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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
おはようございます。

 久々に実家に帰ってきています

 いぬがみです(急を要する用事があったため)。


 来月以降、思いっきり収入が減少する見込みがあるため、生命保険料の支払いを猶予してもらうための連絡をしました。それにともない証券証書が必要になるため帰ってきた次第です。

 それ以外は家にいろという世間的な風潮に合わせ、部屋の本棚の整理をしていました。さほど広くもないウォークインクローゼットに本棚を組み、それでも全然足りなくて、山積みになった私と兄弟たちの本。じつに数百冊になるでしょうか。

 雑誌、コミック、小説、云々かんぬん……。ジャンルは様々ですが、じつに20年前とか30年前とか、場合によっては40年以上前の本とかもあります。そういうのはできれば全部捨てたくないのですが、物理的なストレージにも限界があります。だから私の裁量で何とかなる部分に関しては、少なからず思い入れのある本も含めて、処分しました。

 また、処分しないまでも、私の心のライブラリにある本が物理的にどこにあるのかを把握しておかなければなりません。それは本だけではなくCDだったりラジコンだったりプラモデルだったり、いつかどこかの観光地で買ったお土産だったりします。こういうのを再構築してやることで、糸の切れた凧のようになってしまいそうな私自身を取り戻すこともできるのです。

 壊れてしまったもの、なくしてしまったもの、金に困って売ってしまったもの。理由がわかるものもわからないものも、残念ながらそれが見つからない……そういうのもあります。でも、それならそれで心の中から取り除いてやらなければなりません。それもまた、私自身を取り戻すという作業なのですから。

 なくしたものはどうするのか。まだまだ探すのか。それとも踊るのか。夢の中へ夢の中へ行ってみたいと思いませんかウフッフ~(いい声で)。
 しかしながら、私にとって自分の心を取り戻そうとする作業は、楽しくもあり恐ろしいことでもあるのです。20年前とか30年前とかの記憶を呼び覚ませば、感じやすい私の心はすぐに90年代80年代にタイムスリップします。でも、物理的には2020年のままですから、そこに齟齬が生じます。そしてそれを何とかすり合わせるために精神的な戦いを繰り広げるのです。まさにサイキックディテクティブです。人の心にダイブするA級アナリスト降矢木和哉ですよ。

 「お……
  お ま え は ……!」

 ……わかる人は大体40歳以上のおっさんでしょうけど、大丈夫です、私も今年39歳ですから。もしわかる人がいたらコメントください。

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こんばんは。
 
 9%酎ハイにはまだ早すぎる

 いぬがみです(1950年代にチューハイはありません)。


 私が働いている『奥入瀬 森のホテル』は、昨今の世情をかんがみて4月1日から休館しています。本当は17日から再開する予定だったのですが、事情が変わって(髭男爵の山田ルイ53世ふうに)、6月末まで休館することになりました。

 一言で「6月末まで休館」と言いましたが、正直、こんなに長い時間フリータイムになったことは、38年の人生のなかで1度もありません。大学卒業後に就職浪人した時も、30代過ぎに派遣切りされて今の会社に潜り込むまでの間も、せいぜい1か月くらいでしたからね。

 そして「これから先、こんな長い休みはないだろうな」と思っていた大学時代も2か月弱でしたから……いったい、どうなってしまうのだろう……そんな気持ちです。


 でも、思うのです。

 たぶん、いぬがみ、人生最大のチャンスなんだろう、と。

 この期間にやれるだけのことをやって、何かしらつかまないと、いけないんだろうな……と。


 あまり多く語ることはやめましょう。これから2本目のビールを飲もうというところですから、酔っ払いトークを続けてはいけません。

 その代わり、また書きます。日にちを改めてね。

 森のホテル的には皆様に『長いお別れ』となりますが、いぬがみ自身はまだまだこれからだと思っています。とりあえずこの期間にフィリップ・マーロウのシリーズを読んでいきたいと思います。

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こんばんは。

 酔っぱらった勢いも手伝って、このブログを書きます

 いぬがみです(BGM:Kalafina)。


 「それでも 生きていかざるを得ない」

 思春期というものを人間の一生レベルで影響する精神的な活動のベースが形作られる時期であるとするなら、私の場合、その時期に影響を受けた3大アーティスト『筋肉少女帯』『人間椅子』『戸川純』なんですが、これはその筋肉少女帯の名曲『踊るダメ人間』の歌詞の一節です。


 語りたい言葉を最低7割、極力8割削減して、書きます。

 結論的に言えば、私は筋肉少女帯(+オーケンこと大槻ケンヂさんの言葉)があったから、生きてこれました。

 どんなにつらいことがあっても、どんなに死にたくなっても、

 「ここで死んだら、自分は凡百の、つまらない人間にすぎない」

 そう思うと、少なくとも自分から死のうとは、思わなかったんですよね。

 むしろ、ほかの人が避けて通るであろう道を通ってでも、どんなに恥ずかしいとか苦しいとか切ないとか――まとめれば「ネガティブな」――思いをしても、生きられる限りは生きていこう。

 そう思って、生きてきました。

 「自分は筋肉少女帯とかオーケンさんん言うような『つまらない人間』ではない」

 そんな気持ちがあったから、色々あっても生きてきました。

 もしかしたら、そういうことがあったから、社会人となって15年以上が経った現在、ちょっとだけ生きづらい状況になったのかもしれませんが……ただ、今はイエス様がいますからね。また違った意味で、「この世界で生きていく意志」その点についてはパワーアップしているのです。


 オーケンさんも今は50代ですか。「ロッカー(=いわゆるロックミュージックを歌う歌手)は30歳までに死ななければならない」と言われた世代を生き抜いてきたオーケンさんが、今はCMソングだろうと何だろうと歌っていますからね。でも、それがうれしいですよ私は。どんな人でも何でもかんでも、生きて生きて生き抜いてやれ! 今こそみんな高円寺でカレーだ!(最後の最後で意味不明→台無し)

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こんばんは。

 ソーシャルゲーム? に夢中

 いぬがみです(でも無課金)。


 古くからのゲーマーであるいぬがみは、もともとこの手の「ソーシャルゲーム」というんでしょうか? 要するに携帯電話とかスマフォンとかがあれば、特別なハードとかソフトとかを買わなくても無料で遊べる――そのうえで、ゲームをより優位に進めるために必要なアイテムなどを日本円で購入することができる――というのが、好きではなかったんですよね。

 「お金をかければかけるほど、ゲームを有利に進めるアイテムが手に入る→(現実世界の)お金があればあるほどゲームを有利に進められる→無課金だったら高が知れてる」というイメージがあったからかもしれません。そういうのを社会問題として取り上げる一般メディアを通して、その手のゲームを見ていたかもしれません。あとは、老舗ゲームメーカーがそういったソーシャルゲームに押され、私が愛してやまないアーケードゲームやコンシューマーゲーム(今ならPS4とかニンテンドースイッチとか)が押されているから……という「やっかみ」もあるからかもしれません。

