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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
このところ、漫画『湾岸ミッドナイト』をよく読んでいます。元々大好きな漫画だったし、ゲームのほうの『湾岸ミッドナイト』をやっているから、というのもあるのですが・・・そこで読んだ言葉が、最近になって妙に心に響くんです。

 人によって「変なオッサンが真夜中にワケわかんないことをぼやいている」と言われたり「名言の宝庫」と言われたり、評価がはっきり分かれる物語であると思いますが、私は後者のほうです。すごくいい言葉ばかりです。まだ20代の頃からたくさんの言葉をもらい、それを胸に生きてきました。

 初めてその言葉に触れた時も感動したはずなんですが、最近これを読み返したら、その時の何倍も心に響いた。それは多分、私自身が色々なことを経験して、体験して、実感を伴ったからなのかもしれません。……もちろん真夜中の首都高を時速300キロで走ったとか、そういう意味じゃなくてね(ゲーム上ではそれをやっていますが)。もっと広い意味で、社会人として色々なことを経験したという意味です。

 そういう経験を踏まえて思ったことは、

 「どんなにいい言葉でも、それをモノにするためには、受け止める側もある程度のレベルが必要」

 だということ。どんなにいい言葉でも、心に響かなければ、ただの言葉以上のものにはならないと思うんです。……もちろん、その言葉を大事に取っておけば、いつか真に名言・金言として生きてくると思うので、名言集や名言まとめサイトなんかを活用するのも結構だと思いますが……ただ、今の私にはそういうのは、いらないかな。


 いま、私はこのブログを、できるだけ自分の言葉で書こうとしています。

 コミックを片手に何かいい言葉を拾って引用したり、あるいはコピペ改変したりして載せれば、それなりに面白い文章が書けるかもしれませんが・・・何となくそういうの、やりたくないんですよね。やっぱり、誰かの言葉を借りてくるだけじゃ、なんか言葉が上滑りして気持ちをうまく表せないから。

 正直、すごく難しいです。そのあたりのことを今読んでいるユングの分析心理学では解説しているんですが、これを引用しながら説明することはできません。ただ読むだけでも中身をちゃんと理解できないのに、それを誰かに説明するなんて無理です。

 そういう前提で、少し思ったことを書きます。たぶん私が今、意識できる『私』というのは、全体的な『私』の中の、ほんの一部分であり、それしか認識できないからなのかもしれません。それなのに、全体的な『私』を捉えようとしているから、こんなに苦労しているのかもしれません。

 これから先も、色々な言葉を書くと思います。でも、それが私のすべてだとは思わないでください。思想がコロコロ変わるんじゃなく、その時に意識できなかった別な私が出てくるだけですから。


 どうやら現在読んでいる『分析心理学』を読み終えるのは来年に持ち越しになりそうです。さらにそのあとは『自我と無意識』を読もうと思っています。そのため、来年はもしかしたら、なんか妙ちくりんなブログになってしまうかもしれませんが、そうなったらそうなったでお笑いください。

 では皆様、また来年。

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