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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
どちらかというと一関市民にとってリアルな記憶、あるいは伝承として伝えられているかとは思いますが、私が住んでいた盛岡市にも一応かかわりがあるので書きます。

北上川。岩手県民にとっては利根川より多摩川より最上川より馴染み深い川です。岩手の黄河、盛岡の長江と言ってもいいくらいです(よくないです)。とにかくでかい川なのですが、ここには昔、「この台風の時はココまで水位が来ました」という看板がありました。今は護岸工事をして小奇麗になったから、もうないのかな。それに私もその街の住人じゃないですしね。

で、そこにあったのが「カサリン台風」「アイオン台風」でした。

カサリンというのはKATHLEENであって一般的にはカスリーン台風というのでしょうか。チャートを見ると岩手にダイレクトに来たようには見えないのですが、ともかく雨量がすさまじいために大変な被害を受けたといいます。盛岡でもずっと記録に残っているくらいだから、とんでもない水量だったのでしょう。

アイオン台風はその翌年に来て、関東をざっと洗い流し、再び岩手県に大打撃を与えました。死者・行方不明者の大半が一関市でした。というのは北上川が氾濫したためなようですが、台風の被害がそれほど深刻ではない岩手県に住まう者として、とにかくその名前だけはよく覚えています。

ちなみにこの大被害を教訓として作られた巨大ダム「四十四田ダム」は人工の建造物のくせに「南部片富士湖」と呼ばれているそうです。地元なのに知らなかったですよ。

関連リンク
http://www.teganuma.ne.jp/
「一関のおもいで」→「台風の記憶」とたどっていくと、当時の写真とかがあります。
http://www.d2.dion.ne.jp/~mjro_3/takara/caslin.html

地元の小学生が演じた当時の状況についていろいろ書かれています。住民のために最後まで安否を気遣い、殉職した警察官の方もおられたようで、ちょっと目頭が熱くなる思いでした。


ようやく台風が、九州方面に深い爪痕を残しつつも去ったかと思ったら、今度は新潟でまた巨大な地震が起こり……天変地異が続いていますね。だからというわけではないのですが、今回は記憶にずっと残っているこのふたつの台風のことについて書きました。普段から我々はこういった教訓に基づき、気をつけなければならないのでしょうね、などと今回はまじめに締めくくってみましたがいかがでしょうか。

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