ついに、『徳川家康』全26巻、読了しました。
終盤、病床にあった大御所は『生命の樹』を見た、と側近に話しました。まあ本多正純なんかは「ハァ?」と内心思っていたようですが、とりあえず私は大真面目にそのことを書きます。
それは大地から太陽に向けてのびているもので、一人一本というわけではなく、あらゆる生命が現世を去り、この樹に戻っていくための宿り木なのだそうです。
枝の一番下にいたのは今川義元。次にいたのが総見公(織田信長)。豊太閤も武田信玄も柳生石舟斎もみーんなこの樹にいたんだそうです。この世を去るということは、みんなそこに帰るだけだから……という話なんです。
もう25冊以上読み続けて、もはや人生観すら大きく影響を受けている私ですからね。大御所の最後の言葉にまたもや落涙です。この世を去った後どこに行くのか? という話は古今東西色々とありますが、この『生命の樹』という考え方が非常に気に入りました。
さかのぼれば応仁の乱あたりからでしょうか。この国が乱れに乱れていた戦国乱世を終わらせた徳川家康という人物。ともすれば権謀術数の達人・狸ジジイとさげすまれ、真田幸村が主人公のゲームではラスボス扱いをされる大御所ですが、たといこれが山岡荘八先生の創りあげたキャラクタだとしても、考えを改めなければなりますまい。
宣言します。いぬがみは、徳川家康公が大好きです。
最終巻で、また山岡荘八先生自身の言葉に触れることが出来ました。「あとがき」です。
準備期間を合わせると山岡先生40歳の時から60歳の時まで足掛け20年の作業。四百字詰め原稿用紙17400枚。それだけの歳月と分量で切々と訴えかけたのは、あくまでも『平和』への願いだったといいます。
そしてそれを実現するためには、「所有欲」を抑えることが大事である、といいます。アレも欲しい、これも欲しい、もっと欲しいもっともっと欲しい・・・と、これはブルーハーツの歌ですが、そういうところから強盗や殺人や戦争が起きるのだ、と。
ただし、それは何もかもを捨てて裸になれという意味ではない、といいます。食べるものや着るものを手元においておくのはいいけれど、それらに対して『自分のもの』ではなく『自分が預かっているもの』という気持ちで生きろ、という意味だそうです。
まあ、その哲学を私の文章力で表現することは到底無理なので、この言葉を額面どおりには受け取らないでください。というよりも、多分こういう考え方って、今時はやらないですよね。だからいいです。忘れてもらっても結構です。
でも、私はその思想を頑張って突き詰めていきたいと思います。これまでのことを反省し、これからの人生に活かしていく。それが、私が家康公を敬愛することの証明になると思うから。
・・・では、さしあたって盛岡市立図書館からの預かり物である『徳川家康』を返してこようと思います。
終盤、病床にあった大御所は『生命の樹』を見た、と側近に話しました。まあ本多正純なんかは「ハァ?」と内心思っていたようですが、とりあえず私は大真面目にそのことを書きます。
それは大地から太陽に向けてのびているもので、一人一本というわけではなく、あらゆる生命が現世を去り、この樹に戻っていくための宿り木なのだそうです。
枝の一番下にいたのは今川義元。次にいたのが総見公(織田信長)。豊太閤も武田信玄も柳生石舟斎もみーんなこの樹にいたんだそうです。この世を去るということは、みんなそこに帰るだけだから……という話なんです。
もう25冊以上読み続けて、もはや人生観すら大きく影響を受けている私ですからね。大御所の最後の言葉にまたもや落涙です。この世を去った後どこに行くのか? という話は古今東西色々とありますが、この『生命の樹』という考え方が非常に気に入りました。
さかのぼれば応仁の乱あたりからでしょうか。この国が乱れに乱れていた戦国乱世を終わらせた徳川家康という人物。ともすれば権謀術数の達人・狸ジジイとさげすまれ、真田幸村が主人公のゲームではラスボス扱いをされる大御所ですが、たといこれが山岡荘八先生の創りあげたキャラクタだとしても、考えを改めなければなりますまい。
宣言します。いぬがみは、徳川家康公が大好きです。
最終巻で、また山岡荘八先生自身の言葉に触れることが出来ました。「あとがき」です。
準備期間を合わせると山岡先生40歳の時から60歳の時まで足掛け20年の作業。四百字詰め原稿用紙17400枚。それだけの歳月と分量で切々と訴えかけたのは、あくまでも『平和』への願いだったといいます。
そしてそれを実現するためには、「所有欲」を抑えることが大事である、といいます。アレも欲しい、これも欲しい、もっと欲しいもっともっと欲しい・・・と、これはブルーハーツの歌ですが、そういうところから強盗や殺人や戦争が起きるのだ、と。
ただし、それは何もかもを捨てて裸になれという意味ではない、といいます。食べるものや着るものを手元においておくのはいいけれど、それらに対して『自分のもの』ではなく『自分が預かっているもの』という気持ちで生きろ、という意味だそうです。
まあ、その哲学を私の文章力で表現することは到底無理なので、この言葉を額面どおりには受け取らないでください。というよりも、多分こういう考え方って、今時はやらないですよね。だからいいです。忘れてもらっても結構です。
でも、私はその思想を頑張って突き詰めていきたいと思います。これまでのことを反省し、これからの人生に活かしていく。それが、私が家康公を敬愛することの証明になると思うから。
・・・では、さしあたって盛岡市立図書館からの預かり物である『徳川家康』を返してこようと思います。
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