こんばんは
誰にも言えないことを、ここで言います
いぬがみです(今日は自分のことだけを書きます)。
皆様も生きていれば、めいっぱい頑張っても「やる気がない」と言われた……なんて経験、一度や二度はされていると思います。
私はそうです。一度や二度どころか、ほぼ毎日、そんな感じです。
めいっぱい頑張って、ささやかながら成果をあげたのに、「やる気がない」「全然ダメ」といわれる。
「これ以上、何を頑張ればいいの」「もう無理……」
それを弱音だ泣き言だとおっしゃるのなら、それで結構。手加減ができなくて、限界ギリギリまで頑張っているのに、そう言われたんじゃ、もう、どうしようもありません。それならどうすればいいんですか。死ねばいいですか。そこまで行ってしまいます。
そこで今日は聖書の言葉を思いっきり引用します。新約聖書『マタイによる福音書』6章1節から8節です。
この言葉に、私の心は救われました。
会社の同僚や上司に気づかれなくても、神様が見ていてくれているのです。日本的な言い方をすれば「お天道様が見ている」のです。イエス様が「人に見せようとしてはいけない」とおっしゃっているのですから、これでいいのです。神様に照らして自分が正しいと信じることを、誰に何を言われてもやり続ける。やれることをやり続ける。それでいいのです。
だから生きていきましょう。元気でも元気じゃなくても、生きていてください。アイナ・ジ・エンドがそう言っていたので、何とか生きていくことにします。
誰にも言えないことを、ここで言います
いぬがみです(今日は自分のことだけを書きます)。
皆様も生きていれば、めいっぱい頑張っても「やる気がない」と言われた……なんて経験、一度や二度はされていると思います。
私はそうです。一度や二度どころか、ほぼ毎日、そんな感じです。
めいっぱい頑張って、ささやかながら成果をあげたのに、「やる気がない」「全然ダメ」といわれる。
「これ以上、何を頑張ればいいの」「もう無理……」
それを弱音だ泣き言だとおっしゃるのなら、それで結構。手加減ができなくて、限界ギリギリまで頑張っているのに、そう言われたんじゃ、もう、どうしようもありません。それならどうすればいいんですか。死ねばいいですか。そこまで行ってしまいます。
そこで今日は聖書の言葉を思いっきり引用します。新約聖書『マタイによる福音書』6章1節から8節です。
自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。
2 だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
3 あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。
4 それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
5 また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
6 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
7 また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
8 だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。
この言葉に、私の心は救われました。
会社の同僚や上司に気づかれなくても、神様が見ていてくれているのです。日本的な言い方をすれば「お天道様が見ている」のです。イエス様が「人に見せようとしてはいけない」とおっしゃっているのですから、これでいいのです。神様に照らして自分が正しいと信じることを、誰に何を言われてもやり続ける。やれることをやり続ける。それでいいのです。
だから生きていきましょう。元気でも元気じゃなくても、生きていてください。アイナ・ジ・エンドがそう言っていたので、何とか生きていくことにします。
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