皆既月食が見られなかったので、その悔しさを忘れるために、今テレビでやっている世界陸上に絡めたことを書こうかなと思います。
すでに徒競走、なんていうものをやらなくなってそれなりの年月が経ったわけですが、とにかく私のコンプレックスのひとつに「足が遅い」というのがありまして、走る速さをランキングすれば短かろうと長かろうと下から数えりゃ片手で足りるくらいの成績しか残せませんでした。アー情けない。
じつに「足が速い」というのは、極端な話「魔法が使える」のと同じくらい憧れの、そして自分には決して手に入れられないステイタスである、という思いは今でも同じです。
足が遅いなら遅いなりに、一生懸命走ります。そりゃ走りますとも。ただその横を、隣のトラックを、私より足が速い人(=私以外のすべての人)が抜いていくんですよね。これだけ一生懸命走ってるのに、どうしてこんなに隣の人は悠々と抜いていくんだろう。そんなことを何度も目の当たりにするうち、足の速さは私にとって決定的なコンプレックスのひとつとなってしまったのでした。
で、走る速さはそのままに生きる知恵だけちょっと身につけた、それなりにスレた成人男性の犬神ですので、何となくわからなくはありません。肺に吸い込んだ空気やら地面を蹴る筋力やら、そういったものが走る速さを生むのでしょう。だとすれば、私はどれくらいやれば、その領域にたどり着けるのか。いや、別に今からアスリートを目指すわけじゃないんですけれどね。
もちろん元々の素養もそうですし、努力もしてませんでしたし、今から記録を残したりうらやましがられるような能力を身に付けられるとは思っておりませんが、やればやらないよりはよくなる。そしてやり始めるのは、遅すぎることはない。まだ20代後半ですし、ギリギリ間に合うんじゃないかなと。30いくつの人たちが第一線で走りまくっているのはちょっとした希望です。
もっとも、私が一番のこころの支えにしているのは「バキ」のモハメド・アライが、息子に復讐とファイトするために鍛えなおしたくだりです。時間と根性さえ掛ければ、1分限定ながら世界チャンピオンの頃に戻れるということ。実際のコミックは持っていないのですが、今も何かというと思い出します。
すでに徒競走、なんていうものをやらなくなってそれなりの年月が経ったわけですが、とにかく私のコンプレックスのひとつに「足が遅い」というのがありまして、走る速さをランキングすれば短かろうと長かろうと下から数えりゃ片手で足りるくらいの成績しか残せませんでした。アー情けない。
じつに「足が速い」というのは、極端な話「魔法が使える」のと同じくらい憧れの、そして自分には決して手に入れられないステイタスである、という思いは今でも同じです。
足が遅いなら遅いなりに、一生懸命走ります。そりゃ走りますとも。ただその横を、隣のトラックを、私より足が速い人(=私以外のすべての人)が抜いていくんですよね。これだけ一生懸命走ってるのに、どうしてこんなに隣の人は悠々と抜いていくんだろう。そんなことを何度も目の当たりにするうち、足の速さは私にとって決定的なコンプレックスのひとつとなってしまったのでした。
で、走る速さはそのままに生きる知恵だけちょっと身につけた、それなりにスレた成人男性の犬神ですので、何となくわからなくはありません。肺に吸い込んだ空気やら地面を蹴る筋力やら、そういったものが走る速さを生むのでしょう。だとすれば、私はどれくらいやれば、その領域にたどり着けるのか。いや、別に今からアスリートを目指すわけじゃないんですけれどね。
もちろん元々の素養もそうですし、努力もしてませんでしたし、今から記録を残したりうらやましがられるような能力を身に付けられるとは思っておりませんが、やればやらないよりはよくなる。そしてやり始めるのは、遅すぎることはない。まだ20代後半ですし、ギリギリ間に合うんじゃないかなと。30いくつの人たちが第一線で走りまくっているのはちょっとした希望です。
もっとも、私が一番のこころの支えにしているのは「バキ」のモハメド・アライが、息子
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