こんにちは
縁なき衆生は度し難し
高杉です(今日の話題とは異なります)。
昔の私はどちらかというと、新しい環境になるとそれ以前の人間関係をリセットしたがるタイプの人間でした。たとえば中学から高校、高校から大学、大学から社会人……っていって、学校を卒業すると、途端に同級生との連絡を取らなくなる。そんな感じ。
まあ、今のように一人一台のパーソナルな連絡手段が普及していなかった時代だから、というのもあるでしょうね。ただ、それは副次的なものであって、第一に考えていたのは、回避型愛着障害らしく、人間関係が面倒くさかったからじゃないかと。常に過去を切り捨てて、新しい気持ちで……なんて言って、ここまで生きてきました。
ここまでっていうか、何年か前まで、でしょうか。
もうすぐ40歳になろうかという頃になって、色々と精神的に追い詰められた時、それまで切ってきた人間関係がとても惜しくなってしまったのです。色々と人間らしさを取り戻す過程で、もっと何でも話せる友達をたくさん作っておけばよかった、と後悔したりしたのです。
そんななか、ひとりで仙台市内を歩いている時にふらりと立ち寄ったマチナカ神社こと『野中神社』。ここは仙台藩祖・伊達政宗公が街づくりをするにあたり中心点に定めた場所であり、さらに町割りをするときに使った縄を納めた場所であるといいます。そういう御由緒があるからか、「縁結びのご利益」があると言われています。
果たして私という人間は、一度は良き女性に巡り合ったものの、私の不甲斐なさにより愛想をつかして逃げられたという凄惨な過去がありますからね。それ以来、「神や仏とは最も縁遠い男」と影慶先輩の真似をして嘯き、生きてきたのですが――昨晩、登録していない電話番号から着信がありました。
出てみると、2年くらい前まで連絡を取り合っていた大学時代の後輩でした。ちょうど精神病院にかかり始めたころで、かなりナーバスになっていたからということもありますが、しばらくLINEもブロックして縁を切っていたのですが――どういうわけか、電話をしてくれたのです。
40分くらい、話をしました。
絶えて無くなっていた私の縁が、また復活しました。
野中神社の御利益でしょうか? いやいや、これもすべてイエス様の御心でしょう。まだまだ不完全な私ですが、少しでも良くなろうと思って生きている私ですからね。あるいは「笑う門には」なんとやら、ってやつで、自分から心を開いていけば自然の流れができていくのでしょう。モータージャーナリストの太田哲也さんが著書で語っておられました。大学の頃に読みました。20年以上経った今でも生き方の指針として心に息づいています。
なんだか、とりとめのない話ばかりしてしまったので、無理やりまとめます。
生きていれば良いこともあるし、悪いこともあります。ある程度は気の持ちようで何とかなりますが、私たち衆生は不完全なものですから、「何でこんな目に遭うんだ」とか「こんな目に遭うくらいなら死んだ方がマシだ」とかって言って神様に怒られるものです。そう感じてしまうのは仕方がありません。
でも『良いことがある』と信じて生きていれば、少しずつ強くなれる気がします。悪いことを嫌だと感じなくなる気がします。嫌だと感じるのを押し込めるのではなく、そもそも悪いことと感じなくなるような気がします。そして良い流れができるんだと思います。
縁なき衆生は度し難し
高杉です(今日の話題とは異なります)。
昔の私はどちらかというと、新しい環境になるとそれ以前の人間関係をリセットしたがるタイプの人間でした。たとえば中学から高校、高校から大学、大学から社会人……っていって、学校を卒業すると、途端に同級生との連絡を取らなくなる。そんな感じ。
まあ、今のように一人一台のパーソナルな連絡手段が普及していなかった時代だから、というのもあるでしょうね。ただ、それは副次的なものであって、第一に考えていたのは、回避型愛着障害らしく、人間関係が面倒くさかったからじゃないかと。常に過去を切り捨てて、新しい気持ちで……なんて言って、ここまで生きてきました。
ここまでっていうか、何年か前まで、でしょうか。
もうすぐ40歳になろうかという頃になって、色々と精神的に追い詰められた時、それまで切ってきた人間関係がとても惜しくなってしまったのです。色々と人間らしさを取り戻す過程で、もっと何でも話せる友達をたくさん作っておけばよかった、と後悔したりしたのです。
そんななか、ひとりで仙台市内を歩いている時にふらりと立ち寄ったマチナカ神社こと『野中神社』。ここは仙台藩祖・伊達政宗公が街づくりをするにあたり中心点に定めた場所であり、さらに町割りをするときに使った縄を納めた場所であるといいます。そういう御由緒があるからか、「縁結びのご利益」があると言われています。
果たして私という人間は、一度は良き女性に巡り合ったものの、私の不甲斐なさにより愛想をつかして逃げられたという凄惨な過去がありますからね。それ以来、「神や仏とは最も縁遠い男」と影慶先輩の真似をして嘯き、生きてきたのですが――昨晩、登録していない電話番号から着信がありました。
出てみると、2年くらい前まで連絡を取り合っていた大学時代の後輩でした。ちょうど精神病院にかかり始めたころで、かなりナーバスになっていたからということもありますが、しばらくLINEもブロックして縁を切っていたのですが――どういうわけか、電話をしてくれたのです。
40分くらい、話をしました。
絶えて無くなっていた私の縁が、また復活しました。
野中神社の御利益でしょうか? いやいや、これもすべてイエス様の御心でしょう。まだまだ不完全な私ですが、少しでも良くなろうと思って生きている私ですからね。あるいは「笑う門には」なんとやら、ってやつで、自分から心を開いていけば自然の流れができていくのでしょう。モータージャーナリストの太田哲也さんが著書で語っておられました。大学の頃に読みました。20年以上経った今でも生き方の指針として心に息づいています。
なんだか、とりとめのない話ばかりしてしまったので、無理やりまとめます。
生きていれば良いこともあるし、悪いこともあります。ある程度は気の持ちようで何とかなりますが、私たち衆生は不完全なものですから、「何でこんな目に遭うんだ」とか「こんな目に遭うくらいなら死んだ方がマシだ」とかって言って神様に怒られるものです。そう感じてしまうのは仕方がありません。
でも『良いことがある』と信じて生きていれば、少しずつ強くなれる気がします。悪いことを嫌だと感じなくなる気がします。嫌だと感じるのを押し込めるのではなく、そもそも悪いことと感じなくなるような気がします。そして良い流れができるんだと思います。
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