムが私を支配していたから、かな。
そういうのも大体落ち着いて。
いいんです、私は125で。
いいんです、私は小型限定で。
すべてをかけて! 命を懸けて! あがいてあがいて、手に入れたもの。それが夢であり、小虎ことD-TRACKER125なんですから!
……なんてね~!(深夜版)
どうですか、こんなことしか書けなくなってしまったんですよ。私は人の話を聞かない代わりに、誰かに話を聞いてもらうこともやめようって。私は私の好きなものを極めようって。誰にもわかってもらえなくてもいいからって。
でも、発信します。
もしかしたら、今じゃなくても――3年後5年後、何かのきっかけで誰かがこれを見て、何かを変えるきっかけになるかもしれないので。
ご無沙汰しております。
いぬがみです。
7月、8月、9月、10月。色々ありました。
相当、厳しい状況でした。
語りたいことは色々ありましたが、あんまり外側に発信したところで面白くないかな? と思ったりしたので、ここでは書きませんでした。あと、自分の気持ちを外部に発信したくない――極度の自閉スペクトラムが私を支配していたから、かな。
そういうのも大体落ち着いて。
いいんです、私は125で。
いいんです、私は小型限定で。
すべてをかけて! 命を懸けて! あがいてあがいて、手に入れたもの。それが夢であり、小虎ことD-TRACKER125なんですから!

……なんてね~!(深夜版)
どうですか、こんなことしか書けなくなってしまったんですよ。私は人の話を聞かない代わりに、誰かに話を聞いてもらうこともやめようって。私は私の好きなものを極めようって。誰にもわかってもらえなくてもいいからって。
でも、発信します。
もしかしたら、今じゃなくても――3年後5年後、何かのきっかけで誰かがこれを見て、何かを変えるきっかけになるかもしれないので。
おはようございます。
8月最後の週末、どうでしたか
いぬがみです(私は相変わらず仕事でしたが)。
8月最終週末と言えば1年に1度のお祭り。そう24時間テレビ。……も、そうなんですが、ええ「鈴鹿10時間」ですよね。
世界中からこのためにレーシングチーム、そしてレーサーが終結。長時間のレースということで、この一戦だけ参加するレーサーもいました。
今回は私がゲームでも使用している「HOPPY86」のつちやエンジニアリングが不出場だったので普段はライバルとしてみている「グッドスマイルレーシング」の初音ミクAMGを応援しました。今回は特別仕様(桜ミク)のカラーリングに、ドイツ本国からの公認を受け全面的サポートを展開した同チーム。結果は……国内最高位の5位ということで、大健闘と言っていいでしょう。
いや、結局、私も初音ミク好きなんですよね。いわゆる「痛車」というカテゴリに分類されるのでしょうが、同チームはシリーズチャンピオンを獲得したこともある実力派ですから。ドライバーも、谷口伸輝選手が参加しているし。
一瞬の速さですべてが決まるスプリントレースも当然白熱しますが、私はやはり耐久レースで勝利するチームこそ最高のチームだと思っています。車の性能、すなわち速さはもちろん必要ですが、それ以上に試されるのはチームの総合力。給油やタイヤ交換のタイミングもそうですし、10時間とか24時間とかをキッチリ走り切る信頼性とドライバーの走らせ方。すごく難しいと思います。
これらをすべてクリアし、表彰台こそ逃したもののしっかり走り切った桜ミク号。本当にお疲れさまでした。心からそう思います。
8月最後の週末、どうでしたか
いぬがみです(私は相変わらず仕事でしたが)。
8月最終週末と言えば1年に1度のお祭り。そう24時間テレビ。……も、そうなんですが、ええ「鈴鹿10時間」ですよね。
世界中からこのためにレーシングチーム、そしてレーサーが終結。長時間のレースということで、この一戦だけ参加するレーサーもいました。
今回は私がゲームでも使用している「HOPPY86」のつちやエンジニアリングが不出場だったので普段はライバルとしてみている「グッドスマイルレーシング」の初音ミクAMGを応援しました。今回は特別仕様(桜ミク)のカラーリングに、ドイツ本国からの公認を受け全面的サポートを展開した同チーム。結果は……国内最高位の5位ということで、大健闘と言っていいでしょう。
いや、結局、私も初音ミク好きなんですよね。いわゆる「痛車」というカテゴリに分類されるのでしょうが、同チームはシリーズチャンピオンを獲得したこともある実力派ですから。ドライバーも、谷口伸輝選手が参加しているし。
一瞬の速さですべてが決まるスプリントレースも当然白熱しますが、私はやはり耐久レースで勝利するチームこそ最高のチームだと思っています。車の性能、すなわち速さはもちろん必要ですが、それ以上に試されるのはチームの総合力。給油やタイヤ交換のタイミングもそうですし、10時間とか24時間とかをキッチリ走り切る信頼性とドライバーの走らせ方。すごく難しいと思います。
これらをすべてクリアし、表彰台こそ逃したもののしっかり走り切った桜ミク号。本当にお疲れさまでした。心からそう思います。