 でも、一方で、面白いところもあるんですよね。

 正直に申し上げます。実に30年以上のアーケードゲーム・コンシューマゲーム愛好家であることを前提に申し上げます。

 いま、『ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル」にドハマり中です。

 「どうぶつの森 ポケットキャンプ」は毎日やっています。

 最近はやっていませんが「PokemonGO」も大好きです。アプリを削除したのは、前者2つのアプリのアップデートが激しすぎて、私のスマフォンのストレージ容量が厳しくなったためです。もしも残り容量が100ギガあったら、ポケモンGOもやりたいし、ほかにもいろいろとやりたいゲームがあります。

 ソーシャルゲーム、面白いです。これだけで何時間でも遊べます。


 なんでしょうね。この不思議な魅力というか、「やらなくちゃ」と思ってしまうような魅力。

 色々あると思うんですが、ひとつは「ソーシャルなネットワーク」の要素でしょうね。

 つまりアレですよ、自分が誰かに働きかけることで、ほかの人が有利にゲームを進められるようなシステムがあるってことですよ。これは「ポケ森」なんかは顕著ですね。

 それから、たとえばあるイベントがあって、その全国ランキングにおける自分の順位が、ほぼリアルタイムに反映されるところも面白いですね。これは「スクフェス」ですが。

 1981年(昭和56年)生まれ、今年の7月で39歳、いわゆるアラフォー世代のワタクシなどは、この状況を見て、じつに30年前のファミコンディスクシステムにおける「ディスクファックス」というものを原点として思い出します。

 これっていうのは……ゲーム内の自分の記録が保存された記憶媒体を、そういう情報を共有できる通信機器があるお店に持っていき、それでアレコレすることによって全国ランキングに参加できるという……21世紀になって20年もたった令和の現代にあっては、とてつもなくまどろっこしい過程を経て、見知らぬ日本全国のプレイヤーとのランキング、すなわち「つながり」を持てた……というものなんですが。

 当時そういった「つながり」を持つために必要なもの(ハードウェア、ソフトウェア、そしてランキングに参加できるだけの記録を残すための「技術」)をすべて持ち合わせることができなかった私。そう考えてみると、こうして『スクフェス』で全国ランキング10000位に入るとか入らないとかで血眼になっているのも、ある意味では「夢がかなった」のかもしれません。

 課金したくたって、現実問題としてそんなことをする余裕が0.1ミリもない昨今ですが(けっこー深刻なレベルで……だって私の会社は宿泊業ですから)、それでもこういう形で――たといそれが仮想空間の中だけの話であったとしても――

 案外こんなことが「生きる希望」に、なってたり、するんですよね。


 ……いま、この間にカメムシを駆除していましたが、どれだけ息苦しくなるような悪臭を放つとはいえ、私がガムテープでこれを駆除するだけ、いいのかもしれません。いま、全世界が戦っているのは、ガムテープでもなんでもとらえることができない、目に見えない敵と戦っているのですから。悪臭で済むのなら、まだいいのでしょう。


 現実問題として(何度も繰り返してすみません)、日本中、いや世界中で、この有史以来の? 困難と闘っている状況です。それがどれだけ深刻で、どれだけ他人事でないことなのかというのは、皆様が誰よりも「自分自身のこととして」認識しておられると思うので、今更私が繰り返すことはしません。

 そんな状況で私が言いたいのは、

 「それでも、私たちは、生きていかなければならない」

 ということです。筋肉少女帯の名曲『踊るダメ人間』の歌詞を引用すると、

 「それでも 生きていかざるを得ない」

 ということです。


 もう、今日書こうとしていた話題から逸脱しているのは承知していますが、それでも。

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こんばんは。
 
 イースターに関しては、心の中で喜びます
 
 いぬがみです。
 
 
 新型コロナウイルス関連のニュースが、日々深刻さを増している昨今ですが、皆様はどこでお過ごしでしょうか。
 
 私は今、青森県内で初めてクラスター感染が確認された十和田市にいます。
 
 人が大勢集まる市街地からず~っと(車で30分くらい)離れたホテルで生活しているので、人との接触の機会といえば食料などを買い出しに行く時くらいですが、もはやそれさえも安全・安心ではありません。残念ながら不織布マスクも手元になく、とにかく可能な限り外出を控えるしかないのか……と思っている今日この頃です。
 
 世の中の、ほかの人たちについて、私がどうこう言うつもりはありません。本当はちょっと、「自分はこう思う」みたいな話をしようと思ったのですが、やめました。
 
 うん、やっぱり、やめます。
 
 首相も各都道府県知事も大学教授も、「どうすればいいのか」ということを毎日毎日言っているから、私がこんなところで、何を言っても仕方ありませんしね。
 
 
 私は私で、「そうするべきだ」と思うことをします。不織布マスクは欲しくても手に入らないのでしませんが、布マスクは先月なんとなく買っていたものがあるので、それをつけます。効果のほどはたかが知れていますが、ないよりはましでしょう。あとは手洗いなどの消毒対応。そして不要不急の外出を控える。
 
 
 誰が何をしようと、私は何も言いません。その結果、世の中がどうなろうと、私は「仕方がない」と受け入れられるように準備しておきたいと思います。
 
 だってイースターですから。イエス様の復活。それ以上の喜ばしいことはありません。

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おはようございます。

 昨日はラジオを多く聞いていました

 いぬがみです。


 ラジオっていうのは音ですから、何かしながらでも聞ける一方、何もしなくても聞けるのがいいですよね。さっさと布団に入って、寝付けなくても目を閉じてても頭に入ってくるというか、そういう体勢の方がむしろ世界観を広げられるというか。同様のことはスマフォンアプリの『ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル』のストーリーでも言えますが。

 で、昨日は夜8時からNHKの『東京03の好きにさせるかっ!』を聞いていました。ゲストは声優の雨宮天さん。……TSUTAYAのアニソンCDコーナーで名前を見かけたことはありますが、名前の読み方は今日初めて知りました。ちょっと検索すればわかることなんですが、それをしなかったというのは、声優としての仕事をしているところに触れる機会がなかったからです。

 要するに「うおっ今日のゲストは雨宮天じゃん聞かなくちゃ~!」っていうわけではなく「ほう、今日のゲストは……声優さんか。とりあえず聞いてみるか」って感じだったんですよね。だいぶんアニメオタクですね、どうもね。

 一方で東京03の方は、これは結構好きなんですよね。特に豊本さん。なぜならプロレス関係のコラムを一時期よく読んでいたから。今回この記事を書くために調べたら、女子プロレスラーと結婚してたんですね。しかも浮気とかなんとかって……きわどいなあ。

 
 番組の内容はトーク、そして4人で作ったコントなど。

 ……いや~ギリギリでしたね。あまりにも日常に近くて、笑いの対象になるかならないか……そのギリギリのところで何とか楽しめました。「もし本当にこういう女子社員がいたら……できればあんまりかかわりたくないな」と2割か3割くらい思いつつ、「でもこれはコントだからな。笑っていいんだろうな」と残りの7割で思って、結果的に笑う。そんな感じかな。

 私自身が、考え方がネガティブだとかポジティブだとかリバーサルだとかオルソ・クロマチックだとか……そういうことを語ることはしません。ただ、共感できる部分はたくさんありました。

 私もいわゆるアラフォーの年代ですが、やっぱり「縁があるのにそれを自分で切るのはもったいない」という考え方になってきたんですよね。だからかつては人とのかかわりをできるだけ避けてきたんですが、最近はほんのちょっとだけ、自分から踏み出すようになった、と。本当に、20センチくらいですけどね。前に踏み出すことができるようになりました。

 とりあえず、雨宮天さん。その名前、お人柄、しかと心にとめておきましょう。声優目当てでアニメを見ることは(あんまり)しませんが、何かの折に触れる機会があったら、その時は手を伸ばしてみたいと思います。一方で私は、しばらく酒量を少なくしようと思っています。最近はちょっと痛飲しすぎて、記憶を飛ばしてしまい、次の日に布団の中でスマフォンを見て不特定多数の人に酔っぱらいメールを送っていたことに気づいたからです。あとリバーサルとかオルソ・クロマチックというのは写真用語です。

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話が長くなったので、稿を改めて、手早く言いたいことを言います。

 ああ、そうそう。一番言いたかったことを忘れるところでした。とりあえず言います。

 新型コロナウイルス、「無症状」というのがあるようです。自分がそうなのかどうかわかりませんが、「自分は若いから」「自分は症状がないから」「自分は死なないから」「自分は死んだって誰も困らないだろうから」……

 冗談じゃねえ、という話です。

 これは自戒の意味も含めて言います。

 (感染したけど気づかない)お前が死ななくたって、お前以外の誰かが感染して苦しんで死んじゃう可能性があるんだよ、と。

 そう考えた時、私も考え方――というか、生き方を改めることにしました。

 「ひょっとしたら自分も感染しているかもしれない……その前提で行動しよう」

 以下、この言葉を書く前に書いた駄文です(読み飛ばしていただいて結構です)。



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 色々と不安や恐怖にかられて、何が何だか分からなくなってしまうことがいっぱいあると思います。細かいこと、個人的なこと、不満や不自由やなんやかんや、色々あると思います。

 言いたいことはいっぱいあるでしょう。

 それはいいと思います。実際に、自分がそう思ったことでしょうから。それ自体を否定する必要はありません。「ああ、こんなことを思っちゃいけないんだ」とかって自分で押し込める必要はありません。そう感じたこと、そう思ったこと自体は、否定することはないと思います。

 ただ、それをSNSとか、一瞬で全世界に広がるような場所でポッと吐き出してしまうことが、良くないのです。それがあっという間に全世界に――時として、自分が思っているものとは違った形で広がって、結果的にさらなる不安や恐怖、最悪の場合、こないだのトイレットペーパー騒動のような社会現象を引き起こしてしまうのでしょうから。


 だからみんな、パソコンを持っている方なら、オフラインで文章を書きましょう。テキストエディタかなんかを起動して、書きたいことを書いて、それを自分のハードディスクに保存しましょう。

 そうでないなら、ノートに書きましょう。キャンパスノートを開いて、そこに鉛筆でもシャープペンでもボールペンでもいいですけど、そこにガリガリと書きましょう。

 いいんです、何を書いたって。オフラインならね。


 実はこれ、今から――何年前だっけ。20代半ばのころ、初めて心療内科に行ったとき、そこの先生に教えてもらった「こころの処方箋」だったんですよね。そうやって何でもかんでも言葉に書き出してしまえば、自分で自分の考えを冷静に理解できるから、っていうことで。

 誰よりも私自身がそういう気質があるから言うのですが、勢い任せで突っ走ってしまうのが、いけないんです。

 良いことも悪いこともあります。

 でも、ね。

 私たちはとにかく、生きていかなくちゃいけないんですから。

 「自分なんか、どうせ世の中にあって、何も関係ないから……」

 そう言いたくなる気持ちはわかります。私も10代20代のころ、そうでした。こんなことを言う時点で、ちょっと歳を取りすぎたのかなという気もしますが、そう批判するのなら批判してください。まったく構いません。そのうえであえて言います。そろそろ酔いが回ってきて、ちゃんとした言葉が書けなくなってきましたから(缶チューハイ500x2完飲)。


 結局、完全に自分ひとりで生きている人って、そんなにいないんですよね。

 確かに完全な意味で「自給自足」というサイクルを確立している人は、いらっしゃると思うのですが、そんな人はまずこのブログを見ることはないでしょう。インターネットという仕組みさえ、必要ないでしょうから。そういう人は。

 でも、この情報化社会の昨今、そうではない人が大半だと思います。だからといってこのブログが、そこまでたくさんの人たちに見られているとは思いませんが、見てくださっている数十億人のうちの数十人? の方に向けて発します。

 生きていきましょう。いい日があるから生きていきましょう。何があろうと、まずは生きることを第一に考えましょう。

 そして、不安や恐怖にかられて、どうしようもなくなったら、神様に祈りましょう。

 別に神様が経済対策とか給付金とか、そういうのを与えてくださるわけではありませんが、「とにかく生きていける」そういう希望を与えてくださるでしょうから。


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こんばんは。

 今日はちょっとシビアな話を

 いぬがみです。


 安倍首相が本日「緊急事態宣言」をして、いよいよ新型コロナウイルスの「禍(わざわい)」が国家存亡の危機にまで来たのか……ということを確認しました。実際、安倍首相も「戦後最大の危機」と会見で語り、それに対する経済対策の内容は空前絶後、とにかくとてつもないものです。さほど政治や経済に明るくない私でさえ、

 「そんなお金、どこにあるの」

 と心配になってしまうくらい巨大なものです。もっとも、私自身も(たぶん)雇用調整助成金とか、そういうののおかげで生きながらえているのだと思うのですが……。

 正直なところ私は立憲民主党推し……というか東日本大震災の時に、立場上仕方ないとはいえ、常に会見をしていた枝野氏推しであり、これまで自民党に投票したことは一度もないのですが、ここはそういうことは抜きにして、まずは安倍首相を信じることにしましょう。細かいところで言えば、アレコレ異論があるとは思います。私だって、丸ごと安倍首相の言う通りに何もかもがうまくいくとは思っていません。

 でも、とにかく今、目の前のことをやるしかないじゃないですか。できることをやるしかないじゃないですか。


 それはグーッとズームインして、日本全体ではなく私の職場もそうです。

 かつては私も一緒に働く誰が好きだとか嫌いだとか、一緒に仕事をしたいとかしたくないとか、そういう話をしていました。しかしながら去年の6月くらいからでしょうか。うちのホテルの基幹を担っていたような人たちから、次代を担う新卒の子たちまで、とにかく毎月1~3人くらいのペースで人がいなくなりました。
 
 何よりも私自身が、この会社を辞めようと思いました。2月にほかのホテルに応募し、面接し、実際に内定もいただきました。

 しかしながら、すでに――言うまでもありませんが、もはや世界的に、そんなことを言っている状況ではなくなりました。ことに私の今の会社、それに次に行こうとしていた会社――いずれもホテル・旅館業でありますが、これらの業界は超大打撃です。インバウンド(海外からの観光客)で成り立っていたホテルは次々とクローズしていますし、国内ツアーも軒並みキャンセルとなっていて、うちのホテルも相当厳しい状況です。もしも安倍首相の雇用調整助成金というやつがなかったら、本当に私も路頭に迷っていたかもしれません。そう考えると「面倒くせえなあ」とか「おれはこの人とは絶対に合わないな」と思っていた上層部の人たちに感謝しなければならないかもしれません。社長、ありがとうございます(ペコリ)。

