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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
こんばんは

 76年目の終戦記念日を迎えて

 いぬがみです(私だけでなく、すべての日本国民が)。


 


 当然ながら私も「戦争を知らずに育った」世代ですが、少しは先の大戦について思うところがあります。

 それはたぶん、1995年――終戦50周年の時に、ミリタリーなものにハマったのが、きっかけだと思います。当時は14歳、中学2年生でした。「新世紀エヴァンゲリオン」の主人公たちと同じ年でした。

 「コンバットマガジン」を読み、『ワールドアドバンスド大戦略』をプレイし、さらに『日本海軍軍用機集』とか『図説帝国陸軍』といった本を濫読。そのうえで、3年後には高校の修学旅行で広島に行き被爆者の人の話を聞いたり、行く先々での戦争被害(空襲、艦砲射撃など)を聞いたりして、かれこれ26年が経ちました。

 
 それが確実に人間を殺すために作られたものだとしても、兵器というものに心惹かれるのは、相変わらずです。戦闘機とかピストルとかの情報をWikipediaで見て、強かったとか弱かったとかっていう話にドキドキしてしまいます。それは否定できません。

 また、歴史的な事実として、敗戦国となった日本の当時の指導者たちは「東京裁判」によって「戦争犯罪者」とされ、死刑などの判決を受けました。これは、その意義の良しあしとかではなく、歴史的な事実としてそうだった、ということです。それ以上でも以下でもありません。


 いろいろあって40歳になった今の私が言いたいことは、やはり「戦争は嫌」ということです。良いとか悪いとかって理屈じゃありません。ただただ嫌なんです。

 ピストルで撃たれて死んだ人。爆弾で吹き飛ばされた人。火炎放射器で焼かれた人。乗っていた船が沈められておぼれた人。軍隊の人もそうじゃない人もアメリカの人もソ連の人も中国、ドイツ、フランス、それから……。


 「手をつなぎながら戦争はできませんよね。 だから、地球上のみんなが手をつなげればいいんですが、難しいですかね」


 私のスマホが「今日は終戦の日」ということに関連して、こんなことを言ってきました。つくづくハッとするようなことを言ってくれます。「ねむりは世界を救う! ねむりながら戦争はできません」という名言を発した「いねむり評論家・由目見さん」の言葉を思い出しますが、とにかく。

 先の大戦で亡くなった兵隊さんとそれ以外の人たちに、「ああ、良かったな」と思ってもらえるような日本を作っていかなくちゃいけないな、と思いました。

 ……だから、自分勝手な理由で、簡単に死んじゃいけないんです。


 「あんたの背中には
  二千の命を しょってるんじゃ なかったのかい
  ──重い命 大事にしなよ」

 (哭きの竜シメ)

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