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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
巨星堕つ。

 ・・・『徳川家康』15冊目、読み終わりました。

 これはあくまでも、その時代から400年以上経った21世紀に、まったくかかわりのない立場から、しかも山岡荘八先生の小説を読むという形で触れた上での感想でありますが、やはりどこまでも豊臣秀吉と言う人は・・・不世出の人であったと思うのです。

 清洲の庶民レベルから這い上がり、天下人まで上り詰めたのも秀吉であれば、無謀な海外出兵や女子供にも容赦のない処断の嵐を吹き荒らしたのも秀吉。単純に好き好き大好きとは言えませんが、猿太閤とか老醜老害とかと卑下することもできません。

 ひたすらに天下のためと駆け抜けた秀吉公でさえ、晩年には秀頼のこと、ひいては自分の家のことを思い煩うような、ひとりの父親になってしまうのだ・・・と、しみじみ感じたのでした。

 やはり日吉丸改め木下藤吉郎改め羽柴秀吉改め豊臣秀吉。すばらしい人であります。

 
 その一方で、何かと重苦しい・・・いや、重厚な雰囲気を貫く本編にあって、からりとさわやかな新風を吹き込むような男がいます。その名は納屋助左衛門・・・通称『呂宋(ルソン)助左衛門』です。太閤立志伝5でも主人公の一人としてプレイすることができる堺の豪商です。

 基本的にこの物語は内府家康公が(三方が原の戦いで大敗北を喫したあたりから)思慮深く慎重な性格であるため、血気にはやる家臣をじっくり諭すような場面が多く、ひいては物語自体もどっしりとした雰囲気なのですが、そんな中にあってこの男は豪放磊落を絵に描いたような性格をしています。

 何せこの男の夢は、海外に『日本人町』を作ること。もちろんそれは軍事的な侵略拠点ではなく商業拠点としての日本人町です。そして平和な時代が訪れた後に職にあぶれた浪人たちを片っ端から雇用しようという野望を抱いているんですね。そして、そのためにルソンなどと海外貿易を繰り返して巨万の富を築いている・・・というわけです。

 まあ、石田治部どのあたりはその大野望が理解できないのか、はたまたやっかんでいるだけなのかわかりませんが、難癖をつけてひっとらえようとします。ところがそこでも一歩先をいっているのがこの男で、その時には大事なものをすべて船に乗せ、持ち出せないもの(聚楽第もかくやといわんばかりの豪邸など)は処分して、役人が手入れに行った時にはもぬけの殻だった・・・というわけです。

  痛快この上ない、と言わざるを得ません。史実の助左衛門は後にルソンからカンボジアに渡り、そこでまたひと財産築いたと言われますが、ある意味ではどの戦国武将よりも豪快でビッグな生き方であったと思います。本当に、気持ちのいい男でした。・・・って、この後もしかしたら、出てくるかもしれませんが。

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