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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
六道輪廻と言う思想があります。いつも瞑想している聖闘士の必殺技にもありますが、いわゆる地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上というやつですか。まあ要するにどこにいたってろくでもないから、早くそのサイクルから抜けましょうね、というのが趣旨なのでしょうが、そのうち畜生界と修羅界というのが私はよくわかりませんでした。

…………。

畜生界というのは畜生の世界であり(当たり前だ)、本能のみに忠実に生きるケダモノの世界と言うことでしょうか。そして修羅界というのは修羅たちの世界であり(……)いつも戦いばかりしている場所なそうで、恐らく「ふは~次にオレの姿を見た瞬間貴様は死ぬ!」とか言う人がいたり、いやそれはどうか。


今日は何かと怒ってばかりでした。思い通りにならない仕事。思い通りに動いてくれない人々。ルールがあるじゃん。どうしてルールどおりにできないのかなぁ。そんなこんなでイライラが募り、ハードな気持ちでギリギリでした。

そうかといって机をひっくり返す、奇声を上げる、ライフルを乱射するなどといったことは出来ないので、慎み深くこらえて一日を終えたのですが、周りは誰も信用せず自分自身を高めていくことに腐心。もはや自分以外はすべて味方ではない、という、何やら自ら発する炎に焦がされるような思いでした。

よくないな、と思うのですが、気を抜くと仕事も失敗してしまう。だからひたすらに自分だけを考え、他人を一切無視して切り離して生きていかなければならない。ひたすらに戦い続ける。……

これは修羅の考えですね。私が格闘家、あるいは一子相伝の暗殺拳の伝承者であればそれもいいのかもしれませんが、人間界に住まう者として、やはり安らぎが欲しい。東照宮遺訓にもありました。怒りは敵と。案外、家康公も短気な方であらせられたという話もありますが、ともあれ忍耐して忍耐して、もう一歩進んで怒りを持たないようにしたいなと思う今日この頃です。

宮沢賢治風に言えば「おれはひとりの修羅なのだ」(詩集「春と修羅」 第1集より)といったところでしょうか。そうすると私が「イツモシズカニワラッテ」いられるようになるには、もう少し時間がかかると言うことでしょうか。賢治先生……。

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