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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 すっぱいぶどうと甘いレモンの話がすごく好き……というか、ほぼ毎日こんなことやってるな、と思ってしまいました。

 自力ではどう考えても手に入らないぶどうをして「べ、別にぶどうなんて欲しくないわ。どうせ酸っぱいに決まってますもの。取らない方がいいに決まってますわ」といってその場を立ち去り、たまたま手に入ったレモンを食べて「こっちの方が甘い……きっとあっちはもっと酸っぱいに違いありませんことよ。レモンでよかったですわ」狐はまさに私の化身(言葉遣いは別な人ですが……難しいですね)。


 ただ言い訳が少し違うのは、甘いの酸っぱいのと言う代わりに「天がおれに、これを手に入れさせないようにしているのだな」とかと言うところでしょうか。

 プラモやCDの手に入るの入らないのまで自分のせいにされて、天もいい迷惑かとは思いますが、神仏に縁のない織田信長も天の導きと言う考えはあったみたいだし、「哭きの竜」でも「北斗の拳」でもこの天とか天の導きとか、そういう言葉が出てくるので、つい気に入って使ってしまいます。

 手に入らないものは、それがまだ手に入る時期ではないから。逆に言うと、手に入れるべきものは必ず手に入れられる。ゲームショップで限定版のソフトがあったがお財布の中身がちょっと厳しい時などに、そう捨て台詞を吐いて立ち去れば、その後売れても売れなくても気持ちのダメージが少ないもので、それをガチガチの理論で固めたのがフロイトなのですね。

 
 何でこんなことを書くのかというと、世の中には「限定版」というのが多すぎる! ということを言いたいがためでして。もちろんそれが原料に限りがあるとか、ひとつひとつが職人の手作りで年に5つが限界とか、そういうのならわかるのですが、何で普通のCDとかゲームとかがそこまで限定されなければならないのでしょう。ただ聴きたいだけなのに、やりたいだけなのに。

 「こんなに苦しいのなら、こんなに哀しいのなら……愛などいらぬ!(クワッ)」

 とはいえそこは極星の男ではなく、むしろモヒカンに気まぐれに殺される一般人に過ぎない犬神、どうにもあきらめきれず、くすぶる思いを狐の論理で消火して、なんとか日々をやり過ごしているところです。


 今日こんなことを書いたのは、まあ、その……とあるアーティストのCDがネット通販限定で、しかも私が気づいた時はすでに売り切れ、オークションであるにはあるけどお金がない……という状況で、あまりにも悔しかったので、つい腹の虫が収まらず、書き散らしてしまった次第です。

 まあ、縁があればいつか手に入るさ(遠い目)。

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