こんばんは。
ソーシャルゲーム? に夢中
いぬがみです(でも無課金)。
古くからのゲーマーであるいぬがみは、もともとこの手の「ソーシャルゲーム」というんでしょうか? 要するに携帯電話とかスマフォンとかがあれば、特別なハードとかソフトとかを買わなくても無料で遊べる――そのうえで、ゲームをより優位に進めるために必要なアイテムなどを日本円で購入することができる――というのが、好きではなかったんですよね。
「お金をかければかけるほど、ゲームを有利に進めるアイテムが手に入る→(現実世界の)お金があればあるほどゲームを有利に進められる→無課金だったら高が知れてる」というイメージがあったからかもしれません。そういうのを社会問題として取り上げる一般メディアを通して、その手のゲームを見ていたかもしれません。あとは、老舗ゲームメーカーがそういったソーシャルゲームに押され、私が愛してやまないアーケードゲームやコンシューマーゲーム(今ならPS4とかニンテンドースイッチとか)が押されているから……という「やっかみ」もあるからかもしれません。
でも、一方で、面白いところもあるんですよね。
正直に申し上げます。実に30年以上のアーケードゲーム・コンシューマゲーム愛好家であることを前提に申し上げます。
いま、『ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル」にドハマり中です。
「どうぶつの森 ポケットキャンプ」は毎日やっています。
最近はやっていませんが「PokemonGO」も大好きです。アプリを削除したのは、前者2つのアプリのアップデートが激しすぎて、私のスマフォンのストレージ容量が厳しくなったためです。もしも残り容量が100ギガあったら、ポケモンGOもやりたいし、ほかにもいろいろとやりたいゲームがあります。
ソーシャルゲーム、面白いです。これだけで何時間でも遊べます。
なんでしょうね。この不思議な魅力というか、「やらなくちゃ」と思ってしまうような魅力。
色々あると思うんですが、ひとつは「ソーシャルなネットワーク」の要素でしょうね。
つまりアレですよ、自分が誰かに働きかけることで、ほかの人が有利にゲームを進められるようなシステムがあるってことですよ。これは「ポケ森」なんかは顕著ですね。
それから、たとえばあるイベントがあって、その全国ランキングにおける自分の順位が、ほぼリアルタイムに反映されるところも面白いですね。これは「スクフェス」ですが。
1981年(昭和56年)生まれ、今年の7月で39歳、いわゆるアラフォー世代のワタクシなどは、この状況を見て、じつに30年前のファミコンディスクシステムにおける「ディスクファックス」というものを原点として思い出します。
これっていうのは……ゲーム内の自分の記録が保存された記憶媒体を、そういう情報を共有できる通信機器があるお店に持っていき、それでアレコレすることによって全国ランキングに参加できるという……21世紀になって20年もたった令和の現代にあっては、とてつもなくまどろっこしい過程を経て、見知らぬ日本全国のプレイヤーとのランキング、すなわち「つながり」を持てた……というものなんですが。
当時そういった「つながり」を持つために必要なもの(ハードウェア、ソフトウェア、そしてランキングに参加できるだけの記録を残すための「技術」)をすべて持ち合わせることができなかった私。そう考えてみると、こうして『スクフェス』で全国ランキング10000位に入るとか入らないとかで血眼になっているのも、ある意味では「夢がかなった」のかもしれません。
課金したくたって、現実問題としてそんなことをする余裕が0.1ミリもない昨今ですが(けっこー深刻なレベルで……だって私の会社は宿泊業ですから)、それでもこういう形で――たといそれが仮想空間の中だけの話であったとしても――
案外こんなことが「生きる希望」に、なってたり、するんですよね。
……いま、この間にカメムシを駆除していましたが、どれだけ息苦しくなるような悪臭を放つとはいえ、私がガムテープでこれを駆除するだけ、いいのかもしれません。いま、全世界が戦っているのは、ガムテープでもなんでもとらえることができない、目に見えない敵と戦っているのですから。悪臭で済むのなら、まだいいのでしょう。
現実問題として(何度も繰り返してすみません)、日本中、いや世界中で、この有史以来の? 困難と闘っている状況です。それがどれだけ深刻で、どれだけ他人事でないことなのかというのは、皆様が誰よりも「自分自身のこととして」認識しておられると思うので、今更私が繰り返すことはしません。
そんな状況で私が言いたいのは、
「それでも、私たちは、生きていかなければならない」
ということです。筋肉少女帯の名曲『踊るダメ人間』の歌詞を引用すると、
「それでも 生きていかざるを得ない」
ということです。
もう、今日書こうとしていた話題から逸脱しているのは承知していますが、それでも。
ソーシャルゲーム? に夢中
いぬがみです(でも無課金)。
古くからのゲーマーであるいぬがみは、もともとこの手の「ソーシャルゲーム」というんでしょうか? 要するに携帯電話とかスマフォンとかがあれば、特別なハードとかソフトとかを買わなくても無料で遊べる――そのうえで、ゲームをより優位に進めるために必要なアイテムなどを日本円で購入することができる――というのが、好きではなかったんですよね。
「お金をかければかけるほど、ゲームを有利に進めるアイテムが手に入る→(現実世界の)お金があればあるほどゲームを有利に進められる→無課金だったら高が知れてる」というイメージがあったからかもしれません。そういうのを社会問題として取り上げる一般メディアを通して、その手のゲームを見ていたかもしれません。あとは、老舗ゲームメーカーがそういったソーシャルゲームに押され、私が愛してやまないアーケードゲームやコンシューマーゲーム(今ならPS4とかニンテンドースイッチとか)が押されているから……という「やっかみ」もあるからかもしれません。
でも、一方で、面白いところもあるんですよね。
正直に申し上げます。実に30年以上のアーケードゲーム・コンシューマゲーム愛好家であることを前提に申し上げます。
いま、『ラブライブ! スクールアイドルフェスティバル」にドハマり中です。
「どうぶつの森 ポケットキャンプ」は毎日やっています。
最近はやっていませんが「PokemonGO」も大好きです。アプリを削除したのは、前者2つのアプリのアップデートが激しすぎて、私のスマフォンのストレージ容量が厳しくなったためです。もしも残り容量が100ギガあったら、ポケモンGOもやりたいし、ほかにもいろいろとやりたいゲームがあります。
ソーシャルゲーム、面白いです。これだけで何時間でも遊べます。
なんでしょうね。この不思議な魅力というか、「やらなくちゃ」と思ってしまうような魅力。
色々あると思うんですが、ひとつは「ソーシャルなネットワーク」の要素でしょうね。
つまりアレですよ、自分が誰かに働きかけることで、ほかの人が有利にゲームを進められるようなシステムがあるってことですよ。これは「ポケ森」なんかは顕著ですね。
それから、たとえばあるイベントがあって、その全国ランキングにおける自分の順位が、ほぼリアルタイムに反映されるところも面白いですね。これは「スクフェス」ですが。
1981年(昭和56年)生まれ、今年の7月で39歳、いわゆるアラフォー世代のワタクシなどは、この状況を見て、じつに30年前のファミコンディスクシステムにおける「ディスクファックス」というものを原点として思い出します。
これっていうのは……ゲーム内の自分の記録が保存された記憶媒体を、そういう情報を共有できる通信機器があるお店に持っていき、それでアレコレすることによって全国ランキングに参加できるという……21世紀になって20年もたった令和の現代にあっては、とてつもなくまどろっこしい過程を経て、見知らぬ日本全国のプレイヤーとのランキング、すなわち「つながり」を持てた……というものなんですが。
当時そういった「つながり」を持つために必要なもの(ハードウェア、ソフトウェア、そしてランキングに参加できるだけの記録を残すための「技術」)をすべて持ち合わせることができなかった私。そう考えてみると、こうして『スクフェス』で全国ランキング10000位に入るとか入らないとかで血眼になっているのも、ある意味では「夢がかなった」のかもしれません。
課金したくたって、現実問題としてそんなことをする余裕が0.1ミリもない昨今ですが(けっこー深刻なレベルで……だって私の会社は宿泊業ですから)、それでもこういう形で――たといそれが仮想空間の中だけの話であったとしても――
案外こんなことが「生きる希望」に、なってたり、するんですよね。
……いま、この間にカメムシを駆除していましたが、どれだけ息苦しくなるような悪臭を放つとはいえ、私がガムテープでこれを駆除するだけ、いいのかもしれません。いま、全世界が戦っているのは、ガムテープでもなんでもとらえることができない、目に見えない敵と戦っているのですから。悪臭で済むのなら、まだいいのでしょう。
現実問題として(何度も繰り返してすみません)、日本中、いや世界中で、この有史以来の? 困難と闘っている状況です。それがどれだけ深刻で、どれだけ他人事でないことなのかというのは、皆様が誰よりも「自分自身のこととして」認識しておられると思うので、今更私が繰り返すことはしません。
そんな状況で私が言いたいのは、
「それでも、私たちは、生きていかなければならない」
ということです。筋肉少女帯の名曲『踊るダメ人間』の歌詞を引用すると、
「それでも 生きていかざるを得ない」
ということです。
もう、今日書こうとしていた話題から逸脱しているのは承知していますが、それでも。
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