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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 安部公房氏が生前ワープロの愛用者であったというのを見て、ふと思い出したことがありました。

 私の親父はその昔松下電器(の販売店)に務めていたことがあり、そのせいなのか何なのか新しい機械好きでした。ビデオデッキなんかも物心ついたころにはあったし、ビデオカメラなんかもあったはず。

 当時のビデオカメラはVHSをそのままガションと入れるので、ちょっとした業務用ビデオカメラ並の大きさでした。90年代中ごろまでは動いていたんじゃなかったかな。

 もっとも、ロクにお金もないくせにそんな道楽にばかり金をつぎ込んだもんだから、台所事情はトンデモナイものであったと、今でも母親は愚痴を言います。


 話を戻します。そういったハイメカがたくさんあった中で、「ワープロ」なんていうのもありました。カシオの機械で、横に細長いゲームボーイの画面みたいなのがモニタ。それだけだと文字が2列分しか映らないのですが、AV出力でテレビにつなぐと、今日のパソコンみたいにズラッと並んだ文字を見ることができました。

 一応、家には兄が使っていたPC9801DXがあったのですが、ろくすっぽパソコンに親しんでいない小学生のアホガキにコマンドプロンプトが理解できるわけもなく、もっぱら電源を入れればすぐに日本語が打てるこのワープロをおもちゃ感覚で使わせてもらっていました。

 最初は漫画とかの文章を見ながらコピーして(視写ってやつですね)いたのですが、中学生のころからアレコレと文章を考えたものを打ち込みまくり、後にWindowsPCに乗り換えるまで20万文字以上打ちまくりました。


 正確には、中学生のころはPX-1という、格段に上等な機種を与えてもらい、それで作成していたのですが、とにかく触っているうちに次第にタッチタイプもできるようになりました。

 英語もダメ。数学もダメ。人望もないし肉体も強くないし、今で言うヲタクを地で行くような犬神も、その時に覚えたタッチタイプだけが財産でした。とにかくタッチタイプができたから、何とかこうして27年も生きてこられたのだと思います。ってちょっと大げさかな。


 いまさらワープロユーザになるつもりはありませんが、当時はみんなワープロだったな。……と、ふと思い出した、という話でした。

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