(この日記は2007年5月21日に書いたものです)
早朝に目を覚まし、午前7時にはさっそく行動開始。今日は日光大権現を参ることに。ここは2回目ですが、寺社仏閣は何度行ってもいいですね。
とりあえず最初に参ったのは大谷観音。石工の街の名にふさわしく、何やらギリシャのごとき? 石造りの家々が立ち並ぶ一方、石造りの廃虚や石造りのつぶれた土産物屋さんとかうち捨てられた「後楽園球場」といううたい文句のある大谷採掘場跡地の看板やらがなんとも言えない寂寥感を漂わせ、私を引き付けてやみません。
前回来た時はまだ工事中だった大谷名物平和観音像とその周りの公園施設もいい感じに出来上がっていました。戦後に作られたというこの巨大な観音像は平和を祈念して作られたそうで、岩手県釜石市や宮城県仙台市でもなんか見たことあるような気がしますが、まあとにかくでかいものはそれだけで引きつけられてしまいます。
その一方で古い方、真・大谷観音とでも言いましょうか。こちらは昭和の石工ではなく弘法大師が壁に彫ったというバーミヤンの石仏にも相当するグレートな石仏です。
でかいし、よく見るとすごく細かく彫られているのがわかりました。とにかくすごい昔にこれだけのものを作ることができたなんて……と、ただただひたすらに感動しました。みうらじゅん氏や土門拳氏には遠く及ばないものの、私もまたどうやら仏に惹かれているようです。
それから、大谷の採掘場跡地へ。ここは私のもっともお気に入りな場所です。性格にふさわしく? 暗くてひんやりしたところが好きで、なおかつ大きいものや広いものが大好きなので、こういった場所はとてもいいのです。
我が県にも龍泉洞などの自然洞窟があり、そちらの方が風情があるじゃん、という向きもあろうかと思いますが、むしろ私はこの人工的に作られた地下空間と言うのの方がこころ惹かれるようです。今から数十年前に、80キロもの石を地下から背負って持ってきた人々のタフネスさはひたすら驚嘆に値します。
あとは何やらオブジェというか、2枚羽のプロペラが墓標のように突き刺さっているのも一興でした。後述しますが、この時私のD703iのカメラの不甲斐なさのために、ある決心をしたのでした。
そのあとは世界遺産・日光東照宮へ。前回は完全なる平日だったので、せいぜいパックツアーの団体客がちらほらいたぐらいでしたが、この日はその真逆とも言うべき日にちであったため、まさに壮絶な混み具合でした。壮絶な、といっても埼玉県浦安市の舶来テーマパークなんぞとは違い、「こないだよりは人が多いなー」ぐらいであって、名物はとくと堪能させていただいたわけですが。
家光公の霊廟を序盤に見て、二荒山神社を見て、お菓子占いをして(結果は「普通」……)、眠り猫に挨拶をしつつ家康公のお墓参り。そう、あの尋常じゃなく長い長い長い階段を上っていく……。
……階段を上って高いところに行くということは、つまりそれだけ俗界から遠いところに行くことなんだなと思いました。眼下には人々の群れ。徐々にそんな喧燥から離れ(厳密には、私と同じように登ってる人がたくさんいたので、シーンと静まり返った、というわけではないのですが)、特別な領域に近づいているのだなと思うと胸が高鳴りました。決して階段の登り過ぎで疲れたからではない、と言っておきましょう。
それから、龍の鳴く部屋。つくづく色々なことを考えられて、作られているのだなと思いました。すごいぜ江戸。
江戸?――そうそう、かの有名なテーマパーク「日光江戸村」にも行ってきました。洋装の我々はさながらオランダ人と言ったところでしょうか? ともあれ町並みからそこに住まう人たちから完全に江戸人であり、私たちも一時、ちょっとした江戸人な気分を味わうことができたのでした。
惜しむらくは時間的・機会的な問題で芝居小屋に入れなかったことでしょうか。やはり色々と見られるものは見たかったのですが……うーん、それでも屋外ステージでの柳生十兵衛の大立ち回りが見られたのはせめてものなんとやら、といったところでしょうか。
