こんばんは
1981年に生まれた人
いぬがみです。
旅行に行ったときとか、私はその場所の書店に行きます。そしてたいていの場合、何かしら本を買います。それは移動時間の暇をつぶすため……というわけではなく、旅のお土産のひとつとして、買うんです。そして、その内容は必ずしも「その土地でなければ手に入らない」というものには限りません。
最近、海辺の街・宮古市に行ったとき買ってきたのは、向田邦子の『父の詫び状』でした。別に珍しいものではありません。日本中どこの本屋さんでも手に入る、新装版の文春文庫のそれです。
どういうわけか、その本屋さんには平積みで向田邦子の本がたくさん並べられていました。なんで今、向田邦子なのか? 確かに私も中学時代に国語の教科書で「字のないはがき」を読んだことはありますが……と思い、帯とかほかの本を手に取ってみると、ああ、なるほど。
今年は40年になるんですね。1981年、飛行機事故により亡くなってから。
そして、1日遅れになってしまいましたが、昨日――8月22日が、まさに命日だったのですね。
そういうわけで、私と入れ替わりにこの世を去った(?)向田邦子さんの文章を、初めて、しっかりと向き合いました。教材としてではなくね。
「父の詫び状」は向田邦子さんの初めての随筆集であり、同時に「真打」ともいわれるくらい評価が高いといいます。その内容は、自分が体験した家庭生活の思い出を振り返ったものでありますが、率直に言って非常にカチリとした文体が心地いいです。言葉遣いが丁寧でありながら、文章はシンプルに読み進めていくことができるので、とっても心地いいのです。
買ったときに、お店の名前が入ったカバーもつけてもらいましたし。これは本当に、この日の旅の思い出としてーーいくつもある「出会い」「きっかけ」のひとつとして、後々まで大切にしていきたいと思います。
余談
文章を書いている時点で過去になってしまった家族との生活を振り返ったエッセーとして、寺山修司の『誰が故郷を思わざる』を、いま思い出しました。寺山修司の方はやはり津軽人の気風というか、どうも暗くて陰気な感じが漂うのに対し、向田邦子さんの方は東京人らしく、軽くてさわやかな印象があります。それらを読んでいる私は青森でも東京でもなく岩手県人なので、どっちも違ってどっちもいいんですけどね。テヘッ!
1981年に生まれた人
いぬがみです。
旅行に行ったときとか、私はその場所の書店に行きます。そしてたいていの場合、何かしら本を買います。それは移動時間の暇をつぶすため……というわけではなく、旅のお土産のひとつとして、買うんです。そして、その内容は必ずしも「その土地でなければ手に入らない」というものには限りません。
最近、海辺の街・宮古市に行ったとき買ってきたのは、向田邦子の『父の詫び状』でした。別に珍しいものではありません。日本中どこの本屋さんでも手に入る、新装版の文春文庫のそれです。
どういうわけか、その本屋さんには平積みで向田邦子の本がたくさん並べられていました。なんで今、向田邦子なのか? 確かに私も中学時代に国語の教科書で「字のないはがき」を読んだことはありますが……と思い、帯とかほかの本を手に取ってみると、ああ、なるほど。
今年は40年になるんですね。1981年、飛行機事故により亡くなってから。
そして、1日遅れになってしまいましたが、昨日――8月22日が、まさに命日だったのですね。
そういうわけで、私と入れ替わりにこの世を去った(?)向田邦子さんの文章を、初めて、しっかりと向き合いました。教材としてではなくね。
「父の詫び状」は向田邦子さんの初めての随筆集であり、同時に「真打」ともいわれるくらい評価が高いといいます。その内容は、自分が体験した家庭生活の思い出を振り返ったものでありますが、率直に言って非常にカチリとした文体が心地いいです。言葉遣いが丁寧でありながら、文章はシンプルに読み進めていくことができるので、とっても心地いいのです。
買ったときに、お店の名前が入ったカバーもつけてもらいましたし。これは本当に、この日の旅の思い出としてーーいくつもある「出会い」「きっかけ」のひとつとして、後々まで大切にしていきたいと思います。
余談
文章を書いている時点で過去になってしまった家族との生活を振り返ったエッセーとして、寺山修司の『誰が故郷を思わざる』を、いま思い出しました。寺山修司の方はやはり津軽人の気風というか、どうも暗くて陰気な感じが漂うのに対し、向田邦子さんの方は東京人らしく、軽くてさわやかな印象があります。それらを読んでいる私は青森でも東京でもなく岩手県人なので、どっちも違ってどっちもいいんですけどね。テヘッ!
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