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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 今朝ほど毎日jpを見ていると、びっくりするようなニュースが。

 片山右京さん:富士登山中に遭難、救助 同行の2人は不明


 これでも元・モータースポーツ大好きっ子ですし、それでなくても数少ない日本人F1ドライバーだった右京さんですから、ただの素人が同じようになったのとはまったく違った衝撃を受けました。

 もう心配で心配で、何度も更新ボタンを押して経過を見守っていたのですが、とりあえず右京さんだけは無事に救助されたと言うから、同行のふたりの方々はお気の毒ですが、まずは一安心といったところ。最悪の最悪な事態にはならなかったのですからね。

 というわけで、今日は右京さんの話題について。


 私がまだF1が好きだった頃――1992年にデビューした右京さんではありますが、その頃はそれほど特別に好きなわけではありませんでした。F1といえばマクラーレン・ホンダであり、田宮がスポンサードしていたロータスだったからです。そして日本人ドライバーと言えば中嶋悟さんのイメージしかなかったからです。

 徐々にF1から気持ちが離れ、右京さんのF1における活躍はまったく知らなかったのですが、そんな私がグイッと惹かれたのはル・マン24時間レースにおけるトヨタGT-ONEでの活躍。

 私が持っている「スポーツグラフィックナンバー」という雑誌で、伊達公子さんがピットレポートをされているのですが、本番前だというのにすごくリラックスした方だったそうで、犬神が持っていたレーサーと言う職業の人のイメージが「あれっ?」と変わってしまったのですね。

 「なんだか、スゲェ人なのかもしれないな」と。

 実際、F1よりもラリー競技とかに重きをおいている犬神にとっては、何度となくそういった大自然相手のレースに参戦、はたまた登山をしている右京さんはF1時代よりもよほど魅力的に映りました。
 

 F1現役時代から相当身体を鍛えられてるでしょうし、その後も山登りなどで技術も体力もあるはずなのに、こんなになってしまう。やはり冬山は怖いのです。

 街のど真ん中から駐車場まで行く10分ほどの道のりの間で、そこそこの雪が降っているだけでもしんどかったのに、気温も風も雪の量も何倍もあろうかという富士山ならなおさらです。それでも――だからこそそれを乗り越えたくなる気持ちもわかるのですが。

 とにかく、生きて帰ってきてよかった。そう思います。

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