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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 4年ぶりに自転車に乗って、みました。

 別にエコを意識したとか、そういうことではありません(全然意識していないわけではないのですが)。ただ、4年間。オリンピック並みのブランクを経て、その間ず~っと足と心臓を衰えさせ続けた自分への戒め。というか、「現在(いま)‥‥」 「自分の居る場所を知りたく――」といった片岡輝夫(@餓狼伝)的な気持ちでやってみました。

 結論。思っていたほど心臓は衰えていないということでした。

 もっとも、私の家は山を切り開いた団地にある関係上、行きはよいよい帰りはしんどいので、途中で押して歩いてきました。情けない。でもいいのです。とにかく今日はそれでよろしい。次はもう少し、押して歩かないで済むよう、がんばればよいのですから。


 それとは別に、今日は花巻城址を見てきました。

 花巻城は元々稗貫氏という人たちが治めていたところだったのですが、某秀吉の小田原攻めに遅参、というか参戦しなかったために領土を没収され、それ以来南部氏のものになったという経緯のあるところです。

 ただ、慶長5年に一度その人々が隣国の某「独眼竜」の後押しを受けて、城の奪還を目指して蜂起、ちょうど南部氏が関が原の戦いで出張していて城の兵が少なかったこともあり、ウオーとばかりに攻め込んだのでした。

 攻め手の兵は500から1000に対し、守り手の兵はせいぜい数十だったということで、「信長の野望・革新」などであれば5秒で制圧、といったところですが、その時に城代を任されていたのは知将・北信愛(当時は剃髪後なので松斎)でした。

 しかも城の守りも堅いし、さらに侍たちのみならず非戦闘員・一般人をも参加して奮戦したと言うことで、とにかく本丸は援軍がくるまで持ちこたえた……ということでございました。

 現在は西御門が復元されており、イトーヨーカドーの辺りから見上げるとなんだかそれらしく見えます。鉄砲銃眼などもあるので、ゴルゴ13かなんかが守り手にいれば99.999パーセント以上の確率でスナイプされることでしょう。

 それ以外は学校になっていたり、一般住宅になっていたり、まあほとんど面影はないのですが、ともかくホテホテと、当時のことを想像しながら歩いてみるとなかなか面白い。ついでに言うと、随分と大きかったのだな、ということがわかりました。


 もっと地元の歴史を、詳しく知らなければならないな、と思いました。もちろん、面白いから、ですよ。

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