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こんにちは
今日は南相馬市
高杉です(スタート時はここが目的地でした)。
ここもやはり原発事故以降、何度となく地名が報道されたことで知りました。加えて以前、あまり明確な目的もなく宮城県亘理町に行った時、道路案内看板に名前が出てきて、実際的な距離も40キロ無いくらいだということを知ったので、
「それなら、行こうと思えば行けるじゃないか」
そう思ったんですよね。
さらに詳しく調べれば、私の本拠地である仙台市と、福島県浜通り地方の最大都市『いわき市』の中間地点にあるということなので、
「いつかはいわき市まで制覇するとしても、今回はその足掛かりとして南相馬市まで行って見よう」
ということで、ここを目的地にしてオートバイで出走したのでした。
ところが、かなり余裕を見て(+ワクワクハカハカで超早起きしちゃって)朝5時半とかに出発したので、途中であちこち寄り道をして休憩したうえで到着したのが8時半でした。物販コーナーもまだまだ開いてないし、ほかの観光地もたいてい9時10時ですからね。ここでちょっと休憩がてらインフォメーションコーナーにある資料を読んで理解を深めればよかったんですが、
「頑張れば、いわき市まで行っちゃえるんじゃないか」
「被災地の今を知るために、来てるんだから」
とか言って、結果的に『水曜どうでしょう』もかくやとばかりにオートバイで走りまくる旅となってしまったわけですが、それはそれとして。この南相馬市の道の駅と、あと直前に立ち寄った『道の駅 そうま』で見たアレコレをもって、福島県における震災のすさまじさと復興の道のりというのを知ることができました。
これは『道の駅そうま』に展示されていた、被災地で回収された案内看板です。われわれ人間が叩こうが蹴飛ばそうがびくともしない(そもそも手足が痛くなるだけなので、そんなことをしようとも思いませんが)鋼鉄の看板が、かくもぐしゃぐしゃになってしまうのです。津波の威力たるや、すさまじいものがあります。岩手も宮城も福島も、色々なところに行きましたが、そのたびに感じます。
加えて福島の場合は原発事故の影響が物理的にも風評被害的にもあって、ずいぶん苦労されたと思いますが、それでも福島の人たちは復興への道のりを着実に歩んできました。そのことは私もパンフレットを読んで感じました。何よりもきれいに整備された街並みを見て感じました。
楢葉町にある『ここなら笑店街』に立ち寄った時。浪江町の『道の駅なみえ』に立ち寄った時。そしてここ、南相馬市の道の駅で色々と読んだ時。
私も含めて、みんな自分の日常を生きていかなくちゃいけないわけですから、「ここまで来たからこれでいい」ということはないと思います。復旧復興と言って10年以上経ち、建物は確実に増え始めていますが、それだってスタートを切ったか切らないか……要するに、ここから軌道に乗せられるかどうかが大事なところだと思います。
私だってそうです。一念発起して新天地を求め仙台市にやってきて、4か月が過ぎましたが、食う寝るところに住むところを構えたからオッケーじゃないんです。ここで1年2年と生きていかなくちゃいけないんですから。
そんな自分自身の境遇と重ね合わせてしまうので、私はやっぱり、福島の街に肩入れしてしまうのかもしれません。勝手な話です。私が勝手にやっていることです。でも、それならそれで、大目に見てほしいのです。私もまた、そうすることによって日々を生きる活力を得ているのです。「もっと頑張ろう」そういうエネルギーを得ているのですから。
今日は南相馬市
高杉です(スタート時はここが目的地でした)。
ここもやはり原発事故以降、何度となく地名が報道されたことで知りました。加えて以前、あまり明確な目的もなく宮城県亘理町に行った時、道路案内看板に名前が出てきて、実際的な距離も40キロ無いくらいだということを知ったので、
「それなら、行こうと思えば行けるじゃないか」
そう思ったんですよね。
さらに詳しく調べれば、私の本拠地である仙台市と、福島県浜通り地方の最大都市『いわき市』の中間地点にあるということなので、
「いつかはいわき市まで制覇するとしても、今回はその足掛かりとして南相馬市まで行って見よう」
ということで、ここを目的地にしてオートバイで出走したのでした。
ところが、かなり余裕を見て(+ワクワクハカハカで超早起きしちゃって)朝5時半とかに出発したので、途中であちこち寄り道をして休憩したうえで到着したのが8時半でした。物販コーナーもまだまだ開いてないし、ほかの観光地もたいてい9時10時ですからね。ここでちょっと休憩がてらインフォメーションコーナーにある資料を読んで理解を深めればよかったんですが、
「頑張れば、いわき市まで行っちゃえるんじゃないか」
「被災地の今を知るために、来てるんだから」
とか言って、結果的に『水曜どうでしょう』もかくやとばかりにオートバイで走りまくる旅となってしまったわけですが、それはそれとして。この南相馬市の道の駅と、あと直前に立ち寄った『道の駅 そうま』で見たアレコレをもって、福島県における震災のすさまじさと復興の道のりというのを知ることができました。
これは『道の駅そうま』に展示されていた、被災地で回収された案内看板です。われわれ人間が叩こうが蹴飛ばそうがびくともしない(そもそも手足が痛くなるだけなので、そんなことをしようとも思いませんが)鋼鉄の看板が、かくもぐしゃぐしゃになってしまうのです。津波の威力たるや、すさまじいものがあります。岩手も宮城も福島も、色々なところに行きましたが、そのたびに感じます。
加えて福島の場合は原発事故の影響が物理的にも風評被害的にもあって、ずいぶん苦労されたと思いますが、それでも福島の人たちは復興への道のりを着実に歩んできました。そのことは私もパンフレットを読んで感じました。何よりもきれいに整備された街並みを見て感じました。
楢葉町にある『ここなら笑店街』に立ち寄った時。浪江町の『道の駅なみえ』に立ち寄った時。そしてここ、南相馬市の道の駅で色々と読んだ時。
私も含めて、みんな自分の日常を生きていかなくちゃいけないわけですから、「ここまで来たからこれでいい」ということはないと思います。復旧復興と言って10年以上経ち、建物は確実に増え始めていますが、それだってスタートを切ったか切らないか……要するに、ここから軌道に乗せられるかどうかが大事なところだと思います。
私だってそうです。一念発起して新天地を求め仙台市にやってきて、4か月が過ぎましたが、食う寝るところに住むところを構えたからオッケーじゃないんです。ここで1年2年と生きていかなくちゃいけないんですから。
そんな自分自身の境遇と重ね合わせてしまうので、私はやっぱり、福島の街に肩入れしてしまうのかもしれません。勝手な話です。私が勝手にやっていることです。でも、それならそれで、大目に見てほしいのです。私もまた、そうすることによって日々を生きる活力を得ているのです。「もっと頑張ろう」そういうエネルギーを得ているのですから。
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