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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
今日はあの震災から1000日目の節目だそうです。

 1000日も経ったのに、いまだに仮設住宅に住んでいる人の割合は8割以上だといいます。

 用地の確保ができないとか、復興住宅を建てる業者が確保できないとか、全般的に人が足りないとか。それぞれ理由はあると思いますが、実際に仮設住宅に住んでいる人たちの心情はどれほどのものか。……思うところはありますが、言葉にはしません。どれほど言葉を尽くしても足りないから。たぶん。

 今日は、そういう日ですので、その震災関連でこないだ体験したことを書きたいと思います。しばらく立ち上がれないくらい気持ちが崩れてしまった。そんな体験でした。

 それは、たまたま観光で西和賀町というところに行った時のことでした。




 紅葉が綺麗だと評判の『弁天島』というところに行き、まあそれなりに景観を楽しんだ後のこと。まだ帰るまでには少し時間があったので、さらに南下して『碧祥寺博物館』というところに行ってみました。

 これは最初から「ここに行ってみよう」と思ったわけではなく、たまたま走っていたらその看板が目に入ったので、ちょっと立ち寄ってみようと思ったわけです。実際どんなところなのかというと、いわゆる民族資料館といった雰囲気ですね。実際に民家で使われていた農具とか生活用品とかを所狭しと並べているような場所。それは江戸時代から昭和時代まで、数も年代もすごく広かったです。

 あとは、どういうルートで仕入れたのかよくわからないのですが、海外の巨大蛇(5メートル以上)の抜け殻とか、そういう異国情緒の漂う資料室があったり、かつて『マタギ』と呼ばれた人々が使っていた道具や習慣などを専門に取り扱った資料室があったり、さらに日本屈指の豪雪地帯らしく除雪道具などを専門に取り扱った資料室があったり……と、第一から第五まで部屋があるんですね。入場料はありますが、とにかくこのケイオスっぷりも含めて見ごたえは十分です。


 お寺の本堂は、その「ついで」という気分でした。まあせっかくきたのだし、ちょこっと挨拶がてら立ち寄っていこうかしらん。そんな軽い気持ちで本堂に足を踏み入れたのです。

 岩絵の具を使って描かれたインパクト抜群の仏画に「おおう……」と感嘆しつつ本堂の中をぐるりと歩いていると、見覚えのある絵が数枚飾られていました。これは仏画と違って、水彩絵の具でしょうか、淡くてとても穏やかな印象です。

 それが納棺復元師である笹原留似子さんの著書『おもかげ復元師の震災絵日記』で見た絵だということは、すぐに気づきました。しかしながら、正直なところ笹原さんの自画像だと思っていたその絵が、震災で亡くなった女性の絵だということに気づいた時、思わず頭の中が真っ白になるような衝撃を受けました。

 そんなぼんやりした意識のまま、数枚の『絵日記』を眺め……。

 ……もはや立っていることさえできなくなった私は、あわてて部屋の中心――ちょうど本尊の真正面ですね。そこに正座し、両手を合わせて目を閉じました。

 ようやく立ち上がった時、時計を見ると20分くらい経っていました。 


 自分はどこまでも無知で無力なものだと思いました。立ち上がれなくなるくらい。

 同時に、「だからお寺ってあるんだな」と思いました。お寺というか、仏教というか。

 こうして、どんなに打ちひしがれても、それを全部受け止めてくれるし、また立ち上がる力を与えてくれるから。

 
 笹原さんの絵日記、この場所だったから受け止められたと思います。

 普段の生活では様々な理屈を並べ立てて、それで自分を守りながら生きているから、絶対にきちんと受け止められなかったはず。

 たぶん、日常生活に支障が出ていたでしょう。

 だから、これもご縁なのかな。そんな風に思いました。 


 *


 最近、ネットで何を言われようと『見ないから』平気、という人にあこがれています。解剖学者の養老先生とか、プロレスラーの武藤さんとか。

 そういう思いが、福岡伸一先生の『せいめいのはなし』を読んで、いっそう加速しました。

 まあ、色々と思うことはありますが、一言で表せば「縛られているな」ということ。

 前にどんなことを思い、どんなことを言ったか。それはこのブログにしっかり『情報』として残っているから、新しい何かがあっても「前は、こう言ってたしな……」とかって、自分で自分を縛ってしまう。そんな感じ。

 それが、これまで何年も続けてきたこのブログを否定することだとは理解していますが、それでも、

 「このままじゃ、縛りがきつすぎて息が詰まっちまう」

 そう思うのです。


 もうブログやめます、とは言いません。

 逆に、こう宣言します。


 私は趣味も思想もコロコロ変わる人間です。

 おいしそうなものがあったら、好き嫌いを言わずに食べてしまう雑食野郎です。

 だから、私の言うことは信じないでください。


 ……このくらい言っておけば、大丈夫かな。


 *


 さて、色々と長くなりましたが、そんな感じです。

 もしかしたら、しばらく、ブログを更新しない時期があるかもしれません。

 そんな時は、私が敬愛してやまないリュウ(ストリートファイター)の如く、色々なことを考えながらネット以外の世界を旅しているのだと思ってください。

 最後に、『ストIII』のエンディングテキストを丸ごと引用して終わりにします。



『真の格闘家とは?』

『なんのために強くなるのか?
 勝利の先に何が見えるのか?』

若い頃はこんな疑問が浮かんだら
一日中頭から離れなかった‥‥

あるがままを受け入れればいいのか

それとも苦悩の末、見つけ出すのか



フッ‥‥まだまだ、だな

今の俺は
落ち葉の行方も知らない

強者を思い、この腕が奮う限り‥‥
指一本にでも、力がこもる限り‥‥

闘うだけだ!