 そういうこともあって、せっかく内定をもらったホテルに辞退を申し出て、なおもこのホテルにとどまることを選択した私。正直なところ「進むも地獄、とどまるも地獄」と言いますか、もはやどっちを選択しても苦難のない未来はないだろう……という風に思っています。

 そういう選択をしてしまった以上、もう後には引けません。実家に置いている家族とも連絡を取っていません。退路を断って、今の状況を切り開くのに全力を尽くすだけです。土方さん(陸軍奉行並・土方歳三氏)の最後の戦いとなった一本木関門のアレです。「ここから退いたらオレが斬るゾ」と言われていると勝手に妄想して、やれるだけやってやろうと思います。

 自分でも、何が正しいのか、わからなくなっているのかもしれません。きっとほかの人に聞けば、ずっと前からそう言われ続けていたのですが、私の選択は間違っていると言われると思います。

 でも、いいんです。自分以外の誰を裏切ることになろうと、もう私は進むしかありません。こうなったら、やれるだけやってやろうと思うのです。今いる私の場所を――青森県を、十和田市を、ほんの少しだけ――

 好きになってしまったから。

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おはようございます。

 love blood love live !

 いぬがみです(クリアファイルもらってきました)。


 3月31日から『ラブライブ!サンシャイン!!」とのコラボレーションによる特製クリアファイルを配布するキャンペーンをしている「献血」ですが、私は年齢上献血が許可される16歳のころから結構よく通っています。職場が変わってからはあんまり頻繁に行くことはできませんし、何よりも私がふだん飲んでいる薬の影響で、そうそうしょっちゅう行くことはできないのですが、それでも3日我慢すれば献血できるのでね。全国的に医療の現場が厳しい昨今、特別な知識も技術もない私が協力できることといえば、自分の血小板とか何とかを差し上げることくらいだと思い、行ってきた次第です。

 もちろん、クリアファイル目当てでもありますがね。こうやってそれを目当てに来る人を当て込んで企画を打ち出しているのだから、動機が不純でも何でもありません。正当な手続きを経てそれをもらったのだから、堂々と見せびらかしていいはずです。

 が……わしは紳士だから……無論そんなことはせんがね……(いきなり会長ネタ)。


それはさておき、私の実際的な献血オペレーションを担ってくれた女性が、妙に若くて話好きであったことが新鮮でした。

 献血中に私がオーダーしたドリンクを見て

 「わぁ~おいしそう♪」

 と言ったり、献血カードにある私のプロフィールを見たのか?

 「何でわざわざ青森の献血ルームまで来たんですかぁ? 出張とか……?」

 なんだかイノセンスに色々と話しかけてくれる女の子。私も5年も客商売をやっているから、当たり障りのない受け答えでするりするりと流していたのですが、その後さらに彼女の追及は続き、最後にはとうとう白状してしまいました。

 「いや、あの……キャンペーン、あ、アニメの、あの……」

 みなまで言わせるんじゃないよ全く! と。おかげで血圧が必要以上に上昇しちゃいましたよ。若い女の子に自分がアニメ好きであると告白する……もはや刑事ドラマとかでよく見る、取調室で主人公(「はぐれ刑事純情派」の安浦刑事とか)に諭され、「私がやりました……!」と観念した犯人のようです。


 でも、まあね。盛岡の献血ルームよりも職員の人たちの距離、そして私たち来訪者との距離が近い感じがした青森の献血ルーム。とっても良かったです。採血が終わって書類を受付に持っていったら、全員が一致団結して給水器の使い方を業者の方からレクチャーされていて、誰も私のことなんて気にも留めなかった……だからといって声をかけることをせず、そっと受付デスクに書類を置き、窓から景色を眺めながらコーンポタージュを飲んで待った春の日でした。

 

(イメージ画像)

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こんばんは。

 皆様、お元気でお過ごしでしょうか

 いぬがみです(職場が今月16日まで休業中)。


 率直な話、私の職場である『奥入瀬森のホテル』(青森県十和田市)は、今月16日まで完全休館中です。理由についていろいろと皆様、ご高察されると思うのですが、あくまでも公式見解として「設備上の修理対応」と申し上げておきます。設備上のアレが見つかったので、修理のためにちょっと休業させていただきます。そういうことです。

 もちろん、ホテルが休業しているからと言って私も完全休業というわけにはいきません。確かに本来業務であるレストラン対応はできなくても、それ以外の仕事はたくさんありますからね。昨日は草刈り、今日は伐採……そして明日は風呂掃除(?)。レストラン担当としてではなく、ホテル全体を見ることのできる機会と受け止め、日々いつもとは違った作業に汗をかいています。

 って、今日は私の話はいいんです。だって私には、それなりに「やること」があるから。

 何かしたくても何もできない方が世の中にはたくさんいらっしゃる中で、たとい本来の2分の1でも3分の1でも、自分の会社のためにやることがある私はまだいいのだ。そういうことです。その前提で、今日書きたかったことを書きます。


 それはスポーツ選手――特に柴崎岳選手の話です。

 柴崎選手は言わずもがな、日本代表にも選ばれた日本最高峰のサッカー選手です。今はスペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャで活躍中で、妻は女優の真野恵里菜っていうのはいいんですが(妻がどうとかって部分から)、柴崎選手は青森県出身なんですよね(野辺地町)。地元の駅を降りたところにも、いきなり横断幕がドカーン! と掲げられていて、町全体をあげて応援しているところがあります。

 そういったスポーツ選手の人たちは、私たち一般人よりもずっと大変でしょう。特にオリンピックとかに狙いを合わせたU-23世代の人たちには、なおさら色々な思いがあるでしょう。

 この際、難しいことは言いません。倫理的に世間的に良かろうと悪かろうと、まず思っていることは正直に打ち明けてもらっていいと思うのです。そのうえで、我々一般人は最大限に気持ちを察しなければならないと思うのです。今の時代は「一億総評論家時代」というんですか? 何かを言えばそれに対して正義ぶった人たちがもっともらしい理屈をインターネット上で振りかざし、最終的に「炎上」とかなんとかって言われるところがありますが……

 ……どんな人のどんな思いも、受け止められるようになりたいですよね。

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おはようございます。

 アイドルっていうのは……

 いぬがみです。


 先日なんとなく「ひるおび」を見ていたら、お昼前の天気レポートをやっている女性の名前に、私の個人的無意識が反応しました(ちょっと何言ってるのかわからない……)。

 「倉持明日香」

 その名前を聞いてピンとくることはなかったのですが、どうしても気になる。すぐに検索して情報が調べられるのは便利な時代ですね。はい、それで調べてみました。

 ああ、そうでしたね。元AKBの人ですね。そして小橋建太さんの大ファンだってことですね。そういえば昔、秋山準さんのブログで読んだことがあります。

 小橋「アイドルがオレのファンらしいんだよ!」(笑顔)
 秋山「へぇ~よかったですね。何歳くらいの子なんですか?」(冷静)
 小橋「それがなぁ~16歳なんだよぉ!」(超・笑顔)

 っていうやり取りがあったらしいですね。大体こんな感じだったかな、という記憶の話ですが。


 なるほど、今はこうして、倉持明日香個人として活動しているわけですね。Wikipediaとかを見てもあんまり情報がありませんが、私が覚えている数少ない集合的アイドルの個人的名前なので今後ちょっとだけ追いかけてみたいと思います。

 同じように、情報番組で見てほっとするのは「めざましテレビ」の横山ルリカ(元アイドリング)でしょうか。逆に梅本まどか(元SKE)とかは、バイクとかモータースポーツ関連のニュースで先に知り、「おいおい、元アイドルだったのかよ」と驚いたりしました。ともあれ多いに頑張ってもらいたいものです。ところで仲谷はどうした。次はどのアニメの声を当てるんだ?

