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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
不安がなくならない――そういう時あなたは何をしますか? 「餓狼伝」の長田弘であれば床に水たまりができるまでサンドバッグを蹴り続けるのでしょうが、私の家にはサンドバッグがないのでどうしようかと思っている次第です。

こういう時、もしもピアノが弾けたなら、ではないですが楽器の演奏が得意だとか、趣味だとか、習っているとかというのがあれば、きっと大変な心の支えになるのだろうなと思うのです。

私の学生のころの友人に、イングヴェイ・マルムスティーンばりにギター演奏が上手な人がいましたが、その人は同じくらいピアノの演奏も上手で、しかもクラッシックもさることながらジャズピアニストっぽく即興で果てしなく演奏を続けていて、当時はちょっと退屈してしまいましたが、弾いている本人はとても楽しくてしょうがないのだろうな、と今ならわかる気がします。


悪いことに私はピアノを弾くことよりも言葉をつむぐ方を取ってしまいました。

言葉をつむぐためには、一度感情を言葉に翻訳しなければならず、その過程でいろいろ落としてしまうものもありますし、何より「何も考えずに」することができない。これが精神のバランスを欠いた時、そのバランスを取り戻す手段としては非常によろしくない。

だとすれば結局、人が作ったものに頼るしかないわけで、そういうわけですから皆様、楽器を演奏できるようになることはその後の人生を大きく、おそらくいい方向にシフトさせるのに十分すぎることですよ、とあえて断言しましょう。わたし(犬神)はあえて断言する、って古いしマニアックだし。


そういうこともあり(?)私はピアノの演奏を聞くのが大好きです。また、一時は単音ならばそれなりに楽曲を弾くことも出来ましたが、今はキーボードしか叩けません。なんともはや。

とはいえまあ、以前ウゴウゴルーガの「おしえてえらいひと」で細野晴臣氏がいっておりました。そこらへんのものを叩いて音がする。異なる音がふたつ以上続けば、それはすでに音楽なのだと。だからその理論に基づくと、「絵が描けない」というのは上手に絵が描けない、ということであり(チンパンジーが描いた絵もあるくらいですからね)、「音楽が作れない」というのはきちんとした理論に基づく音楽が作れないと言うだけ、だということですね。

……ん? きちんとした音楽理論に基づかない、自分だけの音楽? それってつまり……「ボエ~!」

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