おはようございます
ちょっと真面目に今年を振り返りたいと思います
高杉です。
1-3月。
1月11日、十和田から仙台へ。既にこの時点で会社には退職願をだし、アーレア・ヤクタ・エスト、ルビコン河を渡る、賽は投げられたという状況だった私。前日入りして宿をとったのですが、極度の緊張状態で面接に臨み、「やれるだけやったけど、ダメかなあ」と失意のまま帰りました。結果的にはめでたく採用が決まり、現在に至るのですが。
2月。採用が決まってからが、また大変でした。何せ仕事は決まったけれど住む場所が決まっていないものですから、毎日毎日ネットで物件を検索。最終的には泉中央にある不動産屋さんが見つけてくれた現住所に決まりました。
3月。何とか住む場所も決まり、あとは引っ越すばかり。青森の時代はあくまで「職場が青森」というだけで、戸籍は岩手に残したままだったのですが、今回は戸籍も宮城県仙台市に移すのでね。「もう来ることもない」という気持ちで色々なところを回り、3月26日、本格的な仙台生活が始まったのでした。
ちょっと真面目に今年を振り返りたいと思います
高杉です。
1-3月。
1月11日、十和田から仙台へ。既にこの時点で会社には退職願をだし、アーレア・ヤクタ・エスト、ルビコン河を渡る、賽は投げられたという状況だった私。前日入りして宿をとったのですが、極度の緊張状態で面接に臨み、「やれるだけやったけど、ダメかなあ」と失意のまま帰りました。結果的にはめでたく採用が決まり、現在に至るのですが。
2月。採用が決まってからが、また大変でした。何せ仕事は決まったけれど住む場所が決まっていないものですから、毎日毎日ネットで物件を検索。最終的には泉中央にある不動産屋さんが見つけてくれた現住所に決まりました。
3月。何とか住む場所も決まり、あとは引っ越すばかり。青森の時代はあくまで「職場が青森」というだけで、戸籍は岩手に残したままだったのですが、今回は戸籍も宮城県仙台市に移すのでね。「もう来ることもない」という気持ちで色々なところを回り、3月26日、本格的な仙台生活が始まったのでした。
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