早朝に目を覚まし、午前7時にはさっそく行動開始。今日は日光大権現を参ることに。ここは2回目ですが、寺社仏閣は何度行ってもいいですね。
とりあえず最初に参ったのは大谷観音。石工の街の名にふさわしく、何やらギリシャのごとき? 石造りの家々が立ち並ぶ一方、石造りの廃虚や石造りのつぶれた土産物屋さんとかうち捨てられた「後楽園球場」といううたい文句のある大谷採掘場跡地の看板やらがなんとも言えない寂寥感を漂わせ、私を引き付けてやみません。
前回来た時はまだ工事中だった大谷名物平和観音像とその周りの公園施設もいい感じに出来上がっていました。戦後に作られたというこの巨大な観音像は平和を祈念して作られたそうで、岩手県釜石市や宮城県仙台市でもなんか見たことあるような気がしますが、まあとにかくでかいものはそれだけで引きつけられてしまいます。
その一方で古い方、真・大谷観音とでも言いましょうか。こちらは昭和の石工ではなく弘法大師が壁に彫ったというバーミヤンの石仏にも相当するグレートな石仏です。
でかいし、よく見るとすごく細かく彫られているのがわかりました。とにかくすごい昔にこれだけのものを作ることができたなんて……と、ただただひたすらに感動しました。みうらじゅん氏や土門拳氏には遠く及ばないものの、私もまたどうやら仏に惹かれているようです。
それから、大谷の採掘場跡地へ。ここは私のもっともお気に入りな場所です。性格にふさわしく? 暗くてひんやりしたところが好きで、なおかつ大きいものや広いものが大好きなので、こういった場所はとてもいいのです。
我が県にも龍泉洞などの自然洞窟があり、そちらの方が風情があるじゃん、という向きもあろうかと思いますが、むしろ私はこの人工的に作られた地下空間と言うのの方がこころ惹かれるようです。今から数十年前に、80キロもの石を地下から背負って持ってきた人々のタフネスさはひたすら驚嘆に値します。
あとは何やらオブジェというか、2枚羽のプロペラが墓標のように突き刺さっているのも一興でした。後述しますが、この時私のD703iのカメラの不甲斐なさのために、ある決心をしたのでした。
そのあとは世界遺産・日光東照宮へ。前回は完全なる平日だったので、せいぜいパックツアーの団体客がちらほらいたぐらいでしたが、この日はその真逆とも言うべき日にちであったため、まさに壮絶な混み具合でした。壮絶な、といっても埼玉県浦安市の舶来テーマパークなんぞとは違い、「こないだよりは人が多いなー」ぐらいであって、名物はとくと堪能させていただいたわけですが。
家光公の霊廟を序盤に見て、二荒山神社を見て、お菓子占いをして(結果は「普通」……)、眠り猫に挨拶をしつつ家康公のお墓参り。そう、あの尋常じゃなく長い長い長い階段を上っていく……。
……階段を上って高いところに行くということは、つまりそれだけ俗界から遠いところに行くことなんだなと思いました。眼下には人々の群れ。徐々にそんな喧燥から離れ(厳密には、私と同じように登ってる人がたくさんいたので、シーンと静まり返った、というわけではないのですが)、特別な領域に近づいているのだなと思うと胸が高鳴りました。決して階段の登り過ぎで疲れたからではない、と言っておきましょう。
それから、龍の鳴く部屋。つくづく色々なことを考えられて、作られているのだなと思いました。すごいぜ江戸。
江戸?――そうそう、かの有名なテーマパーク「日光江戸村」にも行ってきました。洋装の我々はさながらオランダ人と言ったところでしょうか? ともあれ町並みからそこに住まう人たちから完全に江戸人であり、私たちも一時、ちょっとした江戸人な気分を味わうことができたのでした。
惜しむらくは時間的・機会的な問題で芝居小屋に入れなかったことでしょうか。やはり色々と見られるものは見たかったのですが……うーん、それでも屋外ステージでの柳生十兵衛の大立ち回りが見られたのはせめてものなんとやら、といったところでしょうか。
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