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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。
 何とか読み終えました、『浜村渚の計算ノート』。

 前半分を読んだのが11月で、それから多少ブランクがあいてしまいましたが、困ったことにその間に私の心身が著しく疲弊。私が大苦手な数学に異様なほど明るい14歳少女の言葉に若干の苛立ちを覚えてしまったのです。

 もちろん、そのたんびに「そうじゃないだろう」と自分を戒めました。感情と理性のバランスがちゃんと取れないために、前のように素直に受け入れられないだけなんだ。そう言い聞かせて、何とか読みました。

 それでも、それでもフィリポビッチ……いやそれはミルコ・クロコップだ……フィボナッチ数の講釈を14歳の少女に得意に語られると、それを知らなかったことゆえのコンプレックスとか何とかが渦巻き、穏やかならざる感情がこみあげてきます。

 それがあふれる直前、感情はくるりと方向転換。もしも、自分がこの世界にいたなら、自分もまた14歳の少女に頭が上がらず、何も出来ない、何も解決することが出来ない、ただのバカボンクラな30歳に過ぎないのだろう……と、なんだか悲しい気持ちになってしまったのです。

 完全に、心がねじけていたのです。


 それでも、それでも、それでも。

 数学を捨てた後ろめたさとコンプレックスにさいなまれるのも浜村渚が14歳だからですが、そんなことを生み出す心を救ってくれたのも、浜村渚が14歳だからなのです。まるで、作中に出てくる殺人事件の犯人たちと同様に。

 確かに浜村渚は大学の教授も目を見張るような数学的知識と思考をすることが出来ますが、あくまでもパーソナリティは14歳の少女。天真爛漫でピュアピュアな発想から発せられる言葉が、多少なりともねじけた犯人たちの心をふっと和ませます。それはきっと、彼女が14歳だから、女の子だからなんだろう、と思います。

 うん、いいですよ、浜村渚。偏見もコダワリもなく、ただ素直に数学が好きな少女。いいじゃないですか。余計な味がついていないから、私も数学の面白さを少しだけ、味わうことができた気がします。

 まだ買ったけど読んでいない本があり、さらにこないだ書店に行ったら読んでみたい本が出てきたので、「2さつめ」「3さつめ」と続けざまに購読するわけにはいきませんが……ねじけた心が、かなり修復されたような、そんな気がします。ここは素直にありがとうを言いたい気分です。でもって、また心が落ち着いたら、新しい数学の知識を見せてほしいなと、そう思うのです。頼むよ。

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