長いシリーズものの小説で、ある特定の人物をあらわす時、毎回同じ説明描写で読者に「ああ、この人が出てきたんだな」とわからせる技法があるようです。
たとえば私が、高校生のころ異様にハマった門田泰明先生の「黒豹」シリーズで、主人公・黒木豹介(職業:特命武装検事)が出てくると「ロダンの彫刻のような……」という描写が始まり、これが出てくれば街中だろうと首相官邸だろうと昭和基地だろうとラブホテルのシャワー室だろうと「ああ、黒木が出てきたんだな」とわかります。
同様に「餓狼伝」という小説で、なんでもかんでも「太い」という説明で出てくる男がいます。たとえば、
その男は、太かった。眼も。腕も。足も。鼻も。首も。吐く息も。眼光も。……
吐く息とか眼光とかも太いわけで、思わず笑ってしまいます。イメージされるのは当然といいますか、板垣恵介版の松尾象山その人です。このことに関して夢枕先生は、
「うん、太くしちゃった」
と、「ころりと言葉を吐き出した」と思わず夢枕言葉になってしまいますが、そんな感じでした。そしてその描き方が、結果として「松尾象山=絶対無敵」という事実?をどんどん強固なものにしているのかな、という気がしました。
「太い」というのは絶対的な安心感を感じますね。色々な技術論とか精神論とかを、そっくり丸めて「こうすりゃいいんだろ」って、無造作にポンと放り投げるような、豪快さと明るさというか。
こういうのがいいなあ、と思うのです。身近に師匠としてこういう人がいたら、すごくいいだろうなって。まあ、実際にいないから余計にそう思うのかもしれませんが。
というわけで、私も少し太く生きてみようかなと心掛けているところですが、何せ26年間「細く長く」生きて来たために、太く生きるためにはもう26年かけなきゃならないのかな……でも26年経ったら大体、今の松尾館長ぐらいの年齢になってるだろうし……。
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たとえば私が、高校生のころ異様にハマった門田泰明先生の「黒豹」シリーズで、主人公・黒木豹介(職業:特命武装検事)が出てくると「ロダンの彫刻のような……」という描写が始まり、これが出てくれば街中だろうと首相官邸だろうと昭和基地だろうとラブホテルのシャワー室だろうと「ああ、黒木が出てきたんだな」とわかります。
同様に「餓狼伝」という小説で、なんでもかんでも「太い」という説明で出てくる男がいます。たとえば、
その男は、太かった。眼も。腕も。足も。鼻も。首も。吐く息も。眼光も。……
吐く息とか眼光とかも太いわけで、思わず笑ってしまいます。イメージされるのは当然といいますか、板垣恵介版の松尾象山その人です。このことに関して夢枕先生は、
「うん、太くしちゃった」
と、「ころりと言葉を吐き出した」と思わず夢枕言葉になってしまいますが、そんな感じでした。そしてその描き方が、結果として「松尾象山=絶対無敵」という事実?をどんどん強固なものにしているのかな、という気がしました。
「太い」というのは絶対的な安心感を感じますね。色々な技術論とか精神論とかを、そっくり丸めて「こうすりゃいいんだろ」って、無造作にポンと放り投げるような、豪快さと明るさというか。
こういうのがいいなあ、と思うのです。身近に師匠としてこういう人がいたら、すごくいいだろうなって。まあ、実際にいないから余計にそう思うのかもしれませんが。
というわけで、私も少し太く生きてみようかなと心掛けているところですが、何せ26年間「細く長く」生きて来たために、太く生きるためにはもう26年かけなきゃならないのかな……でも26年経ったら大体、今の松尾館長ぐらいの年齢になってるだろうし……。
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