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ばんつぁんの葬儀を終えた翌日、秋草おとサンとnyuサンの二人展「Necessary」に行ってきました。8か月ぶりだし、大体その頃とは思い切りファッションに変化もあるので、はじめましての振りをしてnyuサンにお会いしたところ、「こないだ来てくださいましたよね!?」と憶えてくださっていて……そして秋草サンがいらっしゃってからはさらにディープな話をたくさんしました。相変わらず強力なエネルギーの持ち主で、とにかく話が尽きない! ので、1時間以上滞在してしまいました。こんなに盛り上がっていいのかしら、ってくらい。
その中で秋草さんから言っていただいたのが、私がX(旧Twitter)で色々と感想を書いてくれるのがとても嬉しかった、とのこと。会って話すことはあっても、私のように言葉で、しかも「あの〇〇なところがよかった」と言ってくれる人は稀らしくて、それがとても嬉しくて励みになる、ということでした。
私としては普通の人よりも感情が激しすぎて、それをどうにか御するためにたくさん言葉を積み上げてまとめているだけなのですが、それが……去年のメディフェスの頃からかな……たぶん生きているんでしょうね。
そのころと違っていることといえば、きっと言葉を発する対象でしょうね。最初は「作家さん+パブリック」……私はこの作家さんがこんな感じで好きなんですよ! というのを作家さんに伝えつつ世間にも認知してもらいたいというスタンスで書いていたんですが、昨年11月にXを休止してオフラインでの活動に切り替えた後は、「別に他の人に伝わらなくてもいい」「一番伝えたい人に伝わればいい」という風に考えるようになりました。
会って話して伝える。手紙を書いてみる。宛先がわからなければ電子メールで。
「とにかく私は、私の気持ちが伝わればいいんだ。それを相手がどんな風に受け止めるかは、もう私にはどうしようもない」
毎回毎回そんな悲壮な覚悟で感想をまとめていたのですが、それを3月に……そう、さかいふうかさんに読んでいただいて、すごく喜んでもらえたことを切っ掛けに、少しずつ私のなかでも確立してきました。
私は美術の素養がないので、技術的なことはわかりません。「批評」はできません。それでも感じる気持ちはあります。大好きなアートに触れた感動を伝えることが、私にできるせめてもの御返しだと思って、可能な限りそれを伝えるようにしているのですが、それをとても喜んでくれた作家さんがたくさんいます。
ペロンミさんからは、「それが作家を救う、世界を救うことになります」とおっしゃっていただいたし、滝沢市葉サンからは「そう言ってもらえるのが一番うれしいです!」と言っていただきました。さかいふうかさん、トキワさん、文芸関係で言えば来栖千依先生に、 ……
別に私は美術評論家ではありません。そういう文章を書いて多くの人に読んでもらいたい……という気持ちが全くないわけではありませんが、そういう人たち向けの文章は書けません。でもピンポイントに、作家さんに向けて感想を書くという方法であれば、私にもできます。
そしてそれは、アートや文芸に限らず、帰天した叔母や祖母に対しても同じです。今回の葬儀で弔辞というシーンはなかったですが、自分の気持ちはちゃんと手書きのノートにまとめました。普段からそういうことをしていたので、何とかスラスラとまとめられた気がします。
でもそれは、べつに感情をロードローラーで平らかにするような作業ではありません。「ロードローラーだッ!!」それ違う。抑えつけるのではなく、感情のままに消費し続けるのではなく、整理するということです。
頻度は少なくても、このブログもそういう場所として、時々書いていきます。朝Wi-Fiがつながるというのがひとつの条件ではありますが。
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