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おはようございます。

 武士は食わねど高楊枝

 いぬがみです(私は食べましたが)。


 昨今は新型コロナウイルスとか、そういうものの影響で不自由を強いられる日々がありますね。

 ……あらゆる言葉を飲み込みました。

 祈りました。

 誰がどうするべきだとか、こうあるべきだとか、私はあえて言いません。そういう理屈には必ず誰かが反対の声を上げるでしょう。そして私はそれに抗いきれず、精神的に疲弊してしまうでしょう。近頃はどうも平常心を保ち続けることが難しいのです。

 すぐに、心が乱れてしまうのです。本当に、ちょっとしたことで。


 だから、祈ります。

 必要なものが必要な分だけあればよいのだ、と。それを今日も与えてください、と。

 明日のこととか明後日のこととか、そういうことまで今日悩む必要はない、とイエス様はおっしゃっていました。

 何を食べようか何を着ようか……ということは、ちょっと悩んだりもしますが、そういうことにも心を煩わさせる必要はない、ともおっしゃっています。

 未来を勝手にイメージして、それにおびえることはありません。そこに付け込む人たちに大事なものを差し出す必要はありません。

 
 今日を生きましょう。

 今日を、今の自分を、自分がいる世界を生きましょう。

 太陽があることに、空気があることに、感謝しましょう。

 それでいいです。それで……。

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こんばんは。

 株価が1000円下落

 いぬがみです。


 株価とか為替とか、経済というやつが、そういうもので成立しているのはアラフォーのいぬがみも理解するところでありますが、私がその世界経済にまったく(少なくともテレビのニュースで「株価が急落して……」とか「円高が……」と言われるほどの大きな動きに影響があるくらい)かかわっていない私としては、株価云々ーーすなわち株の売買といわれると、これを思い出します。



 ……要するに「安い時に買って、高い時に売る、そうすれば差額分が儲かる」というのはわかるんですが、そのあたりの見極めが、よくわからないんですよね。って私のような門外漢の極みみたいなやつがよくわかっちゃたら、金融工学という言葉はこの世に存在しないでしょうが。


 ま、今日はそんな感じです。

 そりゃあ私だって、たくさんお金があれば、それに越したことはありません。毎日毎日高級車を乗り回して、高級なものを食べて、時々テレビの取材を受けて「いやあ、こんなの僕にとっては日常ですよ、ハハ」と石原裕次郎(が「西部警察」で演じる役柄『小暮課長』)ばりの巨大ブランデーグラスを揺らすことを夢見たことが、一度もないわけではありません。

 いやちょっとたとえが極端すぎますが、時々自分が大好きな車を見て「……いいなあ」と思うことはあります。「こういう時、もしも自分にいま、自由になるお金が●●万円(=goo-netで見る車両価格+その後想定されるであろう維持費)があればなあ」と続けて思うことはあります。

 でも……ね。

 それを完全に空想の世界、冗談の範疇として笑いながらバーリアルが飲める今の自分を、私はどこかで幸せだと思っています。人には誰にでも分相応というものがあるんですから。

 ポルシェに乗れる人、カローラに乗れる人。ドンペリを浴びるくらい飲める人、第3の発泡酒をチョコチョコと飲むのがせいいっぱいという人。

 色々あります。それでいいじゃないですか。いくらバーリアルしか飲めないからといって、毎日ドンペリでシャンパンタワーをできる人をねたんだって、仕方ないじゃないですか。

 (これ以降の話は福本伸行氏の著書『天 天和通りの快男児』のとある1エピソードからの流れになりますが、第何話か忘れたのでひとまずここで区切りとします)

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おはようございます。

 「無意識の心理」を読了しました

 いぬがみです(やっと終わった……)。


 先に読んだ『自我と無意識の関係』もユング心理学格好の入門書とうたわれており、これもそうなんですが、まあ難しいですね。何とか最後まで読まなくちゃと思って頑張り続けた結果、軽い神経症的な様相になってしまいました(「軽い」ので、今はもう回復傾向)。まあ古い翻訳だからっていうのもあるのかな。とにかく久々に、ちょっとしんどい読書の時間でした。

 でも、いいんです。もとより一冊か二冊の書物をサラッと読んで、すべてを理解できるはずはないのですから(漫画がたくさん入ってたり、1ページ当たりの文字数が極端に少なかったりして、じっくり読もうったってすぐに読み終わっちゃうような流行本もたくさんありますが)。

 とにかくこれで私も「入門」はできたんじゃないかな。そこからどれほど突き詰めていけるのか、あるいは「破門」されるのか。それはまだわかりません。

 でも、それは若いころのような「経験がなさ過ぎて考えられない」という意味ではなくて、「その時の思想も後になって新しいことに気づいて、変わる可能性もある」という意味です。そういう可能性があることを受け入れて、自分が経験したこと、考えたことを安易に捨てず、手元に置いといてなで回す――そういうものだと思うのです。

 一般的には「●●だから××である」と結論付けてくれた方が、たぶん楽だと思うんですけどね。フロイトにせよアードラーにせよ、そういう感じですから。性欲とか権力とか。……でも、ユングも二人の理論をまったく否定しているわけではありませんしね。とりあえず私もこの後アドラー心理学の本を読んでみます。ただし専門書ではなく、漫画が入ったやつをかる~くね。

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こんばんは。

 20年

 いぬがみです。


 取り急ぎ書きますが、昨日、盛岡のとある高校で卒業式がありました。

 自分が高校を卒業したのはいつだったっけ……と考えていたら、なんと20年も前でした。

 ああ、そうか。おれもやっぱり、歳を取っていたんだ。そのくらいの年齢になったわけだ。

 ということは、私がやっているホームページも20周年となりました。


 せっかくなので何かやりたいなあ。

 そう思っているところです。

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おはようございます。

 百年プリント

 いぬがみです(サクラカラー→コニカカラー)。


 昔そういうのがあったという話です。むろん、本当に100年品質が保持できるというわけではありませんが、長期間にわたって品質が保持できますよという謳い文句としては、なかなか素晴らしいフレーズだと思います。

 さて、私がいま読んでいるユングの「無意識の心理」も、大体100年くらい前に書かれた本のようです(第一版序文の日付は1916年12月とある)。私が読んでいるのは1977年初版で、さらに言えば2017年に新装版として新たに人文書院さんから発売されたものです。このお金のない時期に新刊でバシッと買っちゃったんですよ私は。大学時代以来だなあこんなの。

