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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 昨日プラモのことに絡めて、無理やり書いてみたのですが、やはりまとまりがないし、書きたいこともいっぱいあるし。……ああ、何のことかって。89年ごろに、小学校低学年のくせにラリーカーとかが見たくて「プレイドライブ」という雑誌を買い求め、写真ばかり眺めていた頃を思い出したのですね。

 で、とりあえず覚えていることを書き出して、あーだったのこーだったのということを、当時ちゃんとわかっていた人にも見てもらい、教えて欲しい。そんな気持ちも込めて、覚えている限りどんどん書き出していきます。


 WRCの記事は確かモンテカルロ・ラリーでディディエ・オリオール……じゃなくてミキ・ビアシオンが1位になったはず。もっともその次がオリオールで、さらにブルーノ・サビーと……まあ、要するにマルティニ・カラーのランチア・デルタがめちゃくちゃ速かった時代ですね。

 その頃がんばっていた国産車はファミリア(ドライバーはハンヌ・ミッコラ)、ST165セリカ(ユハ・カンクネン)とギャラン(……忘れました)が出てました。

 あとはルノー5ターボとか、アウディ90クワトロとかも出ていました。特にアウディのドライバーは女性で、パオラ・デ・マルティニという人だったと覚えています。「ムートンの再来となれるか」とかと書かれていましたが、その頃はミシェル・ムートンという人のことは知りませんでした。

 そうそう。大きく取り扱われていたのはBMW M3ですね。イクソというミニカーメーカーでもモデル化されていますが、2輪駆動ではトップの速さだったそうです。FR車がラリーに出ていた、というのがちょっと時代を感じますね。

 
ただ、その一方で事故の情報もありました。誰だったかはよく覚えていませんが、出走直後にコースアウトをしてがけ下に落っこちてしまい、ドライバーもコ・ドライバーも亡くなってしまうということでした。……当たり前ではあるのですが、やはり「ラリーでも事故を起こすと、そういうことがあるのだ」ということを、結構、強烈に思い知らされることとなりました。

 
 ST165セリカが好きになるのはそれから2年後、田宮の総合カタログでラジコンになったそれを見て、赤白のTTE色(というのかどうかは知りませんが)とスマートな容姿に一発で惹かれてしまってからであり、それでなくてもポルシェ935以来のマルティニカラー大好きっ子だった当時の犬神は、同じカラーリングのデルタが好きで好きでたまらニャイのでした。

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