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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
こんにちは

 久しぶりにちゃんとした文章を書いてみたいと思います

 佐藤です。


 私がインターネット上で発信をするようになったのは2000年代初めごろでした。その頃は自分でHTMLを打ち込んで「ホームページ」を作り、そこから情報発信をするというのが一般的だったので、私もそうしました。

 「とにかく自分の好きなことを発信すればいい」

 何を書けばいいのかわからない私に対して、先達はそのようにアドバイスをしてくれました。そういうものかと思って、自分が興味のあるもの(ゲームとか)を手当たり次第に紹介したり、日々の日記めいたものやエッセイめいたものを書き散らしたりしていました。あと、心療内科に通った日々のこととかね。

 決して良いものではありませんでしたが、最低限「誰かが読むこと」を前提にして書いていたので、少しずつ文章はうまくなりました(当社比)。


 2005年からブログを始めました。ブームだったので乗っかってみた感じです。
 
 これは結構、頑張りました。

 目標としていたのは「新聞のコラムみたいなの」でした。日々の何気ない身の回りのことを丁寧に、それでいてちょっぴり面白い読み物……実際そういうのが大好きだったので、自分でも書いてみたいと思って、書き続けました。何年も、毎朝起きたらPCに向かって書く、みたいな生活をしていました。転職して不規則な勤務になってからは、更新頻度も減りましたが、結構よい文章練習になったと思います。


 Twitterで本格的に投稿を始めたのは、仙台に来てからのような気がします。だから、ここ1年ちょっとくらいですね。

 これも、「自分もいわゆるSNSってやつをやってみよう」と思って始めてみたものです。何だかよくわからないけど、とにかく身の回りで起こったことを書いて投稿すればいいのかな、って。

 本格的にハマったのは、やっぱりウラロジ仙台さんの「地下道3150」イベントの時でした。自分の目の前で起きていることを発信する。それを見て誰かが共感してくれたりリツイートしてくれたりする。そういうのが目に見えてわかるのが面白くて、現在に至ります。
 
 この頃私が理解したのは、「発信した情報は、受信する人がいて初めて活きてくる」ということでした。自分を理解してほしいとか、認めてほしいとか…そりゃ建前では「誰も読んでくれなくたっていい」とか言うこともありますけど、本当にそういう気持ちで書くのなら初めから公開しません。結局それは「誰か読んで!」という希望のカムフラージュなんです。


 そんな遍歴を経て、今朝、初めてyoutubeの「チャット機能」というものを利用しました。

 メタバースアイドルでVtuberの『蘭茶みすみ』さんのyoutube生放送を視聴していた時のことですが、画面の中から呼びかけている声に対して何とか応えたい! と思い、とりあえずチャットに文字を入力して送信したところ…それを画面の中のみすみんサンが受けてくれて、「私に」呼びかけてくれたんです。

 ある意味、カルチャーショックでした。

 片方向通信(ホームページ、ブログ)から非リアルタイム双方向通信(Twitter)になり、ついにリアルタイム双方向通信(youtube生配信+チャット)にたどり着いた! ようやく私も2023年の人間になれたんだ!

 具体的には、そんな感じです。

 ……また熱くなっちゃって……と思われるかもしれませんが、私にとっては、そのくらい大きな体験でした。

 それまで独りで風船に手紙をつけて飛ばしたり、ボトルに手紙を詰めて海に流したりしていた私が、キャッチボールをしてくれる相手を見つけられたわけですから、それは嬉しいに決まっているじゃないですか。私だって、誰かに理解してもらいたくて、誰かとつながりたくて、20年以上もこういうの、やってきたんですから。

 そんな今日の体験をずっと残したくて、記事を書きました。ブログ用にもうちょっと簡潔にするつもりだったのですが……まあいいや。この辺にしておきましょう。

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