 まだ半分も読んでいないし、私がこんなところでユング云々~と語っても仕方がありません。というか心理学の世界に関して興味があったら、本を読んだ方がいいです。インターネット上でもたくさん情報があふれていますが、たくさんすぎて、そのくせ「手軽に、簡単に」調べようとする無意識の心理があるから……少なくとも私はダメです。

 どうしてもインターネットで調べなくちゃいけないこと以外は、インターネットは使いません。このブログも、だから、あんまり詳しく触れません。

 でも、検索の便利なところはいくつかの断片的なキーワードを打ち込んで、次につなげる手がかりを教えてくれるところだと思うんですよね。だから私も、何かのきっかけでこの記事をご覧になり、「ほうユングね、それってどんなものなんだろうね」という方がいると信じて、ちょこっとだけ内容を書きます。


 とりあえず第四章までの内容で、すでにフロイト、そしてアードラーという名前が出ています。最近日本人に受け入れられまくっているアドラー先生ですね。そして、それぞれが見た「人の心」の側面を、ちょっと離れたところからユングが見て、「どっちの言っていることも間違いじゃないけど、それですべてを語るのはちょっと無理があるよね」と言って、内面的とか外面的とか……いわゆるユング心理学という深淵で難解でスピリチュアルやなあ(by東條希)的な世界が始まるわけですが……そういう本です。

 あと、ニーチェについても少しだけ触れられています。私はニーチェを読んだことがないクリスチャンなので「神は死んだ」という印象的なフレーズから食わず嫌いなのですが、私もニーチェを読んでみようと思いました。そのうえで、生き方を正そうと思いました。

 
 初めからクリスチャンの国に生まれたわけではなく、そういう家に生まれたわけでもなく、今だって実際に洗礼を受けたわけではない私ですからね。心にある信仰心が揺らぐことはしょっちゅうあります。するべきでないことをすることもたくさんあります。それを正すためには、

 「するべきでないことをすることは、どういうことなのか」

 それを理解しなければいけません。

 再び大読書時代がやってきそうです。


 ※ おまけ

 日本最大のユンギアンであった(?)河合隼雄先生は「キリスト教の国ではない日本人がユング心理学を理解することは難しい」と何度かおっしゃっていましたが、そのことを確認する一片が、この「無意識の心理」にも出てきます。

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おはようございます。

 心をかたくなにしてはいけない

 いぬがみです(聖書のことばより)。


 河合隼雄・小此木啓吾先生の対談集『フロイトとユング』を読んでいます。

 それぞれの学派の専門家同士が言葉を交わす……そういう本です。フロイトはともかくユング関係の本を多少読んだうえで、改めてちょっとドキドキしながら読みました。いったんは共同研究者として親密だったものののちに袂を分かったフロイトとユング……そんな異なる流れの専門家同士が出会ったら、どうなるんだろうって。

 まあ結論から言えば、そこはとても日本人的なというか。「ユングはこう言ってるんですけど、フロイトはどうだったんですか」とかって感じで。時代も国も違った人たちが、それぞれのきっかけでフロイティアン、ユンギアンになったのですから、別に他学派に対して敵意や何やってものを持っているわけじゃないんです。

 ああ、そうだ。やっぱり日本は八百万の国だ。外国から来た知識も技術も人間も何となく受け入れてしまうのだ。

 国が違えば考え方も違う。時間が変われば考え方も変わる。その時は良かれと思ってやっても、後になって「あれは間違いだった」ってことは誰にでもあるのだし、今はとにかくそんなことを考えないでたくさん知識を取り込んで、ひたすら自分の中に落とし込み、それを材料にして自分を深めていくことが大事なんだ。そう思いました。


 今回この記事の主である『フロイトとユング』についてAmazonで調べたら、ほう、こんな本があることを知りました。



 ま、こういうのも素直に手に取ってみましょうね。いやあんまり絵が多いと、逆にイメージが先行して、受け入れづらくて……。

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こんばんは。

 『自我と無意識の関係』読了しました

 いぬがみです。


 大学時代は日々の生活費をかえりみず次々と高価な本を買う貧乏書生気取りな日々を送っていたのですが、このユングの本は久々にそんな感じで買いました。

 次はユング自身がフロイトやアドラーの無意識理論を素描し、それらとの違いを説いていった『無意識の心理』とかを読んでみたいのですが、これらは「自我と無意識の関係」の訳者あとがきによれば、まだユングが若かったころに書かれたものだといいます。若かったといっても50代ですから、私からしてみれば十分なベテランだと思うのですが、そうらしいです。

 だからというわけではないのですが、私もまた、「〇〇だから××なのだ」と決めつけていくのは慎重に避けなければならないと思いました。フロイト先生だったら透明なテンプレートみたいなものを人の心にたたきつけて、大体のことを「それはセックスしたい抑圧なのだ」と結びつけてしまうのでしょうけどね。

 一方アドラー先生はどうでしょう。なんでもいいから一冊、適当に入門書を読んでみればいいじゃないかと言ってブックオフに行ってみたら、確かに「わかりやすい」「コミックで」とかなんとかってキャプションのついたアドラー心理学入門本がズラーーーッと並んでいました。

 そして試しに一冊手に取って開いてみたところ、いきなり「ちょっと大人になった、昔少女漫画を読んでいた女性」向けの絵柄とストーリィ展開の中、唐突に男性がアドラー心理学の要旨を語りだし女性の人生が好転するというものでした。

 「これはいけないな」

 静かに本棚に戻し、そのままブックオフを後にしました。かえって、わからなくなってしまうような気がするからです。余計なイメージがまとわりついてしまうからです。

 
 アドラー心理学も勉強する必要があります。だからこそ、何をもって入門するか。それが難しくもあり、楽しみでもあります。でもユング博士の『無意識と心理』が一番手堅い入門書かな。

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こんばんは。

 多分この記事は午前0時に投稿されるので

 いぬがみです(書いているのは18日朝7時)。


 やっぱり時々アニメな美少女を見て、それを受け入れることも必要ですね。

 いま私が追いかけているのは青森県田舎館村のキャラクター『いち姫』と『中辻いちこ』です。はい、ドーン!(浜田雅功さんの物まねで)

 青森県田舎館村 いち姫プロジェクト

 写真はこちら! (ダウンタウンDXの浜田さんふうに)

 

 暇があればとにかくユングの本を読むようにしているところですが、そればかりだとやっぱりちょっと気持ちが疲れてしまうというか。そうかといってビールやタバコなどで肉体的に強制的に休ませようとしても休めるものではありません。

 でも、こういうかわいらしい美少女を見ると、ふっと癒されるのです。

 だったらそれを無理して拒むことはありません。受け入れればよいのです。

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こんばんは。

 もう一度、あの熱さを

 いぬがみです。


 去年の大みそかに放送した「ガキの使い」を見ていました。

 蝶野さんが出てくるシーンはまだ見ていませんが、毎年のことですからね。蝶野さん、武藤さん、故・橋本さんの「闘魂三銃士」が大好きなのは言うまでもありません。それは過去の、プロレス全盛期の人たちですからね。

