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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
こんばんは

 「死に至る病」とは絶望と愛着障害

 いぬがみです。


 ここ数日、絶望的なほど心神耗弱状態でした。そんな状況でも無理して投稿し続けた記事。食欲減退甚だしく、一日一食以下という日々が続きました。腹が減っているのは薄々わかるんですが、どうしても「ご飯を食べよう」という気になれないんですよね。胃がムカムカして。

 それもあってかなくってか、精神的にも極めて不調。抑うつ的な傾向はさらに加速し、客商売でありながら全くお客様を楽しませることができないテンションでした。それがよくないこと、申し訳ないことと言って言われて自分をさいなみ、さいなみさいなみさいなみさいなみ……

 みさいなみ。

 というわけで、仕事が終わってから、眠くないけど布団に入って目を閉じていました。

 起きているとつらくて苦しい。

 目を閉じると、こんな状況になった我が身が悲しい。

 それでも、2時間くらい布団の中で無理やり充電し、久しぶりのビールで何とかギリギリの平常心を取り戻しました。だから、今は少しだけ、大丈夫です。死にたい気持ちに締め上げられているわけではありません。


 そんな中、ふと頭の中にひらめいたのが「死の陰の谷」という言葉。これ自体がwikipediaの一項目となるくらい超有名な旧約聖書詩編23編の言葉です。以下引用。

ダビデの賛歌

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう


 ここでこの御言葉に関する解説を私が加えるのは野暮の極みというか、恐れ多くてできません。その代わりに個人的なことを言います。すなわち一番新しい記憶の中では、公開から20年以上経ってようやく観て、けっこー感動してしまった1997年の映画「タイタニック」の記憶ですね。若かりしレオナルド・ディカプリオ扮するジャックと恋人のバカップr……いや! 若き男女のロマンスもいいんですが、実はそのほかの人たちの振る舞いが、いいんですよね。って、その話をすると長くなるのでぶった切りますが、この映画にも出てきました。

 でも、あえてここは大島渚監督の名作「戦場のメリークリスマス」をあげましょう。この映画でも、後半の非常に印象的なシーンで出てきます。もちろんこちらも、毎年クリスマスシーズンになって、有線で「Merry Christmas Mr.Laurence」が流れるころには、見てしまいます。デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし。名作というか少々カオスな感じもしますが、そこはほら、大島渚監督ですから。


 ともかく、もう少し、生きられそうです。飲みすぎるのはいけないけど、少し飲むのは良いのです。これでも一応、新約聖書は全部読みました。そのうえで、以下の文章を引用させていただきます。

 【これからは、水ばかりを飲まないで、胃のため、また、たびたびのいたみを和らげるために、少量のぶどう酒を用いなさい。】テモテへの手紙第一・5章23節

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