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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
(この日記は2007年5月21日に書いたものです)

と、まあそんな感じでこの日の午後に宇都宮を発ち、帰って来たと言う次第です。
とにかく人が多いのがたいへんでしたが、まあそんなことはよろしい。セブンイレブン並みにあちこち動き回ったのもちょっと疲れましたが、その分普段よりも濃い体験をすることができました。

あと、今回色々あって感じたのは「写真」というものについてでした。

写真を撮ることを私はずっと否定してきました。高校のころに2年間ほど写真をやってはきましたが、その時に師匠(顧問)に教え込まれた写真哲学は、あまり一般的ではありませんでした。そして一般的に生きたいと思った私は、自分で写真を撮ることばかりではなく、写真そのものと距離を置こうとして生きてきました。

写真。わざわざ紙に起こさなくても、自分の気持ちでそれを持ち続ければいいじゃないか。精神論ですね。まあ、そんな屁理屈をこねて、写真というものにひたすら興味がない振りをしてきたのですが、それでもまあ、やたらと記念写真をとりました。

そういうの嫌いなんだけれどな。とはいえまあ、私が見るわけじゃないし、別にいいか。ってなもので、撮るとなったら真っ先にカメラの前へ。ただし私という人間は笑顔を作るのが苦手な性分なので、明治時代の記念写真のごとく真顔でバシッと抑えてもらいました。もしちゃんとした表情なら、後で自分が見直しても恥ずかしくないですしね。

……で、何枚か撮られているうちに、この写真の「その後」を思いました。私にとっては何の価値もないものですが、見る人によってはそれからの人生において、ずっとこころの中に残るものになるのだなと。それに、記憶はいずれ風化して消えてしまうけれど、写真はいつまでも残るのだし、きちんと目に見える形で残すのもいいかもしれないな、と。

そして私はあるひとつの結論に至りました。結論? いや、そんなたいした物でもないかな。まあいいか。えっと。……わざわざ言葉にするのも恥ずかしいのですが、あえて断言します。わたし(犬神)はあえて断言する。

家族で撮る写真なんて、これからもう何度もないかもしれないのだし、撮れる時に撮ってもらった方がいいな、と。


同時に私自身も、その大谷の素晴らしさをこころの中にとどめておくのはもちろんですが、よりしっかりとした記録としての写真を残したい。――そしてそこから一歩進んで、その時の感動をさらに美しくしてみたい。そんな思いを大谷の広くて冷たくて静か? で暗い空間でひそかに思いました。

で、どうせなら昔は高校生でお金がなくて買えなかったけれど今ならちょっと無理すりゃ一眼レフも買えるだろう、だとしたらあの時初めて触ったキヤノンがいいかな、いやでもニコンもなかなか渋いよな……などと、形から入る犬神らしく、カメラのことをアレコレ地元に帰ってきてから考え始めこの日にいたるというわけですが、それはそちらで十分に語っているのでおいておきます。



私のように記憶力が非常にはかない人間にとって、カメラというのはどうやら何よりも頼れる機械のようです。これから旅行に行く時は必ずカメラを持参しようと思っています。そして記念写真のたぐいには積極的に撮られたい、撮られに行きたいと思っています。というわけで今回の旅日記を締めくくりたいと思います。……あ、記念写真撮りますか? それじゃあ私も……え? お呼びでない?? そんなぁ(しょぼん)。

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