 でも、ここでハッとしたのはその少し前に出た「デンジャラス飯野」選手を見た時でした。本来であればパッと見て、どこの所属選手だと気づかなければいけないのに、検索してみなければいけなかった。まあ「プロレスラーだろうな」ということは見当がついていたのですが、なるほどDDTプロレスリングでしたか。

 ……で、検索してみてわかったこと……

 
 まあプロレス団体も営利団体ですからね。企業ですからね。会社として存続しないことには、興行も打てないし選手も生活できませんからね。だとしても高木大社長は、いったいいくつの団体を経営するのでしょうか。本当に「大社長」という役職を作らないといけませんね。

 それと同時にこれは自責の言葉ですが、かつてあれほど気持ちを奮い立たされ、気持ちを助けてもらったプロレスを、なんでこんなに何年も放っておいたんだろう。新日本プロレスで内藤とオカダ・カズチカが強いのは知ってますけど、その前のストーリィは? とかなんとかっていうと、もう全然わからない。

 これではいけません。何かと精神的にピンチが多い今日この頃だからこそ、もう一度プロレスに助けてもらおう。そういうわけでとりあえず、新日本プロレスから調べていきたいと思います。またプロレスを好きになりたいから。

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こんばんは。
 
 never say never
 
 いぬがみです(ロート♪)。
 
 
 ユング博士の『分析心理学』をもうすぐ読み終わろうとしています。次は「自己と無意識」を読む予定です。
 
 フロイトとかアドラーとか、色々ありますが、やっぱり私はユング派です。
 
 自分で自分を分析することはできませんが、人の心のメカニズムに近づき、それを理解する試みは、必ず私のためになる。そう確信しています。
 
 結局のところ、精神的な不調とか障害とか、生きていくのがつらいと感じる問題に対しては、自分がそれと向き合い取り入れていくしかないんですよね。
 
 
 発達障害だとかなんとかっていうことを理解してくれて、そのうえで何とかしてくれる人が身の回りにいるのなら、それはそれで結構なことです。
 
 しかしながら、私の職場ではそういうわけにはいきません。
 
 できなくても、やらなくちゃいけないんです。
 
 なぜなら、できる人がいないからです。
 
 「自分なんか、ここにいなくたって大丈夫」
 
 今までだったらそう言って三十六計逃げるに如かず、逃げろや逃げろ白旗振りまくれ最後に勝つために戦線離脱せよ遠くからアッカンベー……と、まあ途中から怒髪天ふうのフレーズになりましたが、そういう感じでした。
 
 でも、できる人がどんどんどんどん辞めていって、今いるのは三流以下の人たちばかり。もうno refugeです。
 

 というわけで毎日、自分との激しい戦いを繰り広げているところです。
 
 よくある「いい言葉」「名言」なんていうのは、この状況においては何の役にも立ちません。今必要なのは自己啓発コーナーにある本に書いているような、一時的に気持ちが前向きになれる言葉ではありません。
 
 「あきらめない」
 
 それだけです。どんなにつらくても苦しくても頭の中がパンクしそうになっても、最後の最後まであきらめない。
 
 「もうだめだあ、おしまいだあ」
 
 そう言いたくなる自分を全力で押さえつける。それだけです。
 
 
 あきらめてしまえば楽になりますが、それは自分(自我、というべきもの?)がコントロール不能になることです。糸が切れた凧のようになってしまうということです。そういう時の私というのは決まって退行現象を起こします。ええ、精神が退行して、およそアラフォー成人男性に似つかわしくないレベルまで自分が崩れてしまうのです。
 
 でも、そうしない。ものすごい力で引っ張られても糸を切らさない。たとい糸が切れかけていたとしても、それを握る手を決して離さない。何とか軌道修正、自分のコントロールできる領域までもっていく。そのための努力を怠らない。
 
 そして認識する。ーー今そういう努力をしなければならないのは、漫画やアニメのヒーロー(またはヒロイン)ではなくて自分自身なのだと。自分はそういった諸君よりもずっと劣っていて、なおかつこの歳になるまでろくな努力もしてなくて、とにかくダメでダメでどーしようもない存在であると。
 
 でも、やるしかないんだと。
 
 
 どうぞ、なんとでも言ってください。年相応にとか、格好よくとか、そういうことは申しません。泥臭くてもポンコツでも精神障碍者でもいいんです。
 
 私は、生きたいんです。もっともっと、生きていきたいんです。
 
 だから私は戦います。自分の弱さと。でもそれは弱さをやっつけるためではありません。
 
 弱い自分と強い自分の統合。そのためです。そうすることが、私が38年以上抱え続けたコンプレックス、いわゆる発達障害とかなんとかというレッテルを跳ね返し、これから社会で生きていくために必要なことですから。
 
 
 ああ、どうも語りすぎてしまいました。本当はブログという、不特定多数の人たちが見る場所ですから、上手に言葉を選ばなくちゃいけないのでしょうが……でも、あえて生の言葉を書かせていただきました。だってビール飲んじゃったから。いやいやそうじゃなくて!笑
 
 これも私の生きた証だからです。しっちゃかめっちゃかでもいいじゃないですか。にんげんだもの。←唐突に相田みつを風オチ。

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おはようございます。

 フィジカル、フィジカル

 いぬがみです(オリビア・ニュートン・ジョンの歌で)。


 うちにもオリビアの「レコード」があり、コロムビアの小型電蓄(GP-3)で聞いたことがあります。「そよ風の誘惑」はなかったけど、「ジョリーン」は入っていました。どこかカントリーな曲調が良かったですね。

 世代ではないものの、そういうわけでオリビア・ニュートン・ジョンという人は「いい歌手だな」ということが刷り込まれた1981年生まれのいぬがみでした。それだけにテレビで「フィジカル」のPVを見た時は幼心にズゴーン! と衝撃を受けましたが。

 
 そんな私が最近ダイソーに行ったとき、「腹筋ローラー」を買ってきました。これが今日の本題です。オリビアを聞きながらここに来てくださった方ごめんなさい。それは杏里だ。もう、本当にたとえが古くてごめんなさい(リプライズ)。

 世の中色々なトレーニング器具がありますよね。楽して鍛えるというか効率よく鍛えるというか……とはいえ身一つあれば鍛える方法はたくさんあるわけで、わざわざこんなものを買ってまで……というのが私のこれまでの理念。今回これを買ったのも、果たしてどれほどの効果があるものか? それを確かめて、場合によってはこき下ろしてやろうと思ったわけです。

 ところが、これがなかなか……。

 つま先を視点にしてうつ伏せ状態でローラーを前後に転がそうとしたら、力もバランスも足りなくて、まともに動けませんでした。そこで膝をついた状態でコロコロ……コロコロ……うん、これでもやりようによっては十分な効果があります。

 
 身一つで鍛えられる方法はたくさんありますが、負荷の度合いを適度に調整して、少しずつモチベーションをアップさせながら筋力もアップさせられる。やっぱりこういうトレーニング器具は、多少はあっても、いいかもしれません。

こんな、タイヤに棒きれを左右から差し込んだだけのものにやられるとは……と、痛む上半身の筋肉をさすりながら、格闘ゲームでやられたキャラクタの台詞のようなことをつぶやく38歳でした。それでも「ストII」でコンティニューをしたときみたいに、目を輝かせている想像をしているわけですが。

