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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
とにかくグーグルと言うやつは厄介で困る。私の中にある断片的な単語を入れてやることで、単語をつなぎ合わせたものが次々と見つかり、先日からあれやこれやと止まらないのである。

……などと、国語の教科書に出てくる「評論」カテゴリの文章みたいに書き出してみましたが、実際その通りでして、これがとにかく面白くてたまらない。「キーカラカラ」は「糸車」であり「テニアンで玉砕」といえば「一塁手の生還」、「ひとつだけ、ね」といえばそれは「ひとつの花」であり、ココまで来てしみじみしてしまった貴方はすでに学生「だった」人ですね。

そんなものをひっくり返して、何を求めているのか。懐古主義なんて犬に食わせとけ! いつでも前進勝利あるのみ! が私のモットーであったはずなのに。あれほど「三丁目の夕日」とかに反感を抱いて「未来町内会」を愛読していたはずなのに。

と、ここまで書いてきて思ったのですが、懐かしい、と言う気持ちとも違うようです。私は戦争を知らずに育った世代ですし(このフレーズ自体が古臭いか)つり橋を渡れない女の子をバカにしたことも床下に消しゴムを拾いに行ってコオロギの真似をしたこともありません。加えて私の家は六月も蝿取り紙ではなくベープマットでしたし将来なりたいものを聞かれて「クジラ」と答え、その日の掃除の時間に「ご苦労、クジラ君」と言われてバケツを蹴飛ばしてそのまま学校を飛び出したと言う記憶もありません。どうしてこういうところばかり鮮明に覚えているのか。

大型タンカーが風に吹き飛ばされるクジラの話はともかく、昔は気づかなかった感動のセンサーが最近作動しているようで、それで思い出しては面白さを再発見しているのでしょう。センサーが作動している、と言うか、単に意地の悪い読み方を覚えた、と言うか。

そんなこんなで、「一塁手の生還」を読み直しました。実は私にも十三歳離れた弟がいるのですが、直近の兄弟(次男と三男)で同居なので「貴様か」などとは言えません。やはりそういう背景と言うか、育ってきた環境によるものなのでしょうね。ともあれ、単純に情を揺さぶられるというか、「何事も、どうなるかわからない」という無常マインドを揺さぶられる短編でした。

過去に戻りたい、とは思いません。80年代、90年代初頭を懐かしむこともありますが、居心地が悪くてすぐに飛び出してしまいます。だからやっぱり今が最高。未来が好き。

でも、文章はいつも、読んだ時が現在ですよね。だから昔出会った児童文学だろうと、評論だろうと、鞄だろうと檸檬だろうと羅生門だろうと、それは拒むことなく、何でも読みたいし、わかりたいと思うのである。なんて、最後だけ文語体にしてもしまりがないですね。さてもっと本を読まなければ。

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