こんばんは
あと数時間で、私の30代が終わります
いぬがみです(あしたはアメリカそして私の記念日)。
10年前、2011年。私の30代は、そう3月11日に起こった「東日本大震災」からの復旧そして復興……そんな、激動からのリスタートから始まりました。
それから3年後の2014年。それまで10年来働いてきた会社を辞め、「やりたいことをやってみる」と宣言して、突然それまで一度も経験したことのない接客サービス業に転職。それからの7年は……もうね、本当に、激動の連続でした。
けっこー危ない状況に追い込まれることも、何度も何度もありました。割と今もそれに近いですけど。
でも、悪いことばかりじゃなかった、と思いたいです。何度も何度も「死んじゃえばいいのかな」と思った34歳から39歳364日の現在。「辞めたい」「死にたい」と何度も思い、結局それを実行することができず、苦しみながら生きている現在ですが、いいこともありました。
発達障害とか自閉スペクトラムとかいう、比較的新しい概念によってわかってきた私自身の個性。
この「いぬがみ」は、いわゆる精神障害者のレッテルを貼られている……接客する相手を必要以上にアレしたり、気合を入れてやった上司は二度とナニだったり、ある程度食べたところでハエの死骸が入っていたことに気づいたメシを食わせる青森県十和田市内のパチンコ屋の向かいにある某食堂に料金を払わねーで帰りたかったけど面倒くさかったので素直に料金を払って店を出た後に「二度と来るかボケッ!」と悪態をつくなんてことはしょっちゅうじゃなくて一回だけですよ……と。
ですが、こんな私でも、「もっと生きていたい」という気持ちはあるんです。「どうせ自分には無理だから」と思っていたことが、実現したりすることも、たくさんあるんです。
「信じていれば、夢はかなう」
なんて、Aqoursのちかっちーこと高海千歌ちゃんが伊波杏樹の声で絶叫すれば、私のようなADHDでASDで回避型愛着障害早い話がソシオパス(社会不適合者)でなくても、「わかった、皆まで言うな!」と言って、たとい「そうじゃないんじゃないかな」と内心では思いつつも受け入れる……と思うんですけどね。ここで言っても、太平洋の中の小魚の一匹にも劣る情報の海の中の当ブログでは、どこにも響かないでしょうから。別にこれを全世界に向けて訴えかける! という志はありません。
ただ、それでも私は私の「意志」をもって、生きているわけですから。
……ああ、あと4時間弱で、私の30代が終わります。
私の40代は、超絶大きなビッグウエーブ(重言のメガ盛り)を起こすための準備をしています。ただし今度は、この先「(こんな欠点だらけのぽんこつな)自分が生きていくことができる道は何か」という、きわめて切実な動機に基づいたアレです。
果たしてこれが吉と出るか凶と出るか。それはまだわかりません。
ですが、少なくとも今の私は、信じています。
自分のような問題だらけの人間が生きていくためには、もう、これしか道はないと。
そして、万が一それで失敗したとしても、それに納得できるのなら、「まぁよしとするかな」と思っています。
まあ今回に関しては、そうならないように、メチャクチャ勉強しまくって下積みをしているんですが。先述したように「今後、問題だらけの自分が生きていくための方策」として選択することですから。
そんな私の30代最後の記事。最後はこちらの言葉をお読みいただきながら、お別れしたいと思います。(←知ってるつもり?!の関口宏さんふうオチ)
もし運命が変えられるのなら過ちを犯さずに済むのだろうか?
その時が分かったとして正しい判断を下せるだろうか?
何度やり直したとしても、運命を変える事など不可能なのかもしれない…
しかし、そこに生きた証だけは違うと信じたい。
(タイトー『RAYCRISIS』(PS版) より)
あと数時間で、私の30代が終わります
いぬがみです(あしたはアメリカそして私の記念日)。
10年前、2011年。私の30代は、そう3月11日に起こった「東日本大震災」からの復旧そして復興……そんな、激動からのリスタートから始まりました。
それから3年後の2014年。それまで10年来働いてきた会社を辞め、「やりたいことをやってみる」と宣言して、突然それまで一度も経験したことのない接客サービス業に転職。それからの7年は……もうね、本当に、激動の連続でした。
けっこー危ない状況に追い込まれることも、何度も何度もありました。割と今もそれに近いですけど。
でも、悪いことばかりじゃなかった、と思いたいです。何度も何度も「死んじゃえばいいのかな」と思った34歳から39歳364日の現在。「辞めたい」「死にたい」と何度も思い、結局それを実行することができず、苦しみながら生きている現在ですが、いいこともありました。
発達障害とか自閉スペクトラムとかいう、比較的新しい概念によってわかってきた私自身の個性。
この「いぬがみ」は、いわゆる精神障害者のレッテルを貼られている……接客する相手を必要以上にアレしたり、気合を入れてやった上司は二度とナニだったり、ある程度食べたところでハエの死骸が入っていたことに気づいたメシを食わせる青森県十和田市内のパチンコ屋の向かいにある某食堂に料金を払わねーで帰りたかったけど面倒くさかったので素直に料金を払って店を出た後に「二度と来るかボケッ!」と悪態をつくなんてことはしょっちゅうじゃなくて一回だけですよ……と。
ですが、こんな私でも、「もっと生きていたい」という気持ちはあるんです。「どうせ自分には無理だから」と思っていたことが、実現したりすることも、たくさんあるんです。
「信じていれば、夢はかなう」
なんて、Aqoursのちかっちーこと高海千歌ちゃんが伊波杏樹の声で絶叫すれば、私のようなADHDでASDで回避型愛着障害早い話がソシオパス(社会不適合者)でなくても、「わかった、皆まで言うな!」と言って、たとい「そうじゃないんじゃないかな」と内心では思いつつも受け入れる……と思うんですけどね。ここで言っても、太平洋の中の小魚の一匹にも劣る情報の海の中の当ブログでは、どこにも響かないでしょうから。別にこれを全世界に向けて訴えかける! という志はありません。
ただ、それでも私は私の「意志」をもって、生きているわけですから。
……ああ、あと4時間弱で、私の30代が終わります。
私の40代は、超絶大きなビッグウエーブ(重言のメガ盛り)を起こすための準備をしています。ただし今度は、この先「(こんな欠点だらけのぽんこつな)自分が生きていくことができる道は何か」という、きわめて切実な動機に基づいたアレです。
果たしてこれが吉と出るか凶と出るか。それはまだわかりません。
ですが、少なくとも今の私は、信じています。
自分のような問題だらけの人間が生きていくためには、もう、これしか道はないと。
そして、万が一それで失敗したとしても、それに納得できるのなら、「まぁよしとするかな」と思っています。
まあ今回に関しては、そうならないように、メチャクチャ勉強しまくって下積みをしているんですが。先述したように「今後、問題だらけの自分が生きていくための方策」として選択することですから。
そんな私の30代最後の記事。最後はこちらの言葉をお読みいただきながら、お別れしたいと思います。(←知ってるつもり?!の関口宏さんふうオチ)
もし運命が変えられるのなら過ちを犯さずに済むのだろうか?
その時が分かったとして正しい判断を下せるだろうか?
何度やり直したとしても、運命を変える事など不可能なのかもしれない…
しかし、そこに生きた証だけは違うと信じたい。
(タイトー『RAYCRISIS』(PS版) より)
PR
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック