こんばんは
フォーラム八戸で「トキワ荘の青春 デジタルリマスター版」を見ました
いぬがみです。
本作は1995年に劇場公開されたものですから、見ようと思えば見ることは難しくないでしょう。VHSとかLDとかDVDとか、色々なメディアで展開されているから、自宅で容易に見ることができます。
ただ今回は初回公開から25年の時を経て、1995年に市川準監督が言った「人のことを愛おしく思うことが難しい時代」に、またしてもこの国がなりつつあるからか? デジタルリマスター版が――全国で限られた場所でのみ公開されることになりまして。それがたまたま私の現在の主な拠点である十和田市からほど近い(と言っても車で1時間くらいかかりますが)青森県八戸市で公開されるということで、頑張っていってきました。
朝10時からのモーニング枠で、1日1回だけの上映。期間は1週間だけ(明日が最後の上映日となります)。そういうわけで万難を排していってきたわけですが……結論から言いましょう。
ちょっとだけ、泣いちゃいました。
でもそれは、私自身のレベルがこの映画を観る人に求められる最低基準をクリアし、なおかつ私が「物語を自分の良いように取り込んでしまう」特殊なスキルを持っているから、だと思います。……早い話が「感情移入しやすいように自分のメンタルを持っていく」ってことですね。
ただ、今回はそういう特殊な要素はさておいて、たぶん一般論として成立するであろう範囲の話をします。すなわち「この映画を観る人に求められる最低基準」について。
これは、その……そんな極端に難しい話ではないと思うのですが……とりあえずタイトルが「トキワ荘の青春」ですからね。その時点で、「トキワ荘って、こんなところ」っていうぐらいの知識は、あると思うんです。そうじゃなかったらわざわざお金を払って見ないでしょう。
ただよ、ただだ!(新日本プロレスの真壁刀義選手ふうに)
通り一遍さわりをふんわり知っているだけじゃ、ちょっと足りないと思うのです。なぜかといえば、私は(多分ほとんどの人がそうだと思いますが)藤子不二雄氏の視点でのトキワ荘のイメージがすべてですから。……そりゃ~もちろん藤本氏・安孫子氏両名とも映画には登場しますが(ついでに言えば藤本氏を演じるのは若かりし日の阿部サダヲ氏です。……これがまた絶妙にイケメンなんですよね)、この映画ではモックンこと本木雅弘さんが演じる寺田「テラさん」ヒロオ氏が主人公ですから。
だから藤子不二雄が入居する前の時代もちょっぴりだけ描かれますし(この映画で、私は初めて手塚治虫先生が「寺田氏」と呼んでいたのを知りました←って、フィクションかも?)、トキワ荘以外の人間はテラさん主軸で描かれます。トキワ荘のメンバーの作品とは空気が全ッ然違いますけど、つげ義春先生とかが出てきたりね。これはちょっとうれしかったかな。
そして物語は、なんというか……。
……多分これは市川準監督の持ち味なんでしょうね。無理に話を盛り上げたり、観ている人を号泣させようとしたり、といった雰囲気がないんです。むしろ物語とは違う世界にいて、すべてをカメラ越しに「記録」している感じというか。……それは私自身のこれまでの40年弱の「生き方」とも共通するので、とても共鳴共感するのですが……
……それでも、映画の中の展開に対して、逆らえないリアリズムというのでしょうか。やっぱり青春というか、「金はないけど夢はある、仕事はないけどモチベーションはある」若者たちが時流に乗ってどんどん加速していく姿はとてもいいことのはずなんですが、やっぱり少し寂しい感じがしました。
専業アニメーターになるために去った鈴木「ラーメン大好き」伸一氏、あまりにも文芸的過ぎて世間に受け入れられず失踪した森安「キャパキャパ」なおや氏。そして自分の作品が徐々に時流から取り残されていくことを理解しつつも、その時流に乗ることを自らの意志で拒み生きていこうとするテラさん自身……。
「テラさんはいつも、本当のことを僕たちには言ってくれない」
これは森安氏だったかな。若き漫画家たちの前では常に穏やかに微笑み、「よき兄貴分」としてふるまっていました。見ている私たちにも直接的に悩みを口にしたりはしません。それでも私たちは、物語の世界の各人物よりも余計にテラさんの動きを見ることができるので、その心情を推し量ることができます。
じつに、ここがポイントだと思うのです。さっきも書きましたが、とにかく、どれだけ気持ちを込められるか。煽り立てるような展開が全くないので、わずかなセリフや動きで想像を積み上げていかなくちゃいけません。そのためにはある程度の予備知識とか、そういうのも必要になるでしょう。
「トキワ荘の青春」とてもいい映画です。でも誰にでも勧められるわけではありません。結構それなりに難しいです。
でも私は今日、この映画を観られたことを、すごく「良かった」と思っています。
以前『宮川賢のまつぼっくり王国』で、同じ映画でも映画館で見るのと自分の部屋のテレビで見るのとでは「ダイナミックレンジが違う」から感動が違う、ということを聞いたことがあります。だから25年前の作品でも、今回私がわざわざ映画館で見たのは、VHSやLDやDVDで見たのとはワケが違うと思っております。
それ以外にもいろいろあって、とにかく八戸市、すばらしい街です。大・大・大好きです。
まだ生きていることができたら、またブログを更新します。
そうでありたいと願いつつ、今日はこの辺で。
良い夢を。おやすみなさい。
フォーラム八戸で「トキワ荘の青春 デジタルリマスター版」を見ました
