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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
相馬大作(下斗米秀之進)という人のことをご存知の方は、どれほどおりますでしょうか。私は先週まで知りませんでした。

この人は何をしたのかというと、当時の弘前藩主・津軽寧親を江戸にて、参勤交代のどさくさで狙撃しようとした人です。ところが仲間に裏切られ、逃亡を図ったものの捕らえられてしまい、あえなく獄門にされてしまいました。


それだけであればただのテロリストなので、どうしてそんなことをしたのかというと、弘前津軽氏と我らが南部氏の確執が原因だそうです。

何せ元々この津軽氏は何につけても要領がよく、秀吉に先立って小田原攻めに参陣して本領を安堵されたり、野辺地地方の烏帽子岳が領土がどっちのものかでもめた時は書類を積み重ねて幕府を味方につけて持っていったり(檜山騒動)。

……津軽の方が世渡りがうまく、南部の殿様はちょっとそのあたりが上手でないといえばその通りなんですが、やはり元々家臣筋だった人間がやりたい放題してるのは穏やかでないですね。

そして決定的だったのが、津軽寧親が朝廷から官位をもらっていながら南部藩主・利用(としもち)さまは無位無官。この状況に我慢ならなくなった相馬大作が、「さっさと隠居しないと恨みを晴らしに参るから」といった内容の手紙、というか果たし状を送りつけ、それを無視したためにスナイプしようとした、という話なんですね。

ただまあ、相馬大作は狙撃には失敗したものの、結果として寧親も隠居し、とりあえず目的は果たされた、というわけですね。


 ……一通り、ごく浅く見てみただけなのですが、正直なところ「そこまですることか?」という気持ちがぬぐえずにいます。

確かに相馬大作の行為というのは義憤にかられた、南部家の誇りを取り戻そうとする行為であり、「みちのく忠臣蔵」といえなくもない気がするのですが、一方で、まだ安定していない戦国期であれば領土の取り合いなんてのは日常茶飯事。

信長にせよ秀吉にせよ、そして津軽にせよ、人道にもとる行為を散々やってのけてますよね。だけど、誰からもとがめられない時代。どころか、大いにもてはやされる時代。それが戦国のならわしだとすれば、津軽はなかなかのやり手と言えなくはないか? という気がするのです。

また折につけいろいろと考え方も変わるでしょうが、とりあえず今はそう思いました。……とはいえやはり私は南部の忍びですし、要領よく立ち回って調子に乗ってバカを見ている津軽の歴代藩主よりも、伝統とかそういったものを重んじる南部の歴代藩主の方が圧倒的に尊敬に値します(事件後、罪人として追われる身になった彼をかくまおうとした、という話もありますし)。

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