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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
顔を見てお互い動かなかったので、少ししゃがんでやると、犬はこちらへ出てきました。

いきなり触らないでまずは匂いをかがせるといいということだったので、とりあえず右拳を突き出して匂いをかがせ、かまれなかったので少し頭を撫でてやりました。それから、喉とか、首とか。

こないだはそっぽを向いたので、嫌われたのかな、と思っていつもそこまでで私は立ち去りました。


今日はしつこく横を向かれたら背中やおなかを撫でてやりました。そうするとさらに私にしっぽを向けてきたので、後ろ足とかを触りました。しっぽで私の手の甲をさわさわと撫でてくれたのがうれしかったです。

そしてさらに反対側、つまりさっきは右側だったのですが、今度は左側を私に向けてきたので、今度は左側の背中やおなかを撫でてやりました。

そうすると犬は私の手だけでなく、私の腕の中に身体を寄せてきたので、思わずフロントチョークをかけるような格好になりながら、しばらくじゃれあい、名残惜しい気持ちもありましたがとりあえず帰りました。


その間、いぬは私のことをどう思っていたのでしょう。また、無表情にいぬを丁寧に撫でる私を見た人はどう思ったでしょう。

考えてみれば私は小学校のころ飼育委員で、他の人が抱くと暴れるウサギも私の腕の中ではとてもおとなしくしておりました。かつてはインコもそうでした。祖母の家にいるオカメインコにはそこそこ慣れられているようです。

あくまでもそれらは畜生、というか小動物、私は人間です。私と彼ら、もしくは彼女らが同一の立場にあるとは決して思わず、私は人間、お前はいぬだ、という厳然とした区別を常に心の中に打ち立てながら接しています。

そのように区別をした上で、相手の最も望むことをしてやることこそ友愛の精神だと、最大トーナメントで言っていたアメリカ大統領のSPの人の言葉に賛同する人間だからです。

そしてそれは、人間でよかったという、人間賛歌につながります。数年前に大人気になった、声優嫌いでヘビースモーカーでロリコンのアニメ映画監督が作った、人間嫌いの自然賛歌アニメのように、人間を否定しても、どこまで行っても私たちは人間であり、石仮面でもなければ人間を止められないのですから。



それでも、一生とは言わないまでも、犬とともに暮らしたい。人よりもいぬといっしょに穏やかな日々を過ごしたい。と最近せつに感じているのですが。

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