いぬがみです。
本作は1995年に劇場公開されたものですから、見ようと思えば見ることは難しくないでしょう。VHSとかLDとかDVDとか、色々なメディアで展開されているから、自宅で容易に見ることができます。
ただ今回は初回公開から25年の時を経て、1995年に市川準監督が言った「人のことを愛おしく思うことが難しい時代」に、またしてもこの国がなりつつあるからか? デジタルリマスター版が――全国で限られた場所でのみ公開されることになりまして。それがたまたま私の現在の主な拠点である十和田市からほど近い(と言っても車で1時間くらいかかりますが)青森県八戸市で公開されるということで、頑張っていってきました。
朝10時からのモーニング枠で、1日1回だけの上映。期間は1週間だけ(明日が最後の上映日となります)。そういうわけで万難を排していってきたわけですが……結論から言いましょう。
ちょっとだけ、泣いちゃいました。
でもそれは、私自身のレベルがこの映画を観る人に求められる最低基準をクリアし、なおかつ私が「物語を自分の良いように取り込んでしまう」特殊なスキルを持っているから、だと思います。……早い話が「感情移入しやすいように自分のメンタルを持っていく」ってことですね。
ただ、今回はそういう特殊な要素はさておいて、たぶん一般論として成立するであろう範囲の話をします。すなわち「この映画を観る人に求められる最低基準」について。
これは、その……そんな極端に難しい話ではないと思うのですが……とりあえずタイトルが「トキワ荘の青春」ですからね。その時点で、「トキワ荘って、こんなところ」っていうぐらいの知識は、あると思うんです。そうじゃなかったらわざわざお金を払って見ないでしょう。
ただよ、ただだ!(新日本プロレスの真壁刀義選手ふうに)
通り一遍さわりをふんわり知っているだけじゃ、ちょっと足りないと思うのです。なぜかといえば、私は(多分ほとんどの人がそうだと思いますが)藤子不二雄氏の視点でのトキワ荘のイメージがすべてですから。……そりゃ~もちろん藤本氏・安孫子氏両名とも映画には登場しますが(ついでに言えば藤本氏を演じるのは若かりし日の阿部サダヲ氏です。……これがまた絶妙にイケメンなんですよね)、この映画ではモックンこと本木雅弘さんが演じる寺田「テラさん」ヒロオ氏が主人公ですから。
だから藤子不二雄が入居する前の時代もちょっぴりだけ描かれますし(この映画で、私は初めて手塚治虫先生が「寺田氏」と呼んでいたのを知りました←って、フィクションかも?)、トキワ荘以外の人間はテラさん主軸で描かれます。トキワ荘のメンバーの作品とは空気が全ッ然違いますけど、つげ義春先生とかが出てきたりね。これはちょっとうれしかったかな。
そして物語は、なんというか……。
……多分これは市川準監督の持ち味なんでしょうね。無理に話を盛り上げたり、観ている人を号泣させようとしたり、といった雰囲気がないんです。むしろ物語とは違う世界にいて、すべてをカメラ越しに「記録」している感じというか。……それは私自身のこれまでの40年弱の「生き方」とも共通するので、とても共鳴共感するのですが……
……それでも、映画の中の展開に対して、逆らえないリアリズムというのでしょうか。やっぱり青春というか、「金はないけど夢はある、仕事はないけどモチベーションはある」若者たちが時流に乗ってどんどん加速していく姿はとてもいいことのはずなんですが、やっぱり少し寂しい感じがしました。
専業アニメーターになるために去った鈴木「ラーメン大好き」伸一氏、あまりにも文芸的過ぎて世間に受け入れられず失踪した森安「キャパキャパ」なおや氏。そして自分の作品が徐々に時流から取り残されていくことを理解しつつも、その時流に乗ることを自らの意志で拒み生きていこうとするテラさん自身……。
「テラさんはいつも、本当のことを僕たちには言ってくれない」
これは森安氏だったかな。若き漫画家たちの前では常に穏やかに微笑み、「よき兄貴分」としてふるまっていました。見ている私たちにも直接的に悩みを口にしたりはしません。それでも私たちは、物語の世界の各人物よりも余計にテラさんの動きを見ることができるので、その心情を推し量ることができます。
じつに、ここがポイントだと思うのです。さっきも書きましたが、とにかく、どれだけ気持ちを込められるか。煽り立てるような展開が全くないので、わずかなセリフや動きで想像を積み上げていかなくちゃいけません。そのためにはある程度の予備知識とか、そういうのも必要になるでしょう。
「トキワ荘の青春」とてもいい映画です。でも誰にでも勧められるわけではありません。結構それなりに難しいです。
でも私は今日、この映画を観られたことを、すごく「良かった」と思っています。
以前『宮川賢のまつぼっくり王国』で、同じ映画でも映画館で見るのと自分の部屋のテレビで見るのとでは「ダイナミックレンジが違う」から感動が違う、ということを聞いたことがあります。だから25年前の作品でも、今回私がわざわざ映画館で見たのは、VHSやLDやDVDで見たのとはワケが違うと思っております。
それ以外にもいろいろあって、とにかく八戸市、すばらしい街です。大・大・大好きです。
まだ生きていることができたら、またブログを更新します。
そうでありたいと願いつつ、今日はこの辺で。
良い夢を。おやすみなさい。
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