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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 15年前の昨日のことは、……あんまりよく覚えていません。

 ただ、1995年と言うのは日本全体を通してみても、犬神自身にとっても、とにかく激動、激動の年であったと思います。

 まあ、私自身のことはあえて振り返りたくないので置いておきますが、そうですね、私が覚えている「15年前の昨日」そして1995年という年について触れたいと思います。


 実際の現場から数百キロ、場合によってはそれ以上離れた私の生きる土地では、当然直接的な被害は何もなく、それらの現状はテレビを通じて見ることとなりました。

 後の「9.11」もそうでしたが、テレビに映っている光景がなかなか現実として受け入れられなくて、もどかしいような、複雑な気持ちになったのは、何となく覚えています。まあ、私自身はいつもと変わらない同じ朝だったわけですしね。

 
 3月20日以降、テレビはその事件の首謀者である宗教団体のことを毎日、これでもか~これでもか! というように放送されました。それによって、いかにその組織が私たちの社会に対して恐ろしいほどの害悪をもたらす組織であることが明らかになっていきました。

 ただ、当時まだ中学生の犬神は、どこかでその雰囲気を楽しんでいたような気がします。それは本当にイノセンスな話で、要するに子どもが台風の接近している日の夜の雰囲気をワクワクしながら迎えるような、そんな感じ。

 不謹慎であった、とは思います。ただそれでも、そういう感情があったことは、もう否定しようがないので、素直に書きます。


 この頃は自分自身も色々と大変だったのですが、こういった世の中の激流に飲まれることなく何とかしのいできたのは、当時の愛読書であった『ゴーマニズム宣言』のおかげであったと思います。

 テレビのキャスターやジャーナリストたちが語る視点とはまた違った、そしてはるかに力強い「よしりん」(やっぱりこの愛称で呼びたい)の言葉。バカ中学生の頭では内容の6割ほどしか理解できなかったところもありますが、それでも激しい衝動に打ち震えました。

 その中で今でもよく覚えていて、私の基本的な理念となっている言葉。

 『宗教』は私たちの社会とは違った仕組みを持つから、変に見えて当たり前だと言うこと。それ自体は必要なものだけど、それが社会に対して害を及ぼすようならこれを排除しなければならないと言うこと。

 確か、こんなことを言っていたと思います。

 だから、私はあの組織を『宗教団体』ではなく『テロリスト集団』であると思っていますし、その流れを汲むのなら名前が違おうと構成員が違おうと、それは同じであると思っています。


 テレビや他のメディアを通じてしか、関わることが出来なかった犬神にとって、この事件は「主な出来事」のひとつにしか過ぎません。これは仕方がない。

 だから事件を風化させないように、と言ってみても、限度があります。どうしたって当事者じゃないから。

 それでも、その時いったい何があったのか。時々そういうことに関心を持つこともあるので、そうやって少しずつ記憶を補強していければいいのかな、と思います。

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