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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
「戦国無双」をわざわざ引っ張り出してやってみると、おや? と思うことがいっぱいありました。主にコスチュームのことで、織田信長の革張りのあーいう服は本当にあの時代にあったのか? とか、「家康に過ぎたるもの」といわれる唐の兜ってのは、検索するとアレとは違うよな? とか。

 まあ、それはさておき、今日気になったのは「武田信玄の刀は、どうして鎖でつなぎとめているのか」ということでした。

 信玄公と言えば策謀家であり、「人は石垣、人は城」とも言われ、何かと人気の武将です。信長公の「覇道」に対し「王道」を目指した武将であり、郷里大輔氏の渋い声が好きな私のお気に入りのキャラのひとりなのですが、武器はあの軍配です。刀を差してはいるのですが、よく見るとつばのところに鎖をかけて、取り出せないようにしているんですね。

 なんだこりゃ。本当に信玄公はこんなことをしていたのか?

 そういうわけで探して探して探すうちに、事実を見つけました。いわく幼少の頃、戯れに刀を振り回して快川和尚に斬りかかったことがあったそうですが、その時に、「天下を取ろうとする者が刀ごときに頼っているようでは大したことない。本当に天下を取りたいのなら、刀なんかに頼りなさるな」と言った意味合いのことを話して諭したというそうです。

 で、それ以来刀をしまい、あの軍配を持って上杉「戦闘マシン」謙信公の剣を受け止めたりしたのでしょう。もっとも、実際のところ信玄公は京都へ行く前に病没し、快川和尚も信長の手にかかるのですが(この時「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉が生まれたそうです)。

 
 私は何せ南部の出身なもので、どうも全国的に有名な武将になじみがなく、上杉も武田も遠いどこかの人々のように見えるのです。もちろん徳川も織田も遠く遠く遠いどこかの人たちで、結局、今の人たちが作った物語の中でのイメージで好きだったり嫌いだったりするのですが、大きなひとつの疑問が解けたような気がします。

 刀ではなく、采配で人を動かす。郷里信玄公の太さ、大きさをちょっと見たような気がしました。

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