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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 光村ライブラリーを見て、「自分は一体、何を読んできたのか」……すでに断片化している記憶を整理していました。

 「くじらぐも」……覚えています。

 「スーホの白い馬」……覚えています。

 「ちいちゃんのかげおくり」……思い出して泣きそうになりました(しかも職場で。こんなことするなよ)。

 「太郎こおろぎ」「つり橋わたれ」「わらぐつの中の神様」「小さな犬の小さな青い服」「やまなし」……どれもこれもよく覚えています。


 小学生の頃というのは、まあどの時代もそうなのですが、あまり思い出したくありません。それなのにわざわざ、こうして記憶を呼び起こしたのは、フロイト的に言うと? 無意識の領域に押し込まれているのが時々浮き上がってきて、どうにも気味が悪いからです。

 そういうわけでひとつひとつ、記憶を補強していったのですが、なぜか星新一「おみやげ」の記憶だけがありません。

 あらすじを読んでおおよその内容は理解したのですが、どうしても習った記憶がないのですね。私のそのあたりの記憶も核実験で吹き飛んでしまったのでしょうか。う~む。


 これが中学生編ともなると、さすがに私の脳髄もそれなりに成長しているので、よく覚えています。「あ、これ中学のころだっけか」などと思うこともありますが。

 こうしてみると年に2つ以上は戦争についての物語が入っていて、そのどれもこれもが悲惨さを訴えるものとなります。こういった教科書を思春期に読めば、なるほど、戦争がとても嫌いな国民が出来上がるというものですね。

 ようやく、「ものを教える側の立場」から見た景色が垣間見えた気がします。


 難しく考えてしまいました。要するに、どんなものでも知識として頭の中に入れておけば、何年も経って改めてわかることがある、ということ。こないだラジオで同じことを言っている人がいましたが、やはり長生きしてみるものです。よし、結論(それでいいのか?)。

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