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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
ボクシングのヘビー級チャンピオンといって、よほどボクシングに詳しい人でなければ思いつくのは「キャシアス・クレイ(後のモハメド・アリ)」か「マイク・タイソン」ぐらいでしょう。私もそうでした。Wikipediaで現役のヘビー級チャンピオンを見ましたが、まあ、初めて聞く名前でした。

ところで、格闘技が私は好きなのですが、それはやはり「スポーツだから」好きなんですよね。

すでに「どの格闘技が強いか」などというのは不毛な論理であって(「どの格闘技」ではなくて「誰が」強いのか、であれば話は別ですが)、もちろんこんなところで論ずるつもりはまったくありませんが、やはり「餓狼伝」を愛読する者として「真剣勝負」という言葉には特別に注意を払って使います。


ボクシングとか、相撲とか、まあ何でもいいんですが、これが「八百長」があると知ると一気に興味を失ってしまう……やはり見る側としては、「強いやつが勝つ」という、シンプルな論理に基づいて見せて欲しいですよね。プロレスはどちらが勝つとかそういう次元の楽しみではないので、何でもいいです。

ただ、「強いやつが勝つ」のはいいのですが「勝つためだったら何をやったっていい」というのはまた別な話だと思うのです。

「勝つためなら何をやったっていい」……そうなると、およそ正視に耐えないような凄惨な戦いとなることでしょう。耳を削ぎ、目をえぐり、金的を蹴り上げ、指をへし折り……突き詰めていくとそうなっていくことでしょう。武器を使ったり地面を使ったりすれば、さらに凄惨なものとなるでしょう。

正直そんなものは見たくありません。

だからルールの上で、お互い手加減なく全力でぶつかり合う。肘打ちがダメ、膝蹴りがダメ、頭突きや目突きや金的がダメ(レミー・ボンヤスキーが3回くらい連続でローブロー食らっていたのはあまりにも痛々しかった!)。限られた中で相手をぶっ倒す。

だから格闘技は面白い、と思うのです。


最近、「餓狼伝」10巻を読んでいると、自分はそういう「真剣勝負」の世界は必ずしも求めていないな、と思いました。どうやって人を壊すのか。そういうことばかり考えて、それが出来る人にはもう共感できない。どうやら自分はグレート巽の視線で既に殺されているようです。よくわからない、という方は漫画版の「餓狼伝」をご覧ください。

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