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こんにちは。

 外に出ました

 いぬがみです(オイル交換中)。


 やっぱり内面的な思索だけにのめり込むのはいけませんね。無理をして外に飛び出して、良かったと思います。

 何かをしなくちゃとか、そんなことばかり考えていたら、参っちゃいますよね。

 時々は別なこと、別な場所を体験しないと。


 色々と難しいことはたくさんありますが、きっと何とかなります。そう信じて日々を生きていきたいと思います。

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こんばんは。
 
 今日は予定を変更してお送りします
 
 いぬがみです(「自我と自己」の放送はまた別な機会に)
 
 
 短く書きます。
 
 スマフォンアプリ『ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル』を久々にやりました。
 
 ストーリィを読みました。
 
 ちょっと心が緩みました。
 
 
 このところ自分の心的エネルギーが無意識方向から意識方向に流れ始め、常に気持ちが高ぶってアレコレとやってきたところですが、ちょっと疲れていたのかもしれません。
 
 タバコはその心的エネルギーを阻害する(あと肉体的に具合が悪くなる)ので、以前ほど激しい依存状態にはなりませんが、やっぱり欠かせません。結構きつい銘柄にしたので、そうそうバカスカ吸えませんし。
 
 そんな中、ラブライブですが。うん、やっぱり元気になりますね。
 
 厳しい自己との戦いはこれからも必要ですが、少し休んだ方がいいかもしれません。
 
 そんなわけで明日も早番なので、今日はそうそうに休みます。寒い日が続きますが皆様もご自愛ください。 こんばんは。
 
 今日は予定を変更してお送りします
 
 いぬがみです(「自我と自己」の放送はまた別な機会に)
 
 
 短く書きます。
 
 スマフォンアプリ『ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル』を久々にやりました。
 
 ストーリィを読みました。
 
 ちょっと心が緩みました。
 
 
 このところ自分の心的エネルギーが無意識方向から意識方向に流れ始め、常に気持ちが高ぶってアレコレとやってきたところですが、ちょっと疲れていたのかもしれません。
 
 タバコはその心的エネルギーを阻害する(あと肉体的に具合が悪くなる)ので、以前ほど激しい依存状態にはなりませんが、やっぱり欠かせません。結構きつい銘柄にしたので、そうそうバカスカ吸えませんし。
 
 そんな中、ラブライブですが。うん、やっぱり元気になりますね。
 
 厳しい自己との戦いはこれからも必要ですが、少し休んだ方がいいかもしれません。
 
 そんなわけで明日も早番なので、今日はそうそうに休みます。寒い日が続きますが皆様もご自愛ください。

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こんばんは。
 
 タイトルは完全に冗談です
 
 いぬがみです(どうか、まじめにとらえないでください)。
 
 
 間違っていることを書きます。間違っているので後で訂正します。でも、何がどう間違っているのかは今はわかりません。これから先、もっともっと本を読んで知識を深め理解を深めることで訂正が入ることでしょう。
 
 でも、今とりあえず思ったことを書きます。こうやって書いたことが誰かの何かのヒントになるかもしれないし、私自身の考えを外部記憶する意味もあるから。
 
 
 ……あ、さて~……。
 
 と小林完吾さんの物まねで仕切り直しますが(誰もわかんないって)、まあ難しい話ではありません。といって、ワインを飲みながら書いているので、長くて長くてとりとめのない話になる前に、パッと言いたいことを言ってしまいましょう。
 
 とある向精神薬を処方してくれる以外に何もしてくれないかかりつけ精神科医に見切りをつけ、といって今飲んでいる薬は実に効くので最大量を処方してもらい、それを飲んで最大覚醒した状態で河合隼雄先生の『ユング心理学入門』を読み(前回記事参照)、続いてユングが講演した内容を収録した『分析心理学』を読んでいます。
 
 人間の心の問題というのは古今東西、百花繚乱じゃなくて百家争鳴といいますか。「人間とは〇〇である」なんていうことは古代ギリシャの時代からず~っと語られてきているわけですからね。まあ私の場合、色々あって最終的にたどり着いたのはイエス様への信仰心こそ最強最後のカラテ、もとい、心のよりどころとなるわけなんですが、ただ「信じる者は救われる」ってわけじゃないんですよね。いやもちろん信じることは何よりも大事なんですが、聖書には「救いを得るためには~しなさい」っていう話が出てきます。特に〇〇の手紙シリーズといいますか。そう善子じゃなくてヨハネじゃなくて使徒ヨハネの手紙とか(黙示録のヨハネとは違う人です)。いくらAqoursの曲聴いてるからって(ry)
 
 閑話休題。何が大事なのかって話ですよ。つまり「理性」が大事だっていうんです。人間は肉欲、肉の罪にあるけれど、そこから抜け出すためには理性が必要だって話。聖書で読んだか、キリスト教関連の書籍で読んだか……ちょっとあいまいですが、とにかく理性が大事なんです。ええ。あれ、もしかしてヒクソン・グレイシーの本だったかな。まあともかく。
 
 それで、理性を高めるためにはやはり読書が一番。でもって心理学の本なんていうのは、もうこれ以上直接的なアプローチはないわけですよ。
 
 ただしコンビニとかで売ってる「ヤバい心理学」とかって低俗極まりないキャッチーなタイトルの本は論外です。「ケツ拭く紙にもなりゃしねえってのによぉ」と199X年のモヒカン風に切り捨てます。
 
 ……
 
 というわけでユングなんですが、どうしてフロイトじゃなくてアドラーじゃなくてユングなんだろう。いや誰に問われたわけでもないんですが、ふと思ったんですよね。というわけでブログの記事をさかのぼって検索してみると(便利ですね)、2013年……そうパソコンが壊れて読書にふけるほかない日々を過ごしているうちに、すっかり天体嗜好症ならぬ読書嗜好症となり、稲垣足穂の代わりに(?)山岡荘八先生の『徳川家康』全26巻! を読んだ時期でしょうか。この時期に『ユング心理学入門』そして『分析心理学』を読んでいたようです。
 
 たぶん、想像ですが、アニマとか何とかっていう言葉があったからじゃないかな。アニマってなんだ。ユング心理学でいうところのウンタラ~という。なるほど、そうか。しかしユング心理学ってぇのは何か難しそうだねえ。それがねおまいさん、河合隼雄先生の『ユング心理学入門』っていうのがあるんだよ。何そうなのかい? そいつぁ千両だ、さっそく読んでみようじゃねえか……と急に江戸弁の落語風にアレンジしてみましたが、ともあれそんなわけで今はユング派です。
 

 さて、そろそろ話が冗長極まりない雰囲気になってきたので、いったん締めくくることにします。
 
 とりあえず今は、ユング心理学で戦っています。自我と自己の違いって何? とか。いや今日はそれをメインで書こうとしていたんだけどなあ。前口上だけで終わっちゃった。とりあえず自分自身をひとつの実験台というかサンプルとして、色々と考えていきます。最終的に目指すのは「自己実現」。ユングが言っていた「それ」を目指して、まだまだ生きていきたいと思います。
 
 次回「自我と自己」。つづく。

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