 では、また。

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 紅葉が綺麗だと評判の『弁天島』というところに行き、まあそれなりに景観を楽しんだ後のこと。まだ帰るまでには少し時間があったので、さらに南下して『碧祥寺博物館』というところに行ってみました。

 これは最初から「ここに行ってみよう」と思ったわけではなく、たまたま走っていたらその看板が目に入ったので、ちょっと立ち寄ってみようと思ったわけです。実際どんなところなのかというと、いわゆる民族資料館といった雰囲気ですね。実際に民家で使われていた農具とか生活用品とかを所狭しと並べているような場所。それは江戸時代から昭和時代まで、数も年代もすごく広かったです。

 あとは、どういうルートで仕入れたのかよくわからないのですが、海外の巨大蛇(5メートル以上)の抜け殻とか、そういう異国情緒の漂う資料室があったり、かつて『マタギ』と呼ばれた人々が使っていた道具や習慣などを専門に取り扱った資料室があったり、さらに日本屈指の豪雪地帯らしく除雪道具などを専門に取り扱った資料室があったり……と、第一から第五まで部屋があるんですね。入場料はありますが、とにかくこのケイオスっぷりも含めて見ごたえは十分です。


 お寺の本堂は、その「ついで」という気分でした。まあせっかくきたのだし、ちょこっと挨拶がてら立ち寄っていこうかしらん。そんな軽い気持ちで本堂に足を踏み入れたのです。

 岩絵の具を使って描かれたインパクト抜群の仏画に「おおう……」と感嘆しつつ本堂の中をぐるりと歩いていると、見覚えのある絵が数枚飾られていました。これは仏画と違って、水彩絵の具でしょうか、淡くてとても穏やかな印象です。

 それが納棺復元師である笹原留似子さんの著書『おもかげ復元師の震災絵日記』で見た絵だということは、すぐに気づきました。しかしながら、正直なところ笹原さんの自画像だと思っていたその絵が、震災で亡くなった女性の絵だということに気づいた時、思わず頭の中が真っ白になるような衝撃を受けました。

 そんなぼんやりした意識のまま、数枚の『絵日記』を眺め……。

 ……もはや立っていることさえできなくなった私は、あわてて部屋の中心――ちょうど本尊の真正面ですね。そこに正座し、両手を合わせて目を閉じました。

 ようやく立ち上がった時、時計を見ると20分くらい経っていました。 


 自分はどこまでも無知で無力なものだと思いました。立ち上がれなくなるくらい。

 同時に、「だからお寺ってあるんだな」と思いました。お寺というか、仏教というか。

 こうして、どんなに打ちひしがれても、それを全部受け止めてくれるし、また立ち上がる力を与えてくれるから。

 
 笹原さんの絵日記、この場所だったから受け止められたと思います。

 普段の生活では様々な理屈を並べ立てて、それで自分を守りながら生きているから、絶対にきちんと受け止められなかったはず。

 たぶん、日常生活に支障が出ていたでしょう。

 だから、これもご縁なのかな。そんな風に思いました。 


 *


 最近、ネットで何を言われようと『見ないから』平気、という人にあこがれています。解剖学者の養老先生とか、プロレスラーの武藤さんとか。

 そういう思いが、福岡伸一先生の『せいめいのはなし』を読んで、いっそう加速しました。

 まあ、色々と思うことはありますが、一言で表せば「縛られているな」ということ。

 前にどんなことを思い、どんなことを言ったか。それはこのブログにしっかり『情報』として残っているから、新しい何かがあっても「前は、こう言ってたしな……」とかって、自分で自分を縛ってしまう。そんな感じ。

 それが、これまで何年も続けてきたこのブログを否定することだとは理解していますが、それでも、

 「このままじゃ、縛りがきつすぎて息が詰まっちまう」

 そう思うのです。


 もうブログやめます、とは言いません。

 逆に、こう宣言します。


 私は趣味も思想もコロコロ変わる人間です。

 おいしそうなものがあったら、好き嫌いを言わずに食べてしまう雑食野郎です。

 だから、私の言うことは信じないでください。


 ……このくらい言っておけば、大丈夫かな。


 *


 さて、色々と長くなりましたが、そんな感じです。

 もしかしたら、しばらく、ブログを更新しない時期があるかもしれません。

 そんな時は、私が敬愛してやまないリュウ(ストリートファイター)の如く、色々なことを考えながらネット以外の世界を旅しているのだと思ってください。

 最後に、『ストIII』のエンディングテキストを丸ごと引用して終わりにします。



『真の格闘家とは?』

『なんのために強くなるのか?
 勝利の先に何が見えるのか?』

若い頃はこんな疑問が浮かんだら
一日中頭から離れなかった‥‥

あるがままを受け入れればいいのか

それとも苦悩の末、見つけ出すのか



フッ‥‥まだまだ、だな

今の俺は
落ち葉の行方も知らない

強者を思い、この腕が奮う限り‥‥
指一本にでも、力がこもる限り‥‥

闘うだけだ!




 では、また。

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