手指がどうもツナくさいのは、帰り際の道中でツナ缶を食べたからです。餓狼伝で主人公がツナ缶とかサバ缶とか、ハムとか、生卵とか、牛乳とか、そういうのばかり食べていたのを見て、なんかとてもおいしそうだったからです。
実際にツナ缶だけを食べてみると、これはなかなかうまいものですが、ただ、箸はもちろんつまようじさえも使わずに食べるとなると、「缶をひっくり返す」「舌ですくい上げる」などをしなければならず、その姿はある意味カルカンっぽい、猫まっしぐらな有様であり、人間としてこれでいいのかどうかという気がしないでもないのかなと。
この日も書きましたが、ちょっと昔の話をしたいと思います。何で。昨日の続きで椎名林檎とか聴いてるからです。まあ、新鮮さは薄いですがそれなりに内容のある文章を書けるのではないかなと。
まあ当時というのは、今よりも現実を知らない分、自分で空想を広げてそれを現実のように思い込んでしまう多感な時期でありまして、それに加えて私は他の人々よりも空想する時間が長かったもので、暗かったり明るかったり、まあともかく空想ばかりしていました。クーソーしてから寝てました。それは昔のナムコのCMか。
で、そういった多感な時期ゆえ、高校のころからずっと引き続いていた澁澤龍彦やその流れで読むフランス文学、または江戸川乱歩のような猟奇的世界に耽り、ひっひっひっ、あるいはふっ、と厭世的な笑いを浮かべながら心地よい日々を送っていたのですが(一部誇張あり)、たまたま入ったサークルの先輩に、妙に私と趣味が合う人がいました。
その人も澁澤龍彦が好きで、江戸川乱歩が好きで、さらに椎名林檎が好きで一番好きなのが「闇に降る雨」なものだから、趣味が異様なほどに合うものだからものすごく驚きました。加えてその人は見た目もそれっぽいというか、大槻ケンヂの小説のヒロインみたいなイメージで、すごく綺麗でした。
いわゆる恋というやつをしたのは、この時が最後ではないでしょうか。
あまりにも綺麗過ぎて、近づけなくて、話し掛けられないまま、その人は遠くに行ってしまい、それっきりになってしまいました。今でもその時と同等か、それ以上の気持ちを誰かに持ったことは、たぶん、ありません。
白、または白っぽいグレー、あるいは青を基調とするこのブログにおいて、何やらずいぶん桃色片思いな文章を書いてしまい恐縮です。まあ、たまにはこういったものもよいでしょう。いつもそうなんだ。いつもいなくなってから気づくんだ(後略)。
実際にツナ缶だけを食べてみると、これはなかなかうまいものですが、ただ、箸はもちろんつまようじさえも使わずに食べるとなると、「缶をひっくり返す」「舌ですくい上げる」などをしなければならず、その姿はある意味カルカンっぽい、猫まっしぐらな有様であり、人間としてこれでいいのかどうかという気がしないでもないのかなと。
この日も書きましたが、ちょっと昔の話をしたいと思います。何で。昨日の続きで椎名林檎とか聴いてるからです。まあ、新鮮さは薄いですがそれなりに内容のある文章を書けるのではないかなと。
まあ当時というのは、今よりも現実を知らない分、自分で空想を広げてそれを現実のように思い込んでしまう多感な時期でありまして、それに加えて私は他の人々よりも空想する時間が長かったもので、暗かったり明るかったり、まあともかく空想ばかりしていました。クーソーしてから寝てました。それは昔のナムコのCMか。
で、そういった多感な時期ゆえ、高校のころからずっと引き続いていた澁澤龍彦やその流れで読むフランス文学、または江戸川乱歩のような猟奇的世界に耽り、ひっひっひっ、あるいはふっ、と厭世的な笑いを浮かべながら心地よい日々を送っていたのですが(一部誇張あり)、たまたま入ったサークルの先輩に、妙に私と趣味が合う人がいました。
その人も澁澤龍彦が好きで、江戸川乱歩が好きで、さらに椎名林檎が好きで一番好きなのが「闇に降る雨」なものだから、趣味が異様なほどに合うものだからものすごく驚きました。加えてその人は見た目もそれっぽいというか、大槻ケンヂの小説のヒロインみたいなイメージで、すごく綺麗でした。
いわゆる恋というやつをしたのは、この時が最後ではないでしょうか。
あまりにも綺麗過ぎて、近づけなくて、話し掛けられないまま、その人は遠くに行ってしまい、それっきりになってしまいました。今でもその時と同等か、それ以上の気持ちを誰かに持ったことは、たぶん、ありません。
白、または白っぽいグレー、あるいは青を基調とするこのブログにおいて、何やらずいぶん桃色片思いな文章を書いてしまい恐縮です。まあ、たまにはこういったものもよいでしょう。いつもそうなんだ。いつもいなくなってから気づくんだ(後略)。
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