……というゲームのことでは、もちろん、ありません。
今日は弟者の中学校の卒業式。私は仕事なのでもちろん出席できませんが、せっかくなので卒業式がらみの話題で行こうと思います。
一応「卒業式」と名のつくものは小学校、中学校、高校、それに大学……と、4度ほどしてきた犬神ですが、困ったことに小学校、中学校の時の記憶はあまりありません。
高校の時はどうだったのかというと、こんな感じでした。
じゃー、あったことを列挙しましょう。まずいつも通りに起きて、いつも通りに学校へ行き、いつも通りに○○・×××とトランプを興じる。○○は81年後の同窓会にてセブンブリッジの王者を決めるそうだ。長生きするわ。
んで、△△がフィロソマを持ってきてくれた。どうやら大学は保留状態らしい。あと今日は十二個のカメラを使って他人の写真をとった。自分の写真は四枚くらいしか撮れなかった。
それから式に入った。三組の人はどうも偏差値が低いみたいで、やけに大きな声で返事をしていた。第一、式が終わって起立・礼をして退場する時もアントニオ猪木のまねをしていた。ばかじゃないかと思った。それから後にまねをするのはもっとばからしいが。
その後でHRに帰ってきて、副担任と担任がそれぞれ挨拶をした。担任が泣いたので(演技、という見方もある)うつむいて笑いをかみ殺した。一番前だったからこれが大変だった。それからえーと、▽▽と☆☆が花束を与えて、担任はまた涙声になったので、上を向けなかった。だって笑っちゃうんだもん。
それから□□・×××と「はんだや」でカレーとかを食った。冷静に考えるともう×××とは同窓会でしかあえないので、そのときに再会することを約束し、別れた。
なんだかなあ、ちょっとセンチメンタルな気持ちにもなったけれど、無理してもそういう気持ちに長いこと浸ることは無理だった。結局、今となっては○○と×××の後輩から送られた彼の図書券(ぎっちゃった)をどうするか、ということしか考えられないという状況。
誰がどこへ行くのか、同窓会では誰が来るのか――どうでもいいやと思いつつ、やっぱり関心事になるのは当たり前だよね。そういうわけで、なんだかちょっとさびしい卒業式でした。おしまい。
……本当、昔の私って、嫌な嫌な嫌な奴ですね(苦笑)。でもきっと、これが当時の正直な感想だったんでしょうね。あと、念のため申し上げておきますが、「ぎっちゃった」図書券はもちろんこの日のうちに、本人に返しました。というか本人が私に預けたまま忘れていたのに気づいただけなんですけどね。
ただ、当時の私も最後にほんのちょっと書いていたように、それまで慣れ親しんできた世界を追われるのは、やはり不安な気持ちもあるし、寂しい気持ちもありました。
別れを惜しむ、というよりも、もっと漠然とした不安感。
まあ、中学、高校の時は次のステージに進むことへの希望と期待感に満ち溢れていたので、そういう感情もずっとずっと隅っこに追いやられていたのでしょう。だから漠然としていたのかな。
ちなみに大学の卒業式の時は、不安感しかありませんでした。だってどこにも就職決まってなかったし(2ヵ月後には何とかその状態を脱することが出来ましたが……)。
というわけで、卒業式というものに対して、何の感慨もない弟者の感情はわかります。犬神もあえてもう一度、あの雰囲気を味わいたいかというと、さすがにそうは思いません。
ともかく、今日卒業式を迎えるすべての学生諸君へ、おめでとうを。
そして私は今日も仕事に行きます。卒業「させられ」ないようにがんばってきます(笑)。
今日は弟者の中学校の卒業式。私は仕事なのでもちろん出席できませんが、せっかくなので卒業式がらみの話題で行こうと思います。
一応「卒業式」と名のつくものは小学校、中学校、高校、それに大学……と、4度ほどしてきた犬神ですが、困ったことに小学校、中学校の時の記憶はあまりありません。
高校の時はどうだったのかというと、こんな感じでした。
-----引用-----
じゃー、あったことを列挙しましょう。まずいつも通りに起きて、いつも通りに学校へ行き、いつも通りに○○・×××とトランプを興じる。○○は81年後の同窓会にてセブンブリッジの王者を決めるそうだ。長生きするわ。
んで、△△がフィロソマを持ってきてくれた。どうやら大学は保留状態らしい。あと今日は十二個のカメラを使って他人の写真をとった。自分の写真は四枚くらいしか撮れなかった。
それから式に入った。三組の人はどうも偏差値が低いみたいで、やけに大きな声で返事をしていた。第一、式が終わって起立・礼をして退場する時もアントニオ猪木のまねをしていた。ばかじゃないかと思った。それから後にまねをするのはもっとばからしいが。
その後でHRに帰ってきて、副担任と担任がそれぞれ挨拶をした。担任が泣いたので(演技、という見方もある)うつむいて笑いをかみ殺した。一番前だったからこれが大変だった。それからえーと、▽▽と☆☆が花束を与えて、担任はまた涙声になったので、上を向けなかった。だって笑っちゃうんだもん。
それから□□・×××と「はんだや」でカレーとかを食った。冷静に考えるともう×××とは同窓会でしかあえないので、そのときに再会することを約束し、別れた。
なんだかなあ、ちょっとセンチメンタルな気持ちにもなったけれど、無理してもそういう気持ちに長いこと浸ることは無理だった。結局、今となっては○○と×××の後輩から送られた彼の図書券(ぎっちゃった)をどうするか、ということしか考えられないという状況。
誰がどこへ行くのか、同窓会では誰が来るのか――どうでもいいやと思いつつ、やっぱり関心事になるのは当たり前だよね。そういうわけで、なんだかちょっとさびしい卒業式でした。おしまい。
-----引用ここまで-----
……本当、昔の私って、嫌な嫌な嫌な奴ですね(苦笑)。でもきっと、これが当時の正直な感想だったんでしょうね。あと、念のため申し上げておきますが、「ぎっちゃった」図書券はもちろんこの日のうちに、本人に返しました。というか本人が私に預けたまま忘れていたのに気づいただけなんですけどね。
ただ、当時の私も最後にほんのちょっと書いていたように、それまで慣れ親しんできた世界を追われるのは、やはり不安な気持ちもあるし、寂しい気持ちもありました。
別れを惜しむ、というよりも、もっと漠然とした不安感。
まあ、中学、高校の時は次のステージに進むことへの希望と期待感に満ち溢れていたので、そういう感情もずっとずっと隅っこに追いやられていたのでしょう。だから漠然としていたのかな。
ちなみに大学の卒業式の時は、不安感しかありませんでした。だってどこにも就職決まってなかったし(2ヵ月後には何とかその状態を脱することが出来ましたが……)。
というわけで、卒業式というものに対して、何の感慨もない弟者の感情はわかります。犬神もあえてもう一度、あの雰囲気を味わいたいかというと、さすがにそうは思いません。
ともかく、今日卒業式を迎えるすべての学生諸君へ、おめでとうを。
そして私は今日も仕事に行きます。卒業「させられ」ないようにがんばってきます(笑)。
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