私の家から花巻市までは、1時間そこそこかかるので、決して近い距離ではありません。しかしながら、それでも時々行きたくなるのは、やはり宮澤賢治先生ゆかりの地だから。それほど入れ込んでいるわけではないのですが、そのロマンチシズムに触れたい時、つい頑張って行ってしまうのです。
あまり時間もなかったので、昨日行ったところは『イギリス海岸』。どこがどうイギリスなのかというと、『北上川と支流猿ヶ石川の合流点から南にかけての北上川西岸に、イギリスのドーバー海峡に面した白亜の海岸を連想させる泥岩層が露出すること』(以上、花巻市ホームページの紹介文より引用)なのですが、それを実際に見ることはなかなか出来ません。なのでとりあえず、遊歩道の始まりの場所といった程度の認識です。
そしてこのイギリス海岸わきの遊歩道を少し歩き、堤防の上に登ったところから始まるのが『賢治さんと歩く心象ロード』という名の遊歩道。昨日初めて気づいたのですが、よく見ると線路の跡のようなデザインがされているのです。すなわち『銀河鉄道の夜』の廃線跡です(たぶん)。
で、ここが私のお気に入りの場所で、単純に歩いたり走ったりするだけでなく、色々とロマンチックな想像が浮かんでくるのですね。ずっとずっと昔、賢治先生も同じ空や同じ川を見ていたのだな、とかって考えると。
そんな思いを馳せながら走り、帰ってきました。いろいろと気持ちよかったです。
* 今週の気合い
積み上げた本棚を整理していて、たまたま見かけた『地上最強への道―大山カラテもし戦わば』。故・大山倍達総裁が他の格闘技、さらに牛、虎、熊、ゴリラなどと戦った時のことを振り返った伝説の書です(ただし虎や熊は実際に戦っていないので「もし戦わなければいけない時はこうする」といった内容ですが)。
こんな時代ですから、「本当はどうなの?」といったところに論点が集中しがちですが、正直なところ、それが真実かどうかは関係ないのです。私にとって大山総裁は伝説の人。つまり半分くらいフィクションの世界の人なんです。それぐらいスゴイ人だと思っている、ということです。
若き日の大山総裁が吉川英治の「宮本武蔵」を読んで一念発起したように、私もこの本を読んで気持ちがヒートし、本を閉じるや否やチェヤーと足を振り上げタンスに足の小指をぶつけて悶絶するのです(さすがにそこまではしませんが)。それで十分十二分でしょう。
あまり時間もなかったので、昨日行ったところは『イギリス海岸』。どこがどうイギリスなのかというと、『北上川と支流猿ヶ石川の合流点から南にかけての北上川西岸に、イギリスのドーバー海峡に面した白亜の海岸を連想させる泥岩層が露出すること』(以上、花巻市ホームページの紹介文より引用)なのですが、それを実際に見ることはなかなか出来ません。なのでとりあえず、遊歩道の始まりの場所といった程度の認識です。
そしてこのイギリス海岸わきの遊歩道を少し歩き、堤防の上に登ったところから始まるのが『賢治さんと歩く心象ロード』という名の遊歩道。昨日初めて気づいたのですが、よく見ると線路の跡のようなデザインがされているのです。すなわち『銀河鉄道の夜』の廃線跡です(たぶん)。
で、ここが私のお気に入りの場所で、単純に歩いたり走ったりするだけでなく、色々とロマンチックな想像が浮かんでくるのですね。ずっとずっと昔、賢治先生も同じ空や同じ川を見ていたのだな、とかって考えると。
そんな思いを馳せながら走り、帰ってきました。いろいろと気持ちよかったです。
* 今週の気合い
積み上げた本棚を整理していて、たまたま見かけた『地上最強への道―大山カラテもし戦わば』。故・大山倍達総裁が他の格闘技、さらに牛、虎、熊、ゴリラなどと戦った時のことを振り返った伝説の書です(ただし虎や熊は実際に戦っていないので「もし戦わなければいけない時はこうする」といった内容ですが)。
こんな時代ですから、「本当はどうなの?」といったところに論点が集中しがちですが、正直なところ、それが真実かどうかは関係ないのです。私にとって大山総裁は伝説の人。つまり半分くらいフィクションの世界の人なんです。それぐらいスゴイ人だと思っている、ということです。
若き日の大山総裁が吉川英治の「宮本武蔵」を読んで一念発起したように、私もこの本を読んで気持ちがヒートし、本を閉じるや否やチェヤーと足を振り上げタンスに足の小指をぶつけて悶絶するのです(さすがにそこまではしませんが)。それで十分十二分でしょう。
PR
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック