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こんばんは。
タイトルは完全に冗談です
いぬがみです(どうか、まじめにとらえないでください)。
間違っていることを書きます。間違っているので後で訂正します。でも、何がどう間違っているのかは今はわかりません。これから先、もっともっと本を読んで知識を深め理解を深めることで訂正が入ることでしょう。
でも、今とりあえず思ったことを書きます。こうやって書いたことが誰かの何かのヒントになるかもしれないし、私自身の考えを外部記憶する意味もあるから。
……あ、さて~……。
と小林完吾さんの物まねで仕切り直しますが(誰もわかんないって)、まあ難しい話ではありません。といって、ワインを飲みながら書いているので、長くて長くてとりとめのない話になる前に、パッと言いたいことを言ってしまいましょう。
とある向精神薬を処方してくれる以外に何もしてくれないかかりつけ精神科医に見切りをつけ、といって今飲んでいる薬は実に効くので最大量を処方してもらい、それを飲んで最大覚醒した状態で河合隼雄先生の『ユング心理学入門』を読み(前回記事参照)、続いてユングが講演した内容を収録した『分析心理学』を読んでいます。
人間の心の問題というのは古今東西、百花繚乱じゃなくて百家争鳴といいますか。「人間とは〇〇である」なんていうことは古代ギリシャの時代からず~っと語られてきているわけですからね。まあ私の場合、色々あって最終的にたどり着いたのはイエス様への信仰心こそ最強最後のカラテ、もとい、心のよりどころとなるわけなんですが、ただ「信じる者は救われる」ってわけじゃないんですよね。いやもちろん信じることは何よりも大事なんですが、聖書には「救いを得るためには~しなさい」っていう話が出てきます。特に〇〇の手紙シリーズといいますか。そう善子じゃなくてヨハネじゃなくて使徒ヨハネの手紙とか(黙示録のヨハネとは違う人です)。いくらAqoursの曲聴いてるからって(ry)
閑話休題。何が大事なのかって話ですよ。つまり「理性」が大事だっていうんです。人間は肉欲、肉の罪にあるけれど、そこから抜け出すためには理性が必要だって話。聖書で読んだか、キリスト教関連の書籍で読んだか……ちょっとあいまいですが、とにかく理性が大事なんです。ええ。あれ、もしかしてヒクソン・グレイシーの本だったかな。まあともかく。
それで、理性を高めるためにはやはり読書が一番。でもって心理学の本なんていうのは、もうこれ以上直接的なアプローチはないわけですよ。
ただしコンビニとかで売ってる「ヤバい心理学」とかって低俗極まりないキャッチーなタイトルの本は論外です。「ケツ拭く紙にもなりゃしねえってのによぉ」と199X年のモヒカン風に切り捨てます。
……
というわけでユングなんですが、どうしてフロイトじゃなくてアドラーじゃなくてユングなんだろう。いや誰に問われたわけでもないんですが、ふと思ったんですよね。というわけでブログの記事をさかのぼって検索してみると(便利ですね)、2013年……そうパソコンが壊れて読書にふけるほかない日々を過ごしているうちに、すっかり天体嗜好症ならぬ読書嗜好症となり、稲垣足穂の代わりに(?)山岡荘八先生の『徳川家康』全26巻! を読んだ時期でしょうか。この時期に『ユング心理学入門』そして『分析心理学』を読んでいたようです。
たぶん、想像ですが、アニマとか何とかっていう言葉があったからじゃないかな。アニマってなんだ。ユング心理学でいうところのウンタラ~という。なるほど、そうか。しかしユング心理学ってぇのは何か難しそうだねえ。それがねおまいさん、河合隼雄先生の『ユング心理学入門』っていうのがあるんだよ。何そうなのかい? そいつぁ千両だ、さっそく読んでみようじゃねえか……と急に江戸弁の落語風にアレンジしてみましたが、ともあれそんなわけで今はユング派です。
さて、そろそろ話が冗長極まりない雰囲気になってきたので、いったん締めくくることにします。
とりあえず今は、ユング心理学で戦っています。自我と自己の違いって何? とか。いや今日はそれをメインで書こうとしていたんだけどなあ。前口上だけで終わっちゃった。とりあえず自分自身をひとつの実験台というかサンプルとして、色々と考えていきます。最終的に目指すのは「自己実現」。ユングが言っていた「それ」を目指して、まだまだ生きていきたいと思います。
次回「自我と自己」。つづく。
タイトルは完全に冗談です
いぬがみです(どうか、まじめにとらえないでください)。
間違っていることを書きます。間違っているので後で訂正します。でも、何がどう間違っているのかは今はわかりません。これから先、もっともっと本を読んで知識を深め理解を深めることで訂正が入ることでしょう。
でも、今とりあえず思ったことを書きます。こうやって書いたことが誰かの何かのヒントになるかもしれないし、私自身の考えを外部記憶する意味もあるから。
……あ、さて~……。
と小林完吾さんの物まねで仕切り直しますが(誰もわかんないって)、まあ難しい話ではありません。といって、ワインを飲みながら書いているので、長くて長くてとりとめのない話になる前に、パッと言いたいことを言ってしまいましょう。
とある向精神薬を処方してくれる以外に何もしてくれないかかりつけ精神科医に見切りをつけ、といって今飲んでいる薬は実に効くので最大量を処方してもらい、それを飲んで最大覚醒した状態で河合隼雄先生の『ユング心理学入門』を読み(前回記事参照)、続いてユングが講演した内容を収録した『分析心理学』を読んでいます。
人間の心の問題というのは古今東西、百花繚乱じゃなくて百家争鳴といいますか。「人間とは〇〇である」なんていうことは古代ギリシャの時代からず~っと語られてきているわけですからね。まあ私の場合、色々あって最終的にたどり着いたのはイエス様への信仰心こそ最強最後のカラテ、もとい、心のよりどころとなるわけなんですが、ただ「信じる者は救われる」ってわけじゃないんですよね。いやもちろん信じることは何よりも大事なんですが、聖書には「救いを得るためには~しなさい」っていう話が出てきます。特に〇〇の手紙シリーズといいますか。そう善子じゃなくてヨハネじゃなくて使徒ヨハネの手紙とか(黙示録のヨハネとは違う人です)。いくらAqoursの曲聴いてるからって(ry)
閑話休題。何が大事なのかって話ですよ。つまり「理性」が大事だっていうんです。人間は肉欲、肉の罪にあるけれど、そこから抜け出すためには理性が必要だって話。聖書で読んだか、キリスト教関連の書籍で読んだか……ちょっとあいまいですが、とにかく理性が大事なんです。ええ。あれ、もしかしてヒクソン・グレイシーの本だったかな。まあともかく。
それで、理性を高めるためにはやはり読書が一番。でもって心理学の本なんていうのは、もうこれ以上直接的なアプローチはないわけですよ。
ただしコンビニとかで売ってる「ヤバい心理学」とかって低俗極まりないキャッチーなタイトルの本は論外です。「ケツ拭く紙にもなりゃしねえってのによぉ」と199X年のモヒカン風に切り捨てます。
……
というわけでユングなんですが、どうしてフロイトじゃなくてアドラーじゃなくてユングなんだろう。いや誰に問われたわけでもないんですが、ふと思ったんですよね。というわけでブログの記事をさかのぼって検索してみると(便利ですね)、2013年……そうパソコンが壊れて読書にふけるほかない日々を過ごしているうちに、すっかり天体嗜好症ならぬ読書嗜好症となり、稲垣足穂の代わりに(?)山岡荘八先生の『徳川家康』全26巻! を読んだ時期でしょうか。この時期に『ユング心理学入門』そして『分析心理学』を読んでいたようです。
たぶん、想像ですが、アニマとか何とかっていう言葉があったからじゃないかな。アニマってなんだ。ユング心理学でいうところのウンタラ~という。なるほど、そうか。しかしユング心理学ってぇのは何か難しそうだねえ。それがねおまいさん、河合隼雄先生の『ユング心理学入門』っていうのがあるんだよ。何そうなのかい? そいつぁ千両だ、さっそく読んでみようじゃねえか……と急に江戸弁の落語風にアレンジしてみましたが、ともあれそんなわけで今はユング派です。
さて、そろそろ話が冗長極まりない雰囲気になってきたので、いったん締めくくることにします。
とりあえず今は、ユング心理学で戦っています。自我と自己の違いって何? とか。いや今日はそれをメインで書こうとしていたんだけどなあ。前口上だけで終わっちゃった。とりあえず自分自身をひとつの実験台というかサンプルとして、色々と考えていきます。最終的に目指すのは「自己実現」。ユングが言っていた「それ」を目指して、まだまだ生きていきたいと思います。
次回「自我と自己」。つづく。
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