忍者ブログ
大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
こんばんは

 ちょっとテンプレートを変えてみました

 いぬがみです(前のだと記事が読みづらかったから)。


 最近は岡田尊司先生の著書を立て続けに読んでいます。『愛着障害』『回避性愛着障害』『愛着障害の克服』『死に至る病』『ADHDの正体』……5冊も読んでしまいました。

 内容的にはまあ、同じようなことではありますけれどね。ただ、やはり一冊の本の中で書けることというのは限りがあると思うので、それぞれの本を読んで、ようやく入り口に立てたのかなって気がします。

 今までの自分。今の自分。これからの自分。

 あんまり難しいことは言いません。ただ、たとい自分が精神障碍者だろうと何だろうと、生きていかなくちゃいけないんですから。死にたいと思っている時間が少しずつ長くなっていましたが、死にきれないのはやっぱり生きたいからですよ。「生きるだけ生きたなら死ぬこともあるだろう」とは前田「慶次郎」利益の言葉ですが、まだ生きるだけ生きていないような気がするんです。

 意地汚いんです。貧乏性なんです。だから、まだまだ生きていたいんです。

 で、生きるからには少しでも良く生きたい。これからは、そういう方向性で頑張ってみたいと思います。


 とりあえず今日は、日本酒を飲みながら書いているので、あまり変な文章になる前に切り上げます。最後にひとつだけ。

 岡田尊司先生の一連の本は、ユングや河合隼雄氏の本を読んだ時と同等以上の「腑に落ちる」感情を覚えました。

 こと心理学といえばフロイトや、一時やたらと流行ったアドラーの理論なのでしょうが、これらは「まあ、そんなもんなのかね」と、あんまり心に響きませんでした。

 ユングや、そのユング心理学の日本における第一人者であった河合隼雄氏の本を読んだときは、すごくシックリ来ました。ともすれば難解だとかオカルトめいているとかで敬遠されるユング心理学ですが、私にとってはフロイトやアドラーの理論よりも腑に落ちました。

 そして、それ以上に『愛着』という概念に基づいた岡田尊司先生の本は、腑に落ちました。不特定多数の人が読める本なのに、まるで自分のことを丁寧に分析されているかのような内容には、完膚なきまでにノックアウトです。それはどん底にまで落ち込むというわけでは無く――いわゆる「カタルシス」というやつ、なのかもしれません。

 それと同時に、岡田尊司先生が「こうすればいい」と提案していることのいくつかは、私が自分で既にやっていることもありました。誰かに話す代わりに文章にして書き出すとか、いわゆる「マインドフルネス」とか。

 だから変な話ですが、「普通の人のようになろう」と思って、今まで自分が心の平安を得るために編み出した(そして、実際に効果を上げていた)ことを「変なことだから」といってやめてしまったのが、今の、バランスが崩れて苦しい思いをしている状況を招いてしまったのかもしれません。

 
 いいんですよ、自分のやり方で。どうあれ生きるために編み出した方法なんですから。ただ、そのやり方で不便を感じたら、そして「もっといい方法」があったら、それに乗り換えればいいんです。

 生き方を変えることは、今までの自分を丸ごと否定することじゃ、ないんです。

拍手[0回]

PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック