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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 家にあるずっと昔に買ったCD。前は好きだったけど、今はそうでもない。あるいは、(良くも悪くも)その頃のことを思い出すから、あまり聴きたくない。

 ただ、最近そういった気持ちが軟化して、よく引っ張り出しては聴いています。今日は筋肉少女帯「ステーシーの美術」。確か中学生の頃に、兄者が持ってた「レティクル座妄想」にぶったまげて、慌ててCDショップに行き、唯一その店にあったのをひったくって来たんじゃなかったかな(もちろん、レジを経由してね)。

 オーケンさんの、いわゆる「語り」が多くて、歌を期待していた典型的なダメ少年だった頃の私はちょっと違うなあ? と思っていたのですが、今でも「鉄道少年の憩」を延々語れるくらい聴きました(「ダメだよ鉄ちゃん鉄道は、終点ってもんがあるんだよ……」)。

 社会人になってからは、そうそう世の中を呪っていられないこともあり、あえて遠ざけていたのですが、改めて聴くとなんだか懐かしいような、それまで気づかなかった何かがわかるような……「なんか(やっぱり)すごい」と、久しぶりに思いました。


 で、学生の頃というのはそういった音楽と文学が私の精神的な2本柱でした(ゲームもたくさんやったし、それなりに糧になってますが、柱というか地盤という感じ?)。特に英文学。

 E.M.フォースターもやったし、ジェイン・オースティンもやりました。便覧でなんだか面白そうだといってレポートの課題に選んだホレス・ウォルポールの「オトラントの城」はそもそも本が見つからず(最終的に街の図書館の倉庫奥深くから引っ張り出してもらった)、ジョン・バニヤンの「天路暦程」は女神転生的な宗教観を持っていた私のこころに鋭く突き刺ささりました。

 ただ、残念ながらもう5年以上経ち、そういった本の内容はほとんど忘れてしまいました。

 そんな中で、ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」はその書き出しさえこのように出てくるほど覚えているみたいです(ちょっと自信はなかったのですが、合ってるみたいですね)。

 思い出すたびに気持ちがうねる錯覚をします。こう、小麦粉を水で溶いたやつを少し伸ばしてギューッとねじっていくような感じ(どんな感じだ)。


 あんまり詳しく書くと長くなるのでいったん稿を改めることにしますが、やはり本は読むべきです。特にあなたが学生なら、なおさらです。スニーカー文庫だろうとハーレクインロマンスだろうと一向に構いはしません。必ずそれは精神の栄養素になるはずです。私はハーレクインは読んだことありませんが。

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