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大好きなアートと文芸関係、それに仙台を中心に私が見た日常のことを書いています。時々頑張って大体のんびり。もさらくさらの18年……。

 『はみだし空手』(東孝・著)を再読しました。1回目に読んだ時は私自身の気持ちがきちんと定まっていなかったので、ちゃんと内容を受け止めきれなかったのです。

 これは現在『大道塾』という武道団体を運営している東孝(あずま・たかし)塾長が今から30年程前に著した自伝です。ヤンチャ盛りの小学6年生の時に中学の番長にぶちのめされた話から始まり、学生時代、自衛隊時代、そして極真空手時代を経て……といった具合に進んでいきます。

 書き方としては非常に軽いというか……軽くはないんですが、堅苦しくはありません。くだけた感じの文章で、サクサク読めるのですが、その内容は凄絶というか破天荒というか。やっぱり強さで名をあげる人は違うな! と身震いしてしまうような、そんな感じだったのです。



 東塾長のスゴイ! と思ったところは、「文武両道」を目指して空手の修行に打ち込む一方、大学の勉強とかも頑張っていた、ということ。東塾長にしてみれば、空手のアメリカ遠征も英語の勉強を兼ねたものだったそうです(少なくとも本人はそのつもりだった、と)。

 その一方で色々な失敗談も多数盛り込まれています。特に厳しいのは、そのアメリカ遠征の中で先輩ともども大遅刻をしでかしてしまった日のこと。

 その日は何もなかったのですが、翌日の稽古では腕立て伏せ250回をさせられ、さらに上半身裸にさせられたあと、ひとつの三戦の型をひとつやるごとに竹刀でビッシビシ叩かれたのだそうです。これは連帯責任というか、他の4人の先輩方も同様だったそうですが、やはりその原因となった東塾長と先輩は特に丁寧に竹刀をいただいたそうです。おろしたての竹刀がホウキのようになったというから、どれほどのものか。

 オッソロシー、と思うのです。どれほど痛いのか、想像がつきません。……まあ、そこにいるのは私のようなドシロウトではなく、全日本大会で優秀な成績を収めた精鋭たちですからね。そのくらいなら大丈夫なんでしょう。大丈夫なんでしょうけど、やっぱり厳しいものです。


 そのあとは、芦原英幸先生の秘蔵っ子・二宮城光選手(現円心会館館長)とのライバルストーリー。芦原先生の本でもそのあたりのことはチラッと触れられていましたが、こっちはその当事者の言葉ですからね。当然、その時の心理状況とか、そういうのが詳しく書かれていました。

 大会となれば、勝負の世界ですからね。ケガをしてようがなんだろうが、勝ちは勝ちで負けは負け。負けてしまえばそれを黙って受け入れるしかないという、厳しい世界なのだということをヒシヒシと感じました。併録された当時の日記を読むと、特にそう思います。


 やがて二宮選手がデンバーに行き、さらに極真会館を師匠の芦原先生ともども脱退(このあたりの経緯は『芦原英幸 魂の言葉』などを参照のこと)し、東塾長もより実戦的な戦いを求めて自流派を起こすことになります。それが今の『大道塾』です。

 この時も色々と政治的な難しさ、ドラマがあったようですが、そのあたりは現在、大道塾の公式ホームページで公開されているWebマンガとかをご覧いただければと思います。いずれ、順風満帆という言葉とは無縁の、大波乱の前半生を軽い調子で読める快著といえるでしょう。


  *


 そういえば、平直行『格闘技のおもちゃ箱』でも、このあたりのことが書かれていました。いわく、他の人たちには「今度、極真から離れるから、もしも抜けたい人は抜けてくれ」と言ったそうですが、平さんに対しては「今度極真から離れるから、ここの刺繍屋に行って、道着のマークを変えてもらって来い」と言われたそうです。

 当たり前のようにそういわれる信頼関係があったんでしょうが、やっぱり面白いなあと思うのです。


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 東塾長のスゴイ! と思ったところは、「文武両道」を目指して空手の修行に打ち込む一方、大学の勉強とかも頑張っていた、ということ。東塾長にしてみれば、空手のアメリカ遠征も英語の勉強を兼ねたものだったそうです(少なくとも本人はそのつもりだった、と)。

 その一方で色々な失敗談も多数盛り込まれています。特に厳しいのは、そのアメリカ遠征の中で先輩ともども大遅刻をしでかしてしまった日のこと。

 その日は何もなかったのですが、翌日の稽古では腕立て伏せ250回をさせられ、さらに上半身裸にさせられたあと、ひとつの三戦の型をひとつやるごとに竹刀でビッシビシ叩かれたのだそうです。これは連帯責任というか、他の4人の先輩方も同様だったそうですが、やはりその原因となった東塾長と先輩は特に丁寧に竹刀をいただいたそうです。おろしたての竹刀がホウキのようになったというから、どれほどのものか。

 オッソロシー、と思うのです。どれほど痛いのか、想像がつきません。……まあ、そこにいるのは私のようなドシロウトではなく、全日本大会で優秀な成績を収めた精鋭たちですからね。そのくらいなら大丈夫なんでしょう。大丈夫なんでしょうけど、やっぱり厳しいものです。


 そのあとは、芦原英幸先生の秘蔵っ子・二宮城光選手(現円心会館館長)とのライバルストーリー。芦原先生の本でもそのあたりのことはチラッと触れられていましたが、こっちはその当事者の言葉ですからね。当然、その時の心理状況とか、そういうのが詳しく書かれていました。

 大会となれば、勝負の世界ですからね。ケガをしてようがなんだろうが、勝ちは勝ちで負けは負け。負けてしまえばそれを黙って受け入れるしかないという、厳しい世界なのだということをヒシヒシと感じました。併録された当時の日記を読むと、特にそう思います。


 やがて二宮選手がデンバーに行き、さらに極真会館を師匠の芦原先生ともども脱退(このあたりの経緯は『芦原英幸 魂の言葉』などを参照のこと)し、東塾長もより実戦的な戦いを求めて自流派を起こすことになります。それが今の『大道塾』です。

 この時も色々と政治的な難しさ、ドラマがあったようですが、そのあたりは現在、大道塾の公式ホームページで公開されているWebマンガとかをご覧いただければと思います。いずれ、順風満帆という言葉とは無縁の、大波乱の前半生を軽い調子で読める快著といえるでしょう。


  *


 そういえば、平直行『格闘技のおもちゃ箱』でも、このあたりのことが書かれていました。いわく、他の人たちには「今度、極真から離れるから、もしも抜けたい人は抜けてくれ」と言ったそうですが、平さんに対しては「今度極真から離れるから、ここの刺繍屋に行って、道着のマークを変えてもらって来い」と言われたそうです。

 当たり前のようにそういわれる信頼関係があったんでしょうが、やっぱり面白いなあと思うのです。


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