と最初に言ったのは私ではなく太宰治ですが、最近つとに思うのです。なぜ。私という人間はまあ、外の世界ではそれなりに社会貢献、および会社に貢献し、いくらかの銭を稼いでいるわけですが、内の世界ではどうもよくない。さまざまなことで家族に迷惑をかけ、それでも家族とともに生きてかなければならない、およそ同居する家族にとってはこの上ない不合理。まさに生まれてすみません。ついでに生きててすみません。
ところが私というやつは、カルモチンもないし一緒に玉川上水に飛び込む人もいないし、そもそも岩手に玉川上水はないし、何もかもないわけで、そもそも生粋のひねくれ者なので、そのように悲観して自殺したんではどうも格好よくないし、また凡庸でつまらないと思うわけで、その一心だけで一時期うつ状態(と心療内科の先生が言っていた)になった時も何とか生きてました。
ただ息をしているだけで罪の意識に押しつぶされそうになる。そのことを言えばいいのに言わない。そのことでまた家の者との不和が生じる……。
で、いろいろ考えた挙句、暫定的にこういう考え方をするようにしました。どういう。つまり自分が生きていることでどれだけ迷惑しているかを厳粛に受け止め、その上で、自分を認めよう、と。
「いたら迷惑だと思うけれど、いなくならないから、せいぜい迷惑がってください。あと、生まれてきてすみません」
存在自体が害悪。かといって自分で排除することはできない。このふたつの事実を合わせると、憎まれっ子世に憚るといいますか、佳人薄命つってむしろいい人が早く死んじゃうんだし、嫌な私はむしろ長生きするんじゃなかろうか、などと無理やり自分を肯定してみたりしています。
最近、「いじめを苦に自殺」とか、そういうのを聞きますね。いや最近じゃなくてもあるみたいだけど。でもいじめられっ子が死んだっていじめっ子は喜ぶだけだし、どんな理由があっても死んだら負けだと思うんです。だからもし、そういう境遇の人がここを見たりしたら、上記の考え方をしてみてはいかがでしょうか。
楽しくはないけど、生きていけますよ、多分。
(なんか今日の日記はちょっとメッセージ色が強いですね……もう少し文学的に、書こうと思ったのですが……むむ、生まれてどうもすみません。違うか。
あと、私が太宰好きになるきっかけとなったエッセー「美男子と煙草」の青空文庫版があったのでリンクを張ります。いじけっぷりを隠そうとせず存分に発揮した文章に笑い、感動し、少し泣き、なんか泣き笑いです)
ところが私というやつは、カルモチンもないし一緒に玉川上水に飛び込む人もいないし、そもそも岩手に玉川上水はないし、何もかもないわけで、そもそも生粋のひねくれ者なので、そのように悲観して自殺したんではどうも格好よくないし、また凡庸でつまらないと思うわけで、その一心だけで一時期うつ状態(と心療内科の先生が言っていた)になった時も何とか生きてました。
ただ息をしているだけで罪の意識に押しつぶされそうになる。そのことを言えばいいのに言わない。そのことでまた家の者との不和が生じる……。
で、いろいろ考えた挙句、暫定的にこういう考え方をするようにしました。どういう。つまり自分が生きていることでどれだけ迷惑しているかを厳粛に受け止め、その上で、自分を認めよう、と。
「いたら迷惑だと思うけれど、いなくならないから、せいぜい迷惑がってください。あと、生まれてきてすみません」
存在自体が害悪。かといって自分で排除することはできない。このふたつの事実を合わせると、憎まれっ子世に憚るといいますか、佳人薄命つってむしろいい人が早く死んじゃうんだし、嫌な私はむしろ長生きするんじゃなかろうか、などと無理やり自分を肯定してみたりしています。
最近、「いじめを苦に自殺」とか、そういうのを聞きますね。いや最近じゃなくてもあるみたいだけど。でもいじめられっ子が死んだっていじめっ子は喜ぶだけだし、どんな理由があっても死んだら負けだと思うんです。だからもし、そういう境遇の人がここを見たりしたら、上記の考え方をしてみてはいかがでしょうか。
楽しくはないけど、生きていけますよ、多分。
(なんか今日の日記はちょっとメッセージ色が強いですね……もう少し文学的に、書こうと思ったのですが……むむ、生まれてどうもすみません。違うか。
あと、私が太宰好きになるきっかけとなったエッセー「美男子と煙草」の青空文庫版があったのでリンクを張ります。いじけっぷりを隠そうとせず存分に発揮した文章に笑い、感動し、少し泣き、なんか泣き笑いです)
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