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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
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鹿児島県民の方には申し訳ありませんが「薩摩の国は修羅の国」というイメージがあります。戦国期から幕末期まで、島津氏をリーダーとする猛将・剛将ぞろいの、戦闘民族の国というイメージ。武力があるだけじゃなく時流を見極める眼もあるから、幕府側だろうと新政府側だろうと状況に応じて躊躇なくクルクルと立場を変える臨機応変さ。義理人情で壊滅的被害を受けた南部藩とは大違いです。まあ、それは200年以上あとの時代のことですが。

……そう思っていたのですが、わが東北にも修羅がいました。伊達陸奥守政宗です。

若い頃から野心むき出しで暴れまくり、何度か命を落としかけつつも東北最強の大名として君臨した政宗公。山岡荘八先生の世界では、とにかく常人離れしたスケールで物を考える謎の人物といった印象です。

目的のためなら誰彼ともなく手を組むし、切支丹に改宗(したフリ)だってする。そして太平洋を横断してヨーロッパに使者を遣わし、外国から大艦隊を呼びつけて大乱を引き起こそうとするフシもあります。正直なところ、こうして書き出してみたものの、果たしてこれでいいのかどうか? ちょっとわかりません。そのくらいの野心家なのです。


25巻では、その伊達家の基本理念みたいなものが少し語られていました。内容をザックリ私の言葉で書き出すと、

「政宗に敵味方の考え方はない。たとえ味方であっても、それが大軍を乱し敗北につながるようであれば忠節が立たないので、躊躇なく討ち取る」

ということなんです。徹底した実力主義というか、修羅の国もかくやと言わんばかりの武の掟があるのです。これほどまでに冷徹な思想は総見公(織田信長)以来か、はたまたそれ以上か……という印象です。

果たしてその政宗&忠輝(※)のコンビに大御所はどう立ち向かうのか? そして、どういう思いを遺して、この世を去るのか? 次回、最終巻!

(※ 大御所の、たくさんいる息子の一人。その才気煥発ぶりはかつての信康をホーフツとさせるが、それゆえ我が強く、大御所のことをオヤジ呼ばわりする無法者)

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