もう一年以上病院にも通っていないしコンサータ(向精神薬)も飲んでいないので、個人的にはそれほどこだわりはないのですが、私は発達障がいです。ついでに自閉スペクトラム症です。だから健常者、定型発達者とは違うことは、わかっています。
ただ障碍者手帳は交付してもらえなかったし、今じゃ通院もやめてしまったので、今まさにADHDやASDで苦しんでいる人たちからしてみれば、「ふつうの人」のように見えるでしょう。
健常者とも障がい者とも言えない心。ついでに言えば、男性とも女性ともつかない心。健常者とも障がい者とも男性とも女性とも言えない私は何なのだろう…と考えれば考えるほどわからなくなってしまいます。
そして、わからなくなった果てにたどり着いたのは、「まあいいか」ってことです。ここでタイトルにもある「あっけらかん」という境地にたどり着きます。
だって私は私ですから。私以外私じゃないのですから。それでいいじゃないですか。
そうすれば今度は「回避性愛着障害」だと言われるかもしれませんが、そういうレッテルとか仕分けとかは他の誰かがすればいいです。
私は私です。障碍者手帳はありませんが診断書はもらったので間違いなくADHDでASDです。あと肉体的には男性でそれを受け入れていますが、心のなかでは完全に100%わずかな余地もなく男性であるとは思っていません。少しずつその比率は変わってきています。
ただ、私はそう言わないだけです。表に出さないだけです。どこまでも内向的、内面的な私を追求しこれを大事にしていきます。
「在りたい私」
大切にしたいです。
ただ障碍者手帳は交付してもらえなかったし、今じゃ通院もやめてしまったので、今まさにADHDやASDで苦しんでいる人たちからしてみれば、「ふつうの人」のように見えるでしょう。
健常者とも障がい者とも言えない心。ついでに言えば、男性とも女性ともつかない心。健常者とも障がい者とも男性とも女性とも言えない私は何なのだろう…と考えれば考えるほどわからなくなってしまいます。
そして、わからなくなった果てにたどり着いたのは、「まあいいか」ってことです。ここでタイトルにもある「あっけらかん」という境地にたどり着きます。
だって私は私ですから。私以外私じゃないのですから。それでいいじゃないですか。
そうすれば今度は「回避性愛着障害」だと言われるかもしれませんが、そういうレッテルとか仕分けとかは他の誰かがすればいいです。
私は私です。障碍者手帳はありませんが診断書はもらったので間違いなくADHDでASDです。あと肉体的には男性でそれを受け入れていますが、心のなかでは完全に100%わずかな余地もなく男性であるとは思っていません。少しずつその比率は変わってきています。
ただ、私はそう言わないだけです。表に出さないだけです。どこまでも内向的、内面的な私を追求しこれを大事にしていきます。
「在りたい私」
大切にしたいです。
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