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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
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おはようございます

 休みの日だけでも書きます

 高杉です(マイペースで)。


 このブログでは散々書き散らしてきたことなので隠さずに書きますが、いわゆるADHDとかASDとか、そういう診断を下された側の人間です。

 朝から酒を飲み、たばこを吸いまくり、コンサータを指示された量の倍くらい飲んで朝6時から夜10時まで働いていたことがあります。

 今の職場はそういうことはありません。割と定時出勤定時退勤です。それでも体力的には結構ギリギリなので、これが本来のワークライフバランスってやつなのかもしれません。


 先日も書きましたが、そういう人間なので、強烈なコンプレックスがあります。それに苦しんで来たこともありますし、それを支えにして来たともいえるでしょう。自分と同じような診断を受けてアレコレ苦心してきた人たちのツイートに共感し、それを共有したいという思いはあります。

 でも今はそうしない。それだけです。そうしたくない。そういうこともあります。少なくとも今の職場の人たちに、そういう過去があることは話していません。またTwitterでも話していません。幻想かもしれませんが、また自分の(心理学的な意味の)ペルソナが上手にできあがってきたので、何とかごまかして押し通せるようになってきたからです。

 あと、こういう共感と共有っていうのは、投影とか、そういうたぐいのものだという気がしているからです。その先に何があるのかということを考えると、踏み出せないのです。少なくとも今は。もしかしたら、これからも、ずっと。

 それなら、それでいい。

 そんな気もします。

 共感するエモーション、共有したいと思うエモーション。それ自体は否定しません。でも「共有しようとして手を伸ばして、その先はどうする」と冷静に考える思考も、否定しません。非常に難しいですが、最近ようやくバランスがとれるようになってきたのです。

 
 最近でこそ、「何でも思ったことをノートに書き出して」云々なんていうことが新時代の新発見みたいにもてはやされているところですが、そんなものは20年前に通過しています。最初に心療内科にかかった時、そのクリニックの先生がとても良い方で、私に同じアドバイスをしてくれたんです。

 「頭の中で考えているだけだとごちゃごちゃになってしまうから、それを書き出してみると心の整理がつけられるし、あとで読み返してさらに整理できるから」

 「高杉さんは心のバランスをとるのが上手な人だから、今はちょっと疲れてるだけだから」

 これはまだ世の中に今ほどADHDという言葉があふれかえる前の時代のことです。私はずっと、この先生の言葉を大切にして生きてきました。いや確かにADHDと診断され(これは別な病院です)デカダンス的な生活を送っていた頃は部屋の隅っこに放置していましたが、仙台に来てからは変わりました。病院にかかることができないから、自分で何とかするしかないんです。

 ローカルな日記、Twitter、ブログ、ホームページ。大体こんな順番でしょうか。最初にナマの心を吐き出して、その上澄みの一番澄み切ったところをTwitterで短く発信して、このブログで分厚い心の闇を可能な限り外向きの言葉で繕って、それでもうまく伝えきれないことがあればホームページで清濁ハイブリッドなものを書く。更新頻度もそれに従って落ちていきますが、閉ざすことはできません。

 そんなわけで今日も生きていきます。さしあたって洗濯をしなくちゃ。

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